事件の推移
朝食をゆっくり食べられるってすばらしい——大通りから1本入ったカフェでしっかり食べたジルは冒険者ギルドへ出勤した。
朝からカフェで食事なんていうのはかなり稼いでる市民にしかできないことだ。冒険者ギルドの受付嬢は実のところ高給取りである。それもそのはずで、荒くれ者の冒険者をなだめるために必要なのは「腕っ節」か「美貌」のどちらかであり、受付嬢が美人であるかどうかでギルド内のもめ事発生件数が変わることはすでに知られていた。
他の、たとえば商人ギルドや錬金術師ギルドでは受付嬢が美人である、などということはない。そしてまた受付嬢——むしろ男の場合だってある——たちの給料はさほど高くない。
冒険者ギルドの受付嬢になるには、器量が良いというのは必須条件なのだ。その上、見た目だけの女ならたくさんいる。さらに求められる地頭の良さ——職務上有能かどうか。
つまり、「冒険者ギルドの受付嬢」をしており、「カフェで朝食をいただく」というのはジルにとって自尊心を十分満たしてくれる非常に充実した時間の過ごし方だった。
「おはようございます」
「……おはよう、ジルちゃん」
ギルドのカウンターにはすでに受付嬢がいた。サブマスターとともに王都へ出張していた、どこか陰のある美人だ。
「オーロラさん、なにか変わったことはありました?」
その美人、オーロラはますます陰を濃くしてうつむいた。
「……ウンケンさんがお呼びよ」
「? ウンケンさんが?」
こんな朝からなんだろう、と思いつつもジルは私物をロッカーに入れ、制服に着替える。ギルド内はそこそこ混雑しているが、オーロラも仕事ができるから大丈夫だろう。ジルはウンケンの部屋——ギルドマスターの執務室に向かった。
「……ジルか。こっちへ」
来客用の応接セットもあるが、執務机に直接呼ばれた。立ち話で済む内容なのだろうと思って、ジルはホッとする。
自分がなにか失敗したとは思えないけれどもこうして呼び出されるというのは緊張する。
さらにはウンケンが苦い表情をしているのだからなおさらだ。
「アタシになにかご用ですか?」
「伝達事項がひとつと、確認事項がひとつ」
「はい」
「伝達事項は——一昨日、ノグサ率いるパーティー、『遙かなる綺羅星』が受けた護送任務が失敗した」
「……は?」
Cランク冒険者ノグサのことはもちろん憶えている。ポーンド常駐の冒険者の最高ランクはDなのだ。どんな人間なのかと思っていたし実物を見てがっかりもした。なーんだ、ポーンドの冒険者とたいして変わらないじゃない、と。
しかし、それでもランクCなのだ。
ランクCが失敗? 彼らがふだん受けるような任務は、モンスター討伐ならばかなりの難度——ポーンドの警備小隊では倒せないくらいの相手を倒したり、貴族のお抱えになったりするレベルだ。
「街道で賊に襲われましたか? あるいは突然変異で凶悪なモンスターが」
「違う」
「……まさか、彼ら自身が行方をくらませたとか? 令嬢をさらって」
「違う。——いや、ワシはその可能性がいちばん高いと思うが、今のところは違う」
「ではなんですか? もったいぶらずに教えてください」
「……ジルよ、これは冒険者ギルドの失態じゃぞ」
「わかっています」
「なのにお前はどうしてこう、目をきらきらさせておるんじゃ! ゴシップ趣味か!」
「いやですねえ、ウンケンさん。アタシにそんな悪趣味はないですよ。ささ、早く教えてください。どうせすぐに広まる話でしょう?」
朝から一大ニュースだ。
ジルとしてはノグサがどうなろうと知ったことではないし、彼を派遣したのは王都の冒険者ギルド。ポーンドにいるジルたちには関係ない。
こんなビッグニュースはすぐに冒険者の知るところとなるだろう。
(ヒカルくんに教えてあげようっと。気にしてたしね。うふふ、どんな顔するかな〜?)
