彼女との新生活
甘党回
「……んぅ……っ?」
ぱちり、と目を開けたラヴィア。その様子を狭いベッドですぐ隣に寝そべりながら見つめていたのはヒカルだ。
「! ヒカル……ど、どうしてこっちを見てるの?」
頬を染めてシーツで顔を半分隠すラヴィア。
「寝顔が可愛くて、見てた」
男が女に言ってみたいセリフランキングで堂々5位に入るこれを口にすることができて、ヒカルとしても感無量である。ちなみに1位〜4位は想像にお任せする。
「……ばか」
すっぽり頭をシーツで覆ってしまうラヴィアもまた可愛い。頭頂からぴょこんと髪の毛が一房出ている。
ヒカルはどうしても頬が緩んでしまう。
自分が15歳で、ラヴィアは14歳。早すぎる関係だとは思わない。この世界では、死が結構身近にある。そもそもヒカル自身一度死を経験している。であれば早いうちに愛する人を見つけて結ばれるのは道理だ。
「うう……」
「? どうしたの、ラヴィア」
「恥ずかしくて死にたい……」
「どうして?」
「……わたし、声を出さないつもりだったのに、声、出てしまったわ……ヒカルの声もやけに優しいし」
どうしよう、とヒカルは悩む。このまま抱きしめてもう一度声を上げてもらうような行為に及びたくなってしまった。
だけれどそれはぐっとこらえる。
「大丈夫。左右と上下の部屋に宿泊客はいなかったみたいだから」
「ほんとう?」
ちょっとだけ出ている髪の毛がひょこっと動く。可愛い。
「昨日、いろいろあったのにさらに疲れさせちゃってごめん」
「…………また恥ずかしいことを言う」
シーツをつかむ手まで赤くなっている。
「あー、いや、実際のところラヴィアの体力も限界かなって思って……。屋敷から出たことだってほとんどなかったわけだろ」
「ええ……正直言えば、かなりきついかも。今のわたし、身体がバラバラになってしまったみたい」
「ごめん」
「謝らないで。身体はバラバラだけど、心は幸せでいっぱいなの」
「————」
今度はヒカルが顔を赤くする番だった。
飛び出ていた頭髪がぱたぱた動いているあたり、ラヴィアも自分で言って自分で恥ずかしかったらしい。盛大な自爆である。
それからラヴィアと少し話して、今日いっぱいはラヴィアは部屋で休むことにした。
ベッドのシーツは3日に1回の交換だからホテルの人間が入ってくることもない——という話をすると、ラヴィアはハッとしてがばりとベッドの中に顔を突っ込んでなにかを確認、その後、「お、お水をいただいてきて……たらいでいっぱい……」と震える声で言っていた。なにを発見したのか、ヒカルはあえて聞かずにおいた。ヒカルもラヴィアも昨夜が「初めて」だった。それでいい。
水をもらうついでに屋台で食べるものを買いにヒカルは部屋を出た。
「お出かけですかあ?」
相変わらずネコミミフロントがいた。この人はいったいいつ休んでいるのだろうかと不思議に思うヒカルである。
「いや、ちょっと食事を買ってくる。部屋で食べるのは構わないんだろ?」
「もちろん——」
と言いかけたネコミミフロントは、すん、すん、と鼻をひくつかせた。
「……お客様もお好きですねえ?」
にやーっ、とした笑顔を向けられた。
「な、な、なんのことか」
「動揺しすぎですよお?」
「動揺などしていない」
「お楽しみは構いませんけど〜、お泊まりは御法度ですからね」
「わかってる」
ヒカルは言って、ホテルを出て行く。
「……でも、いつ連れ込んだんだろ?」
はて、とネコミミフロントが首をかしげた。
屋台で買ったサンドイッチ、陶器のツボに入った果実のジュースなどを持って帰り、ふたりで食べる。貴族のお屋敷で暮らしていたラヴィアにとってはどれもこれも新しい味覚だったようで大喜びだった。ホットドッグは買わなかった。ここで冒険するのはヒカルとしても避けたかったのである。
「ほとぼりが冷めるまではポーンドに滞在したいと思ってる」
「はい」
「ただその間ずっと宿に閉じこもっているのも精神衛生上よくないと思うんだ」
「そう……ね」
「僕と手をつなげば他の人に気づかれることもない。でも一方で危険もある」
「人混みで人にぶつかるとかかしら?」
ヒカルはうれしくなった。ラヴィアは、ヒカルが話すことの一歩先を考えながら話を聞いてくれる。
「そう。だからできれば変装を継続して外に出たいんだけど」
ヒカルはちらりと外套を見た。
フードを目深にかぶれば街中を歩いていてもバレないだろう。
だが一方で、これから夏になるのにフードをかぶっているのはどうなのかという気がする。怪しさ満点で逆に目立つ。
「ヒカル……あなたに負担を強いてばかりで気が引けるのだけど、もうすこしお金を貸していただけないかしら」
