聖と邪
外務卿の居室を辞したヒカルは「隠密」を発動して「塔」を出た。ホテルへと戻るとラヴィアとポーラも部屋にいて、テーブルに積み上がった本を見るにここで調べ物——ラヴィアの場合は純粋な楽しみかもしれないが——をしていたようだ。
「ただいま」
『くんくん、このニオイ……クッキー!』
腹ぺこ龍がヒカルの首元から離れてテーブルへ飛んでいくと、皿に置かれていたクッキーを食べ始めた。
「おかえり、ヒカル——あら、どうかしたの?」
「ん?」
「なにか怒っているような顔をしてる」
ヒカルは自分の顔に手を触れた。怒っている顔——自分はなにに怒っているのだろうか?
(……あの女騎士だ)
コニアという「青の騎士」はヒカルの知っている先輩、葉月に似ていた。髪の色も違うし話す言語も違うのだが、顔と声は似ている——それなのに中身は全然違った。
(葉月先輩なら僕の考えていることをとっくに見通して、2歩3歩先の行動をしていたはずだ。それができないコニアに、僕はイラついたんだ)
バカバカしい、と思う。コニアは葉月先輩では当然ないとわかっているし、葉月先輩がこっちの世界にいるはずもない。それなのにイラついた。心のどこかでそれを期待していたのだろうか?
ヒカルはそんな考えを隅に追いやると、
「くだらないことを考えていた自分に腹が立っただけだよ。もう大丈夫」
「そう……?」
「それより、魔法陣の地下についてだけど——」
ヒカルはふたりに、魔法陣をくぐって下りていったことを話した。それから外務卿のところにも寄ってサインをもらったことも。
「はぁ〜……ヒカル様はいとも簡単に指名依頼をこなしてしまいますよね」
「サインをもらうのがいちばん簡単な部分だろ? そこ、驚くところかな」
「これで終わったのだと思うとようやく実感が湧いてきて……」
えへへ、とポーラが苦笑いする。
確かに冒険者ギルドの依頼はこれで終わったことになるが、他の騎士たちがなしえなかったことをヒカルがなしてしまった以上、注目されることは避けられない。しばらくは大人しくしておいたほうがいいだろうとヒカルは考えている。ギルドに目をつけられ、どんどん厄介な仕事を回されたり、昇格して戦争のために拘束されるなんてまっぴらだ。
「ヒカル、それだけしかなかったの……?」
ラヴィアは腑に落ちない、という顔で聞いてきた。まだ心の中で未整理だったために意図的にコニアのことは話さなかったが、ヒカルがなにかを隠しているように感じたのかもしれない。
「……実は、ふたりに話していないことがある」
女の勘って怖いなと思いながら、隠すことでもないのでヒカルはふたりに告げる。コニアという女騎士のこと。彼女が、ヒカルが故郷の先輩に似ていたこと。
「ま、似ているというだけで中身はまったく関係ないけどね」
「……ヒカルはそのハヅキという人のことが好きだったの?」
「いや、そういうんじゃ——」
と言いかけ、ふと考える。
「……嫌いじゃなかったよ。僕の知らないことをあの人は知っていたし」
でもこの感情は、恋とは違う。
それだけは間違いないとヒカルは思った。
「さ、これで僕のほうであったことは全部話したよ」
「ん——ありがとう。やっぱり地下にあったという禍々しい扉が気になるわ」
「私もです。意味深ですよね」
ちなみにコウは、あのドロドロした黒い塊がイヤでけして降りてくることはなかった。だからあの扉については直接目にしていないが、ヒカルが扉についてコウに教えたところ、
『なんかヤバイのが向こうにいる感じがする』
とだけ言っていた。その「ヤバイの」がなんなのか知りたいのだが、コウにもわからないらしい。
「2種の『聖魔武具』に魔法陣、黒い塊に禍々しい扉。気になることはいっぱいあるけど、これ以上深入りして得られるものはあるのかな」
損得勘定だけすれば「無意味」という気がする。聖人が集まって封印したなにかがあの「禍々しい扉」なのだろうとは想像がつくが、あんなもの開放する必要もまったく感じられない。
教皇も聖魔武具をなんとかしようと研究を進めているようだが進展は芳しくないようだ。
「ヒカルは、もうアギアポールから出て行きたい?」
「それでもいいかな。なにか新しい情報があればまた戻ってくればいいし」
「コニアという人はいいの?」
「いいさ。葉月先輩に似ている他人でしかないし」
そうすぐに返したが、心のどこかでコニアについては気になっていた。心に小さなトゲが刺さっているような不愉快な感じだ。ただ「見た目が似ている」というそれだけでこんなに気になるものだとは思いもしなかった。
「それより、そっちはなにか発見はあった? 大量に本があるようだけど」
「あ、そうそう。過去の歴史や教典についてはわかってはいないんだけれど、面白い情報があったの」
ラヴィアが指したのは、過去の聖人や教会に貢献した人々に関する本——というより一覧だろうか。目次に名前があるが、名前だけでなく、
「! この人たちの『職業』が書いてあるのか」
ソウルカードの「職業」も併記してあるのだ。
5文字神が多いが、4文字神も多少いる。目を惹くのは「聖人」とまで言われる、伝説的な偉業を残した4人——彼らは3文字神だった。
「『回復魔神』が2人、それに『聖信仰神』、『支援魔神』か……」
ヒカルは考える。「回復魔神」と「支援魔神」はソウルボードにある「回復魔法」「支援魔法」のエキスパートが得られる職業なのだろう。ポーラもそうだ。教会の教えを広めたり、神の奇跡によってモンスターを退治する、あるいは人々を救うのにこれら魔法はとてつもなく役に立ったはずだ。
そして「聖信仰神」だが、これもソウルボードの「信仰」項目「聖」に当たる部分かもしれない。ただ「聖」を上げることのメリットはよくわからない。グレイヴィ師が「聖」8という突出した数字だった。彼にはそんな「職業」があるのだろうか?
