心が動く理由
フォレストバーバリアンはつがいで行動する。身長3メートルほどの巨人。
ただし人間とまったく違うのは、腕が4本あり、目はひとつ、体表は緑色でつるりとしており、服を身につけていないところだ。
ついたあだ名が「緑の巨人」「森の番人」——割とそのまんまだ。
だがその脅威はとんでもない。
ムキムキの筋肉からもわかるように膂力は人間をはるかにしのぐ。その腕が4本あるのだ。これを倒すには盾持ちがふたりがかりで押さえ込むのが定石——そう資料庫の本には書いてあった。
だがポーラたちの3人パーティーにおいて前衛はピアだ。彼女の武器は大剣。身長の高いフォレストバーバリアンには有効打を与えやすいとしても、防戦には向いていない。
事実、振り下ろされる棍棒を大剣で受け止めたものの、別の腕が振るった丸太を腹に食らい吹っ飛んでいる。
「ピア!!」
「ポーラ、回復魔法」
プリシーラが鋭く声を放つ。
「わ、わかっています!」
ポーラがピアに駈け寄って回復魔法を詠唱する。その間に、プリシーラが弓矢でフォレストバーバリアンの注意を引こうとする。
しかしフォレストバーバリアンはちらりとプリシーラを見ただけで、倒れているピアへと向かっていく。
「くっ」
プリシーラが次の矢を放つ。無防備な背中に矢は直撃する——した、はずなのに、わずかに先端が刺さっただけだった。
すぐにぽろりと落ちてしまう。
フォレストバーバリアンにはこの硬い皮膚があった。よほど強い攻撃、あるいは鋭利な刃でないと通らない。
「ピア、ポーラ、逃げて!」
だがプリシーラの声は間に合わない。
背中を向けて回復魔法を詠唱しているポーラ。動けずに苦しむピア。
彼女たちの背後で棍棒を振りかぶるフォレストバーバリアン。
「逃げ……て、ポーラ……」
ピアの両目から涙がこぼれる。このままでは自分だけでなくポーラが死ぬのも間違いない。
ポーラだってわかっているはずだ。それなのにポーラは回復魔法の詠唱——神々へ奇跡を祈る詠唱を止めない。
「————」
あなたが私を守ると言ったんだから、私だってあなたを守る——。
そう、言いたげな顔だった。
小さな笑みさえ浮かべていた。
「ダメ……ダメだ……ダメだよ、ポーラ……!」
ピアの声に、ポーラは小さく首を横に振った。
棍棒が振り下ろされる——。
「……え?」
振り下ろされる、のではなかった。
だらりと腕が落ちてそのまま横倒しにフォレストバーバリアンは倒れたのだった。
「な、なん、で……」
ピアがわからないでいると、回復魔法が発動する。
他人の身体に「奇跡」を起こすこの魔法は、神々への祈りが必要になる。神社で言うところの祝詞のようなものであり、長い。詠唱中は無防備になってしまうのが回復魔法の弱点だった。
その代わりと言うべきか、効果は高い。
ピアは、砕けたはずのあばら骨がつながっていくのを感じる。それほどに回復魔法が強力ではあるのだが、ポーラの適性が高いというのもある。
しかし今は自分のケガどころではなかった。
なぜ、フォレストバーバリアンが倒れたのか——。
「……この数日で2回も死にかけてるなんて、お前たち、自殺志願者なのか?」
そこに立っていたのは、黒髪黒目の少年——ヒカルだった。
わずかに時間をさかのぼる——。
ヒカルはフォレストバーバリアンの姿を見ると、レッドホーンラビットの入った袋をラヴィアに預けて走った。
「集団遮断」で近づくことも可能は可能だった。しかし、背の高いフォレストバーバリアンに一撃を入れるにはジャンプする必要があるし、単純にふたりで移動するよりひとりのほうが早い。
背後から脊髄に一撃。
これで死亡だ。
ヒカルは魂の位階が上がったことを感じた。
「ヒカル様……!」
魔法を行使した反動か疲れ切っていたポーラ。彼女が表情を明るくさせる。立ち上がろうとして、その場に転んだ。