ウンケンは、はぁ、とため息をついた。
「ま……深刻な顔をされるよりはマシじゃな。ノグサたちの証言ではこうじゃ。『2度目の小休止で馬車をのぞきこんだら、煙のように消えていた』」
「消えていた? え、ノグサさんたちは証言したんですか? ってことは王都の冒険者ギルドに行ったんですか?」
「そうじゃ」
「自分たちが真っ先に疑われるのに? 人間が煙になるわけないじゃないですか」
「うむ。じゃから、もしノグサが護送対象を逃がしたというのなら、王都にのこのこ顔を出して愚にも付かない証言をすることの筋が通らん。あまりに幼稚じゃよ」
「はぁ……令嬢はどこに行ったんですか?」
「それがわかったら苦労はせん」
「それはそうですね」
「ことをややこしくしていることが2つある。1つは、御者の証言じゃ。どうもノグサたちが『馬車のカギを寄越せ』と迫ったらしい」
「? なんでですかね?」
「……連中のことじゃ。送られる護送対象に興味が湧いたんじゃろう」
その言い方でジルもピンときた。ウンケンの発する感情を、彼女の特殊な感覚で読み取ったとも言える。
「バカですね」
「バカでも冒険者ランクC。王都ギルドの顔は丸つぶれじゃろう」
「それで、もう1つの『ことをややこしくしている』ことってなんですか?」
「うむ……モルグスタット伯爵邸の警備状況は知っているな?」
「ええ。騎士を特別に派遣させているんですよね。その騎士の目をかいくぐって殺害されたものですから、騎士団の顔も丸つぶれですね!」
「だから、なんでお前はそんなに楽しそうなんじゃ……。それでな、騎士のひとりが『冒険者は信用できない』と言い出してな、護送に出発したノグサたちの後を追跡したそうじゃ」
「ずいぶん嫌われたものですね」
「じゃが、騎士はノグサたちに会うことができなかった。盗賊に襲われたんじゃと」
「盗賊……王都とポーンド間で盗賊ですか? 珍しいですね。それでその騎士さんは?」
「命に別状はないがピンポイントで骨を折られていてな、通りがかった商隊に拾われて、ポーンドに運ばれ、今は治療院じゃ。ちょうど王都から事件の調査官も来ておったから話を聞いたらしい。ワシは同席を断られたがな」
「ほー……それにしても不思議ですね」
「そうじゃろ」
だてに就職高倍率の冒険者ギルドの受付嬢ではない。
この話を聞いた時点でジルには不可解な点があった。
「騎士さんは見習いでもない限りは相当腕の立つ人物ですよね? それなのにあっさりやられている」
「うむ。さらにな、騎士が証言するに、襲ってきたのは『子ども』だそうじゃ。『子ども』に『狙撃』されたと」
「はあ〜!?」
「……はしたない」
「ハッ」
大きく空いてしまった口を押さえるジル。
「でも、子どもが騎士さんを倒すなんておかしいでしょう。……これ、なんだかノグサさんたちの証言と似ていますね。煙のように消えたなんていう『あり得ない』ことを『本人たちは真剣に証言』している……」
「どう思う? このふたつはまったく関係ない別々の事件か?」
「確率的に考えればそうじゃないですか? 驚いておいてなんですけど、たまにいますよね、戦闘の天才って……子どもでもすごい才能を持っている。でもそんな子が盗賊をやるかな? って気もしますけど。あるいは背が低い大人」
「ふむ」
「それを踏まえた上での話ですけど、『戦闘の天才』と、『煙のように消えた令嬢』って組み合わせ、全然共通項がないですよね? 煙のように消えて逃げ出した令嬢が、追っ手の騎士に気づいて襲撃した、とかですか?」
「いや、騎士が言うには『子ども』は『少年』だという。——ジルの考えもオーロラとほぼ同じか」
「まぁー別々の事件でしょうね。でもウンケンさんは気になるんですか?」
「うむ……どうにも気になる」
「それが『伝達事項』と『確認事項』ですか?」
「ああ、いや、そうではない。『確認事項』だがなあ、ジル。この近辺の冒険者、いや、冒険者に限らず誰でもいいが……少年で腕の立つ者はいるか?」
そのときジルの脳裏によぎったのは、ヒカルだ。
だがヒカルは、令嬢の護送された一昨日は資料を読んでいたはずだ。
「ちょっと思いつきませんねえ」
「そうか……。ま、グロリアにも聞いてみるかな。結果は同じじゃろうが」
* *
ラヴィアを連れて宿を出た。と言っても、ヒカルがまずひとりで外に出て、それから「隠密」を起動させて戻り、「集団遮断」で宿を出る、という面倒な手段を踏んだのだが。
2部屋を取るという手段は取れなかった。なぜなら部屋を取るには「ギルドカード」「ソウルカード」などの提示が必要なのだ。ラヴィアは神殿の発行する「ソウルカード」を持っていたが、見せたら名前バレしてしまう。逃走中の殺人容疑者であることがこんなところにまで影響していた。
カードの偽造や、金を払って誰かから借りるという選択肢もないではないが、面倒を我慢すればいいだけなのでそこまでする必要もない。
「…………」
宿から出て、ふたりで歩いて行く。
もう、多くの人たちが活動している時間帯だ。
ポーンドは平地にある街であり、王都の衛星都市であることからも計画的に開発されている。
通りは平らで、碁盤目上に走っている。