「お金を? なにに使う?」
「髪を短くして、染色する。そして男物の服を買う」
その申し出に、ヒカルはぽかんとした。
ラヴィアは14歳。これからどんどん女性らしさが出てくる年頃だ。逆に言えば「まだまだ少年との差が小さい」とも言える。
男装の可能性はヒカルも考えていた。だけれど言えなかった。ラヴィアの魅力を損なう気がしたのだ。
それを彼女のほうから言い出すとは——。
「……ごめんなさい、ヒカル。わたし、ただでさえ女の魅力がないのに、どんどんなくなってしまう……」
「そ、そんなこと気にするな。むしろいいのか? 髪だってきれいなのに」
輝くような銀髪。ヒカルも昨晩何度も触ったがほんとうに触り心地がいい。
「髪が短くなって、地味な色に変わっても……わたしを捨てないでくれる?」
「当たり前だ」
「よかった」
心底安心したように、ラヴィアは息を吐いた。
(そうか——僕は、彼女のよりどころなんだ。僕しか、彼女のよりどころはないんだな)
今さらながらに気がついた。
異世界に来たという点で、天涯孤独のヒカルではあったが、社会的に孤立しているわけではない。ラヴィアは違う。殺人犯として追われていて、彼女の存在はヒカルしか認めていない。
(今しばらくは僕がもっとしっかりしないとな)
食事を終えるとラヴィアを部屋に残してヒカルはホテルを出た。
まず向かったのは冒険者ギルドだ。正午の少し前なのでジルとグロリアがカウンターにいた。そのカウンターには相変わらず冒険者が群がっている。「会いに行けるアイドル」みたいなものかとヒカルはそんなことを思う。「UTJ48」とかいたりして。
だが今日はこのふたりに用があるわけではない。
「ヒカル様!」
依頼掲示板の前に、ポーラ、ピア、プリシーラの3人がいた。めざとくヒカルを発見したのはもちろんポーラだ。
「昨日はギルドにいらっしゃらなかったのでどうしたのかと思いました」
「一日かけてじっくりこれを読んでいたから」
ヒカルが見せたのは、ギルドの資料庫に置かれている本だ。ただし、長年使われてあちこちほころびがあるせいで使われなくなったものである。
「これは……?」
「僕に解体を教えてくれているウンケンさんから借りた。ひととおり読んでおけば知識になるからな」
それはヒカルにとっての「アリバイ工作」だった。昨日はラヴィア逃亡を手伝ったヒカルだったが、もし昨日1日なにをしていたのか? と聞かれた場合の答えを用意しておいたのだ。
「こんなに分厚い本を!?」
ポーラが驚いたのが聞こえたのか、カウンターからジルが抜け出してこっちにやってくる。と同時に、カウンターに群がっていた冒険者たちが怨嗟の声を上げる。
……お願いだからおとなしくカウンターで仕事しててくれよ、といつもならヒカルも思うのだが、昨日の一件が冒険者ギルドに伝わっているのか気になっていたので、探り出すいい機会ではあった。
「ヒカルくん。ウンケンさんがこれを貸してくれたの? ふーん……それじゃアタシからウンケンさんに返しておくわ」
「いいのか? 忙しいだろうに」
「来たときに渡すだけだから。——でもほんとに全部読んだの?」
「読んだ」
「へぇ〜。じゃあちょっとクイズね」
ジルは楽しそうにページをぺらぺらめくる。
「……沼地に生息するマッディロックの有効な討伐方法は?」
「氷結系の精霊魔法だな。凍らせれば破壊はたやすい」
「粉末にした黄疸薬草の効能は?」
「神経麻痺の解除」
「ポーンドにもっとも近いダンジョンについて説明して」
「南の街道を馬車で5日ほど行った、『古代神民の地下街』。冒険者ギルドと国が共同管理していて、入場制限は冒険者ランクE以上。アンデッド系のモンスターが多数確認されている。厄介なのは邪術に属する魔法を使うアンデッドモンスターで——」
「わかったわ。ほんとうにちゃんと読み込んだのね」
ぱたん、とジルは本を閉じた。
そして彼女はカウンターに群がった冒険者を振り返る。
「みんなもちゃんと資料庫の確認はしてね。受けた依頼だけじゃなくていろんなことを知っていれば生存率だってアップするんだから」
冒険者たちはヒカルを見て「チッ」という舌打ちをした。やはり余計なことをしてくれるジルである。
(……でもこの様子なら、まだラヴィアの逃亡については伝わってないみたいだな。冒険者が護送しているわけだから依頼失敗という形で伝わるはずだからな。今の「クイズ」もよかった。僕があの本を読み込んだという証明になった)
「ヒカルさん」
「うおっ」
背後からヒカルの肩に両手を置いたのはグロリアだった。耳元に唇を寄せてそっと囁く。
「ほんとうに昨日読んだんですか?」
「……そうだけど」
「そうですか」
「ひぇっ」