「ポーラ! 無理するなよ!」
「はぁ、はあ……無理、したのはピアのほうでしょう?」
「うう、すまない……」
プリシーラも駈け寄ってピアとポーラが立ち上がるのを助けている。
その間にラヴィアがヒカルのところへとやってきた。ずるずると袋を引きずりながら。さすがに重いらしく、ラヴィアが肩で息を吐いている。
「あ、ごめん。持ってきてもらって」
「ヒカル……この人たちは友人?」
「ま、知り合いレベルかな」
「ふうん」
ラヴィアがプリシーラの胸元——豊かな胸元に視線を投げて、それから瞳を細めたのにはヒカルは気づかなかった。
「ピア、ポーラ。立てるか? ポーンドには戻れるか?」
「う、うん、なんとか……ほんとにすまなかったね。1度ならず2度までも命を救われるなんて」
「お前たちは無茶をしすぎだ。どうしてフォレストバーバリアンなんか——」
言いかけてヒカルは気づく。
フォレストバーバリアンがこんな街の近くに? おかしい。
それは、ピアたちも疑問だったようだ。
「あたしたちは当座のお金稼ぎのために素材収集や小さな魔物を狩ろうと思ったんだ。まさか『緑の巨人』がこんな浅いところにいるとは思わないよ。それも単体で」
「単体? つがいじゃなかったのか?」
「2体いたらあたしたちはとっくに死んでる」
「お前たちで1体倒したわけじゃないんだな。ふむ——」
ヒカルはアゴに手を当てて考えようとして、
(……あ)
気がついた。
ヒカルは、湖奥の森でフォレストバーバリアンを1体狩っている。
あのとき、フォレストバーバリアンは単独行動だったのを特になんとも思わなかったが、よくよく考えれば、あれはつがいの片割れだったのでは?
ここの森は広い。それこそ湖にまでつながっている。つがいを殺されたフォレストバーバリアンは、殺したのが人間だと考えた。そして人間に復讐しようと思い、ここまで来た——。
(つまりピアたちが襲われたのは、僕のせいか!?)
つつーと背中に冷や汗が垂れる。
「どうしたの」
「な、なんでもない」
ラヴィアにたずねられて、ヒカルはつとめて平静を装った。
もちろん単なる想像に過ぎないのだが——ヒカルとしては罪悪感が晴れない。
「ヒカル様……このモンスターの素材はすべて差し上げます。もちろんヒカル様が討伐されたので当然の権利なのですが……」
「い、いや、もらうわけにはいかない。これはお前たちが戦って倒した相手だ」
「仕留めたのはヒカル様です」
「それでも! もらえない。もらえないったらもらえない」
「……どうしました? なにか動揺なさっているような」
「動揺などしていない」
どう断ろうか、と考えつつヒカルはラヴィアを見る——彼女が持っている、というより引きずってきた袋を。
「僕らはすでに獲物を持っているから、持ち運ぶには手が足りない。それにフォレストバーバリアンは結構傷がついているし、売ってもそこまで大きな金額にならない。となればお金を出して運ぶことも割に合わない」
「……そうですか。ではなにかお礼を——」
「大丈夫、ほんとに大丈夫だから! それより街に戻ろう。もしポーラたちが持っていくんなら、このモンスターの素材を持っていったらいい。ただ僕の名前は出さないで欲しい。変に絡まれることが多いんだ」
ポーラたちはなかなか納得できないようだったが、ヒカルが言葉を尽くすと最後は折れてくれた。
フォレストバーバリアンは皮が素材となる。固くしなやかで、加工すると染色もたやすい。1体まるごと売れば標準価格で50,000ギランにはなるが、この「標準価格」という言葉がくせ者だ。「無傷の最高価格」を「標準価格」と呼んでいるのだ。戦って倒したモンスター素材は傷がついていて当たり前なので、ピアたちとだいぶやり合っていたこのフォレストバーバリアンは、売っても5万どころか1万ギラン程度では? とヒカルは思った。