「ポーラには信仰に関する『職業』はないのか?」
「ないですね……。私もこの本で初めて見ました」
「ヒカル。この『聖信仰神』の人の記述はとても面白かった」
ラヴィアは記述部分を読み上げてくれた。
特にその聖人は献身的に信仰の道を歩んでいたのだが、この人物に限らず他の3文字神を所有する聖人にも共通する特徴があるのだという。それは「人間味のなさ」だ。すべてを見通し、些細なことでは怒らず、人を超越しているかのような印象を周囲の人間に与えたのだという。
「…………」
それを聞いてヒカルはあることを思い出した。それはソウルボードにある「天」に関係する項目だ。
【天射】……摂理を管理する神の領域に至る技術。ヒトをヒトたらしめる一部を失う。最大で5。
「人間性を失う」とあるのだ。「天剣」など他の項目も同じ説明になっていると推測される。「天剣」に1があったポーンソニア王国騎士団長、ローレンス=ディ=ファルコンもどこか人間離れした印象があった。
ラヴィアの見つけた本にある聖人たちも「天」に関係する項目も所有している可能性がある。ヒカルは「天射」は0のままにしているが。
そう考えるとヒカルのソウルボードにある「職業」、【天道探求神:罪深き者】についても違った見方ができる。「天射」が表示されたヒカルにもこの「職業」が表示されているのだから、聖人たちにも「天道探究神」が出ているのではないだろうか。ただ、その中身が問題だ。「罪深き者」——こんな「職業」を他人に見せられるだろうか? 信仰の道を歩む者ならば隠しても不思議ではない。
ヒカルはそこまでの考えをラヴィアとポーラに話した。
「なるほど……少なくとも他人に見せたい『職業』ではないわね」
「ヒカル様はいったいいくつの『職業』をお持ちなんですか……?」
ヒカル自身、全体の平均値を知っているわけではないが、自分の「職業」は多い気がしている。ソウルボードを使えることがなんらかの影響を与えているのだろうか?
「ともあれ『回復魔神』を持っているポーラも、聖人の仲間入りをしたというわけだな」
「え、ええっ!? そそそんな畏れ多いですぅ……」
「ポーラの『職業』を公開したら教会からスカウトが殺到するぞ、きっと」
「困ります、そんなのっ」
本気で困っているポーラを見て、ヒカルは笑った。
「まあ、隠しておいたほうが無難だな。でも『聖』に関する項目でこういった『職業』が出るのなら、『邪』のほうでも出そうなもんだよな……『呪魂魔神』とか」
「なんだか不穏な神様ね」
『呪魂魔法は使ったらダメだぞ。邪に負けるんだぞ』
とそこへ、コウが口を挟んできた。お菓子を食べ終わっただけらしい。
「邪に負ける、ってなんだ?」
『心が邪に染まっちゃうってこと。龍だって誘惑に負けたらダメなんだ』
散々誘惑に負けて暴食を繰り返している龍が言うセリフではない。
「邪龍……みたいなのもいるってことか」
『そう。あのイヤなニオイのする黒いヤツ。あいつを食べたらそうなっちゃう』
「あれを食うのか? 冗談だろ」
『あの黒いのが聖なる場所を汚すと困る。だから龍が食べて掃除をするんだ。オイラもよく知らないけど、それで真っ黒になっちゃった龍がいたんだって』
「……その龍はどうなったんだ?」
『もう龍の世界にいられなくなって出てった』
「イヤな思いをして掃除してくれた龍を追い出すのか……ひどいな」
『黒いのを食べるだけなら追い出さないよ。そのあと、もっともっと食べたくなっちゃう。呪魂魔法が得意になって、龍を食べたくなる。その誘惑に負けたらだめなんだよ』
「同族を食べる?」
あの黒い塊を食べると精神も汚染されるということか。
ヒカルは少し、背筋が寒くなった。
ようやくコウがまともな情報を漏らしましたね。