最後に耳元に息を吹きかけるとグロリアはヒカルから手を離してカウンターに戻っていった。いつカウンターから抜け出し、接近してきたのか、気づかなかった。
(やっぱり要注意人物だな……)
実は、あの古いバージョンではなく最新版のものを、「資料庫」でふつうに読んだのだ。読む機会は何度かあったから。
ヒカルは本を読むスピードが他の人間に比べてずっと速く、暗記も得意だった。実のところ本を借りる前にすでに頭の中に全部入っていたのだ。
「な、な、なんなんですかあの受付嬢は……! ヒカル様の耳元にふーってしてましたよ、ふーって! 私もしたいです!」
「止めてくれ……」
げんなりしながらポーラをあしらうと、ヒカルは冒険者ギルドを出た。
「……どうかな?」
その日の夕方、ビジネスホテルの一室。
ヒカルの前に立っていたのはラヴィアだ。ただし彼女の姿はこれまでとまったく違う。
髪は亜麻色に染色し——ヒカルとおそろいの「黒」にしたいとラヴィアは言ったのだがこの世界に黒髪は非常に少ないようで目立つからダメだと却下した——後ろ髪を少し残した程度で、耳に多少掛かるくらいに短い。
つばが大きめのハンチングキャップをかぶれば大人からは目元が見えにくいだろう。
白のシャツにチョッキ、それに膝丈のズボン。
ソックスに革靴を履けば、そこいらにいる男の子とほとんど変わらない。
「よく似合ってる……って言っていいのか?」
「ふふ。いいでしょう。——いえ……いいだろ、な、ヒカル! おれとお前で天下取ろうぜ!」
「……無理するなよ。聞いてるほうがつらい」
「だ、ダメかな? 今日ずっと練習してたんだけど……男の子言葉」
ひとり、部屋でぶつぶつと言葉使いを練習していたラヴィアを思うとなかなか可愛いのだが、いかんせん似合わない。元が少女だということもあって、「少年」に見えても「上品な少年」なのだ。育ちのいいボンボンに見えてしまう。その点、ヒカルも同じと言えば同じなのだが。
いろいろと出費もあったが、それでもしばらく暮らすには十分な金額がある。
……ちなみに言うと、ラヴィアというパートナーを得たことで買わなければならないものもヒカルは買っていた。
避妊具である。
ラヴィアは14歳とは言え、すでに妊娠できる身体だ。その辺はこの異世界でも変わらないらしい——ローランドの記憶にもあった。
面白いことに避妊具とは「魔法を込めた石」だった。「邪」に属する魔力が込められており、これをポケットに入れて持ち歩くと、男の場合は精子の活動が弱まり、女の場合は卵巣に悪影響を及ぼす。男のほうが影響が軽微でかつピンポイントで「不妊」に効果があるので、色町に通う男はたいてい持ち歩いているようだ。女は、生理不順になったりと悪影響が強すぎるので基本は男が持つものだという。
(これじゃ……ラヴィアとの関係を頻繁に期待してるみたいだけど……転ばぬ先の杖だよな、うん。絶対そう)
子どもができてしまってからでは遅い。今、子育てをする余裕はさすがになかった。
このマジック「石」を買うときに売り子に冷やかされもしたが必要な出費だとヒカルは信じた。1,000ギランもした。
残:24,630ギラン(+100,000ギラン)
「うーん……やっぱり一人称は『ぼく』のほうがいいのかな……」
ぶつぶつ言っているラヴィアに、ヒカルは言った。
「とりあえず明日からはそれで外に出よう」
「はい。……どこに行く?」
「ラヴィア。もう、どこへ行ったっていいんだ。自分で行きたいところを決めていい。あんまり遠出は、事件のほとぼりが冷めるまではダメだけどな」
「……どこへ行ったっていい……」
ラヴィアはぽつりと言ってから、
「……わたしは、冒険したい……」
ヒカルは笑ってうなずいた。
「そう言うと思った。明日からは冒険の準備だな」
「はいっ!」
「——の前に、体調はどうだ? 身体は痛まないか?」
「う、うぅ……ちょっと痛いけど、だいぶよくなったわ」
「わかった。無理はするなよ」
「あ、で、でもヒカルが望むなら、今夜も——」
「そ、そういう意味で言ったんじゃないから!」
「……そっか、そうだね。わたし、見た目も完全に男の子っぽくなっちゃったし……」
「ああ、違う、違うって! 落ち込むなよ——そんなふうに見た目が変わっても、その……十分、君は可愛い……と、思う」
「ヒカル……」
差し伸べられた手を握り、ふたりの影は近づいていく。
結局この日も遅くまで眠ることができずに、翌朝日が高くなってから目覚めることとなった。
マジック「石」は購入初日から役に立った。
これ書きながら「滅びよ……」ってずっと思ってました。
私が15歳のとき? 男子校に通ってましたよ?