比較的元気なプリシーラが、フォレストバーバリアンの背中の皮だけ剥いで持って帰ることにした。
「あの……ヒカル様」
「ん?」
「そちらの方は」
「ああ——こいつはレンクロウ。僕の……相方だ」
ラヴィアを紹介する。ラヴィアは「相方」という言葉に少し照れて帽子を目深に直す。
「あ、相方……美少年の相方……!?」
異様なまでにポーラが興奮した。
街まで近かったのでヒカルたちは先に帰っていくことになった。
プリシーラが皮を剥ぎ終わったのは、日没までそう間もない時間帯だった。
「急ぎましょう。ピア、走れる?」
「ああ。問題ないよ——プリシーラ?」
「…………」
「どうしたんだ? ぼうっとして」
「ぼうっとはしてない」
プリシーラはフォレストバーバリアンの死体を見ていたようだ。
うなじに一突き、ヒカルの穿った傷痕がある。
「なに? なんか変?」
「……なんでもない。帰ろう」
「そう?」
3人はそれから急ぎ足で街へと向かった。
街へと戻ったヒカルは、ラヴィアとともに冒険者ギルドへ向かう。
「……ヒカル」
「ん」
「あのポーラという女性、何者なの?」
「何者……回復魔法が使える駈け出し冒険者、かな?」
「それだけ? 知り合いなんでしょう?」
「うん。——ポーラになにかあるのか?」
もしやラヴィアの顔がバレているとか——ヒカルはハッとして立ち止まる。
「ヒカル……」
「う、うん」
「……これはわたしが感じたことなんだけど」
「うん」
ごくり。
「あの人、絶対ヒカルのことが好きだよね?」
「——————はい?」
「絶対そう。女の勘は当たるの」
ヒカルは脱力して座りかけた。
今の僕の緊張を返してくれと言いたいところだった。
「まあ、少なからぬ好意は感じるよ。でもそれだけ」
「そうかしら……」
「心配しなくても僕はラヴィアしか見ていない」
「!」
ぼんっ、と真っ赤に染まるラヴィアの顔。
「うう……そういう不意打ちはずるい」
「大体なにを心配してるんだよ。僕が彼女たちに色目を使ってるとか? そんなつもりはないんだけど」
「違う。ヒカルはカッコイイからきっとモテるもの……」
「ないよ、ないない」
日本で暮らしていたときだって「生意気」とか「スカしたヤツ」とか「生意気」とか「目が達観してる」とかあと「生意気」とは言われたが「カッコイイ」はついぞなかった。
(ああ、一度だけあったな。葉月先輩が「ふぅん、カッコイイねぇ? ヒカルくんは」って茶化すように言ったくらいか。でもこれはそういう意味じゃないよな)
「考えられるのは……僕は彼女たちのことを『知り合い』と言ったけど、実は一度命を救ってるんだ。それで僕を美化して見ている可能性はある」
命の危険によるドキドキを、恋のドキドキと勘違いしてしまう「吊り橋効果」というヤツだ。
「それならいいけど……」
「わかってくれたなら冒険者ギルドに行こう。はい」
「? 手をつなぐの? 街中では気配を消さないんじゃ……」
「いや、僕がつなぎたいだけ」
「…………もう! そういうところがズルイの!」
照れて赤くなって、ちょっとふてくされながらもラヴィアはヒカルの手を握ってきた。
「でも男の子同士で手をつないでるのって変じゃない?」
「……確かに。まあ、今は交通量も少ないから気配を消そうか」
結局「集団遮断」を発揮した。
するとラヴィアはヒカルと肩が触れるくらいのところにまで身体を近づけてきた。
「ふふ」
「……不意打ちはそっちのほうじゃないか」
「ん? なにか言った?」
「なんでもない」
ギルドに入ると、そろそろ終業時刻であり、ほとんど冒険者はいなかった。
それもそのはずでカウンターにいたのはグロリアひとりだった。
どうやら早朝から正午までがオーロラ、朝から昼過ぎまでがジル、正午から日没の終業までがグロリアというシフトらしい。
