アリス=サンボーンの遭遇
多人国家アインビストの首都は荒れ地のど真ん中に存在するが、これは多くの部族をつなぐルート、その交通の要衝に遷都されたがためだ。街に入るや、外が荒れ地であることなど忘れてしまうほどの熱気がある。ネコミミをピンと立てた少女、爬虫類顔の女、青ざめた肌の老人、背に翼を持った有翼人の男——あらゆる人種がここにはいる。
「——そりゃぁ鉄が高騰するってもんよ。鉄くずだって大事に溶かして刃物作れってお達しが来てるほどだぜ?」
「——去年は豊作だったけど、貯め込んでた古米も麦も全部売れちゃったわよぉ。全部よ? おかげでウチらが食べる分まで危ないわ」
「——あっちこっちから人が集まってる。大規模な徴兵だなあ。ヒト種の嬢ちゃんには悪いが、ポーンソニアは俺たちみたいな獣人差別が結構あるんだよ。調子に乗りすぎたんだ」
街でうわさ話を聞いて回る少女がいた。ベリーショートのピンクの髪の下には、いたずらっ子のような目がぱちぱちと興味深そうに瞬きしている。もこもことした羊毛の上着を羽織っており、レザーのショートパンツからタイツを穿いた足が伸びていた。
アリス=サンボーンは聞いて集めた情報を検討しているが、この内容は疑いようもなくひとつの結論に至るだけだった。
(アインビストは戦争をする気なんだ。相手はポーンソニア王国——停戦中のはずなのに、どうして?)
アリスは、ウンケンの下で修行を積んだスパイだ。スパイとは言っても、「知覚遮断」がちょっとできる程度ではあり、素人相手ならば気取られず家に忍び込むことも可能というレベルだった。
生前、ウンケンはクインブランド皇国のスパイのレベルが低いと嘆いていた。ヒカルもまた、アリスはスパイに向いていないと思った。しかしアリスはいまだスパイを続けていた。他に食い扶持がないこともあったし、ウンケンの嘆きどおり皇国のスパイのレベルは低いのだ。そこそこ働けるアリスを手放す余裕は彼らにはなかった。
そんなアリスがホープシュタットにいるのは、もちろん皇国の指示による。
(まさか皇帝陛下直々の依頼だとは思わなかったけどさー、ドンピシャだったわ。陛下マジ慧眼)
露店で売っていた羊の内臓を焼いた串焼きを食べながらアリスは歩いていく。ゲテモノに属する食べ物ではあったが、この国ではニオイの強い食事はふつうに楽しまれている。アリスも、溶け込もうと頑張って食べているうちに好きになってきた。ぴりぴりと舌がしびれるような香辛料がたまらなくいい。
「こんにちは——あら、アリスちゃん」
「どもども」
アリスが入っていったのはホープシュタットの冒険者ギルドだ。ちなみにアインビストでは冒険者の数も多く、この首都に冒険者ギルドは3つあり、アリスが来たのはいちばん小さなギルドだ。
カウンターにいた受付嬢はだいぶヒマそうだった。ウサギミミがぴょこんとした可愛らしい女性で、年が明けた春には冒険者と結婚して引退することが決まっているらしい——そんなことまでアリスにしゃべってしまうほどにヒマなようだ。
「ヒマそうだね」
「そりゃそうよ。この数日はしょうがないのよねぇ」
受付嬢がヒマなのにはワケがある。3箇所もギルドがあるからヒマというわけではない。本来なら3箇所でも足りないくらい冒険者がいるからギルドが3つも設置されているのだ。
この数日——つまり数日前、ある出来事があった。
アインビストにおいて絶対的な人気とカリスマを誇る獅子の王、ゲルハルト=ヴァテクス=アンカーが呼んだという冒険者パーティーがホープシュタット入りしたのだ。そのパーティー「東方四星」はランクBであり、しかも美人の女性だけで構成されているとあっては冒険者たちが興味を持つのも当然だろう。
「東方四星」は首都で最も大きいギルドにやってきたので、首都中の冒険者たちはそちらに集まっているのだ。「東方四星」は王宮とギルドとを行ったり来たりしているようで、冒険者は彼女たちを一目見ようと集まるし、中には腕試ししたい冒険者が名乗りを上げたりもした。しかも「東方四星」リーダーのソリューズがそれを受け、瞬く間にコテンパンにたたきのめしたものだからますます彼女たちの人気は上がっているらしい。