歩いていてもそこまで迷うことはない。
「……これが、街なのね」
ラヴィアが、自分の足で街を歩くのはこれが初めてなのかもしれない。
そう思ったけれどそれを口に出すほどヒカルは無粋ではなかった。すべてが新鮮に見えるのだろう。ラヴィアはきょろきょろしながら歩いて行く。大樹の陰の井戸に集まる主婦たちも、買い物カゴを持って元気よく歩いている老人も、店の前で店主から叱られている小僧も、売り物らしいツボを積んだ台車を牽いている男も、なにもかも——。
「ヒカル」
「ん?」
「……あの人、すごくあなたを見ているわ」
「……うん」
それはホットドッグの屋台だった。
筋骨隆々の店主が腕組みしてこちらを見ている——もはやにらんでいると言っていいレベルだ。
近づいていくと分厚い手のひらを差し出してきた。
「60ギラン」
「……2人分買う前提かよ」
「わた——ぼく、食べてみたいな」
ラヴィアの一人称が「おれ」はさすがに無理があったので、ヒカルと同じ「ぼく」で収まった。
ヒカルはお金を出すとホットドッグを2つ、受け取った。1つは、興味津々というラヴィアの手に。
見た目は完全に日本のホットドッグなんだよな……と心の中で思いながらかぶりつく。
「!」
ヒカルは目を見開いた。
「ど、どうでぇ!?」
「か」
「……か?」
「辛すぎだろバカなの!?」
思いっきり叫んだ。
ヤバイ。このホットドッグはマジでホット、とかつまらないことを口走りそうになるほど辛い。
一気に体温が上昇して後頭部から汗が出そうだ。
ケチャップのしゃばしゃば感が収まっている。収まっているのにどうして、
「マスタードに……なにをした?」
「…………」
「答えろ」
「……行商人が売ってた香辛料が気になってよ」
「なんでそんなことを」
「お前が悪いんだぞ! 昨日、お前が来なかったから! 別の常連に食わせたんだ! そしたら『辛味が足りない』って言われたから!」
「僕のせいにするなよ!? あー、もう、ひどい辛さだ……行こう。これは食べないほうが——え?」
「?」
きょとん、とした顔でラヴィアがヒカルを見ていた。
手にしたホットドッグはすでに半分なくなっていた。
「これ、美味しい」
「…………」
ヒカルは疑惑の目を店主に向けた。すると店主は首を横に振った。お前のものと同じだぞ、という意味だろう。
「……君、もしかして辛党?」
「?」
こてん、とラヴィアは首をかしげた。
「それじゃ、まず街を歩いてみようか——え、っと、レンクロウ」
「うん」
ヒカルはラヴィアと連れ立って歩き出した。ホットドッグは辛すぎたので当然食べきれず、店主に戻した。ラヴィアも1つでお腹いっぱいということだった。店主は「こんなんたいしたことねえよ!」と言って泣きながら食べていた。
レンクロウ、という名前は偽名だ。「ラヴィア」と呼んでしまえばさすがに女の子過ぎる。どんな偽名がいいかとたずねたところ、ラヴィア自身が「レンクロウがいい」と言った。どうやら冒険小説に出てくる主人公の名前らしい。
レンクロウと呼ばれたラヴィアはご機嫌らしく、真顔なのにフフ〜ンと鼻歌を歌っていた。
「あそこが、君の服を買った『ドドロノ防具工房』。防具屋なんだけど一応普段着も扱ってたから」
「あれが、防具屋さん……!」
「店主はちょっとぶっ飛んでるドワーフ」
「ドワーフ……!」
「あそこが、僕の短刀を買った『レニウッド武器工房』」
「あれが、武器屋さん……!」
「店主は……ちょっとぶっ飛んでるエルフ」
「エルフ……!」
どっちもラヴィアにとって興奮ポイントだったようだ。
ラヴィアの逃亡事件がどう広がっているかわからなかったので、今日は工房に入らないでおく。「いつか必ず来る」という約束をラヴィアとして、外から眺めるだけだった。
「あれが冒険者ギルド」
「————」
「ラヴィア?」
「——夢にまで見た……」
夢にまで見たのかよ。どんだけ冒険したかったんだよ。
そう思ったが、そんなツッコミすら許されない雰囲気だった。
「……ヒカル」
「はい」
「……わたし、生きててよかった……」
「は、はい」
「……あそこに入ると『こんなところに子どもがなんの用だ?』って絡まれるのよね?」
「…………そういう側面もある」
ヒカルも絡まれているのでなんとも言えない。
「あそこは今度また情報収集で来よう」
「! 入れるの!?」
「僕は一応冒険者として生計を立てているからね。君と行動していることもそのうち知られるだろう。なのに君だけギルドに連れていかないっていうのも変な話だし」
「入ってみたいわ!」
「うん、今度ね」
「今度……」
「す、数日中には」
「はいっ」
叱られた子犬みたいだったラヴィアも「数日中」という言葉でぱぁっと輝くような笑顔を見せた。
(——ずるいよ、そんな笑顔見せられたら、今すぐ行きたくなっちゃうじゃないか)
もちろん、情報がある程度集まるまでは連れて行けないので、今日はぐっとこらえる。
「この後も街を歩く?」
「いや、とりあえずひとつやりたいことがあるんだ。——街の外に出ないか?」
「冒険!?」
「……えーと、冒険の下準備だ」
ヒカルは頬をかいた。
「君の魔法の威力を確認したい」