グロリアはさっさと冒険者を帰らせるので終業時に彼女が担当するというのは理に適っていた。
「ここが冒険者ギルド……」
冒険者が少なそうというのもあって、ヒカルはラヴィアとともに中へと入った。
きょろきょろと周囲を見回している。
着ている服も安っぽくはないので、どことなく間違って迷い込んだようにも見えた。
「あら、まあ。ヒカルさんではありませんか」
「ウンケンさんはいる?」
「いますが……今日はちょっとお相手できないと思います。もしやレッドホーンラビットですか?」
グロリアの察しがよくて助かる。
「僕がさばいて納品するから、金額の査定だけ明日以降にしてもらえるかな?」
「そうしていただけると助かります。ウンケンさんが自分で査定したいと言ったのにすみませんねえ」
「構わないよ、解体の練習になるし。まあ、手際は悪いから肉が悪くなってしまうかもしれないけどね——あ、それと内臓はもらっていくから」
「はあ。確かにギルドは買い取りをしていませんが、そんなもの、なにに使うんです?」
「『パスタマジック』の店長が欲しがってて」
「……へえ」
そのとき、きらん、とグロリアの目が光ったのにヒカルは気づかなかった。
「じゃあ裏の解体場を借りる」
「どうぞ——あっ」
「ん?」
「そちらのお友達もヒカルさんの連れですか?」
「ああ、そうだよ。——レンクロウ、こっちへ」
ぱたぱたとやってきたラヴィアは、ぺこりとグロリアに頭を下げた。
にっこりと微笑んだグロリアはまさに聖女の笑顔だった——とはいえグロリアの腹黒さを知っているヒカルは、素直に笑顔を受け取れないのだが。
「レンクロウさんは冒険者になるのですか?」
「あ、はい……そうですね、なりたいと思ってます」
「じゃ、登録していきますぅ?」
お茶でも飲んでいく? くらいの気軽さでたずねてくる。
グロリアの提案に目を輝かせたラヴィアだったが、そこにヒカルが割り込む。
「こら、こら。勝手に話を進めるな。レンクロウだってギルドに登録する許可を親からもらってないって言ってたろ?」
「——そ、そうだった」
「あら、そうなのですか……冒険者ギルドはちゃんとした組織ですよ?」
「そうだな。組織はな」
「あら〜。ヒカルさん、なにか含みのある言い方ですねえ」
「登録したてのぺーぺー冒険者を、盗賊ギルドに使いっ走りさせる受付嬢もいるからな。組織がよくても人が腐らせることもあるんだ」
「まあ。そんなひどい受付嬢がいるんですか?」
にこにこしているグロリア。
よくもまあそんな顔ができるなとヒカルは思いつつも、にっこりとして返す。
「そんなわけで、解体場を借りる。じゃあな」
「はい〜。ヒカルさん、また今度ゆっくりお話ししましょうね?」
「機会があればな」
ヒカルはラヴィアを連れて解体場へと向かう。相変わらずグロリアはなにを考えているのかわからないのが怖い。
「……ヒカル、ごめん」
「どうした?」
「わたし、冒険者登録なんてできるわけないのに……」
登録すれば「ラヴィア」の名前が出てくるのだ。
あの場で登録したらえらいことになる。
「まあな。この国ではな」
「……え?」
「や、捜索されてるのは国内の話だろ? 国を出れば大丈夫。冒険者ギルドのネットワークは国境を越えているから、他国で冒険者登録すればいいだけじゃないか」
「あ、え、でも……この街にずっと滞在するのではなくて?」
「ほとぼりが冷めるまではな。冷めたら、どこへでも行こう。だからそんな顔するなよ」
「——ヒカル」
ラヴィアが近づいてきてヒカルの腕を取った。
暗い冒険者ギルドの裏手、誰かが見ていることもない。
「……ありがとう」
耳元で囁かれた。
「ああ」
そっけなく答えながらも、ヒカルもまた温かい気持ちになった。
このあと滅茶苦茶解体した