それらはアリスにとっては関係のないことだ。むしろ、人目を避けられて好都合である。
「それじゃ、奥の部屋借りたいんだけどいいかなあ?」
「いいですよ。それにしても面白い依頼ですねえ、『市場調査』なんて」
「アハハ、こういうのってなんていうんですかね。『価格ハンター』?」
そんな軽口を叩きながらアリスはギルドカードを差し出した。そこにはこう記されている。
【冒険者ギルドカード】
【名】アリス=サンボーン
【記録】クインブランド皇国皇都冒険者ギルド
【ランク】E
【職業】---
アリスは地味に依頼をこなしている冒険者としての顔も持っていた。このギルドカードは偽造が不可能なので、ランクEまであると信用されやすいのである。出身がクインブランドであることすらカムフラージュできるのが「依頼」だ。「配達依頼」でこっちに来たことにしてもいいし、今回のように「市場調査依頼」という名目でもいい。あちこち調べて価格の調査をして、クインブランドの商人に情報を送る——情報を送るのにギルドの通信手段を使わせてもらう、という格好だ。
アリスは慣れた足取りで奥へと向かった。その部屋に置かれてあるのはリンガの羽根ペンである。すでに使い方もわかっているので受付嬢に手数料だけ渡して、触媒は自前だ。
「さて、上司に送らなきゃな〜っと……」
アリスはせっせと、鉱物価格や鉄価格、食料価格などについて書いて送る。全体的に上昇しており、改めて「戦争準備中」などと書く必要もない。実のところこのリンガの羽根ペンは「傍受」できるという話もあるため、機密情報をそのまま書くことははばかられるのである。末尾に「これからアインガンシュタットへ向かいます」とだけ書けば伝わるのだ。アインガンシュタットはポーンソニアとアインビストが接する国境の町。そこに「軍勢が向かう」という隠語である。
通信手段としてギルドに設置されているリンガの羽根ペンは非常に便利だ。他の魔道具はいちスパイが持つには高すぎるし、早馬は不確実性が高く遅い上に、失敗したとき情報が伝わらないだけでなく情報を奪われてしまうリスクがある。
その点リンガの羽根ペンは、傍受されたとしても「無害」を装った情報なら問題ない。面倒なのは冒険者ランクを上げなければギルドの信用を勝ち得ないという難点があるくらいか。
「ふー。これでよし、と……」
書き終えたアリスは、転送を終えたことを確認し触媒を刷毛で散らしておく。
「考えたな、市場調査を装うとはね」
「!?」
背後で言われ、アリスは30センチくらい飛び上がった。
「だ、だだだ誰——」
「おっと、声を上げないように」
振り返ったアリスの鼻先に刃が突きつけられた。
「あ……」
そこにいたのは、アリスも見たことがある人物。黒のローブを目深にかぶり、顔には銀の仮面。そしてしっかり見据えていないと消えてしまいそうなほどに気配の希薄な少年——。
「シルシルさん!」
「その愛称は止めろ」
アリスがヒカルと会ったのは、グルッグシュルト辺境伯の屋敷に忍び込んだ夜だ。あそこにいた「剣聖」ローランドや、ガフラスティのお付きのように側に立っていたアグレイアの「直感」によって見破られてしまった。逃げていく途中ヒカルに追いつかれ、そのとき上司であり鬼師匠であるウンケンを「一発殴ってよ!」とウンケンのもとに連れて行った。そのときヒカルは「白銀の貌」と名乗り、それきりだった。
結局、ウンケンにもすごまれて命からがら逃げていったのだがアリスとしては最終的にはヒカルに悪い印象はあまりなかった。
「って、あ。い、今の内容見ちゃいました? い、一応情報漏洩を禁じる依頼なんですけど……」
「見たけど、大丈夫。どうせカグライあたりに報告する内容だろ?」
「ちょっ!? なんでわかるんですか!? あとウチの皇帝陛下を呼び捨て!?」
仮面の下、口元をにやりとさせた少年は、
「僕がこの街に来たのはついさっきだけど、来て早々、いろいろわかったよ。ありがとう。アインビストはポーンソニアを叩きつぶす気なんだな」
久しぶりのアリス。こういうおばかな子は好きです。
ヒカルがなぜこっちに来たのかは次回。





