ラヴィアの救出
夏の近づきを感じさせる陽射しが降り注いでいた。
モルグスタット伯爵家別邸前には一台の馬車が駐められてあった。
牽く馬はふつうの馬とは違う。特殊な血統を掛け合わせた馬力の高い馬だ。
馬車の造りもがっちりとしている。金属製の骨組み、魔物素材を使った紫紺の幌。
出入り口には金属製の鉄格子でできた扉があり、外側に大きな錠をかける仕組みとなっていた。
「…………」
「おいおいイースト。なにふてくされているんだ。これで俺たちは晴れて王都に戻れるんだぞ?」
「……やはり納得がいかない」
「まーだ気にしてるのか。ラヴィア嬢が伯爵殺害の真犯人かどうかは王都で調査される。それでいいだろう」
「だが調査官は到着もしていないのだ。なのに最初からラヴィア嬢が犯人だとされている……」
「調査官は明日ごろ着くという話じゃないか。我らが敬愛する騎士隊長も『くれぐれも命令に従うように』ということだった。それでもお前はたてつくのか?」
「ッ! それは……たてついているわけではない。納得できないだけだ」
イーストが頑なに言うが、連れ合いの騎士は深くため息をつくだけだった。
ちょうど同じころ、伯爵邸の地下では、メイドに包丁で刺されかけたあの騎士が地下牢にやってきたところだった。
「さあ、ご令嬢。参りましょうか」
「魔力を解きますぞ」
錬金術師ギルドのギルドマスターが手をかざし、なにやら呪文を唱える。彼の指輪が怪しく光を放つと、鉄格子に浮かんでいた青色の光は沈静化していった。
「ラヴィア嬢、こちらに両手を差し出してください」
「…………」
「なに、外に出るのです。念のため手錠をつけていただこうというだけですよ」
「…………」
ラヴィアはおとなしく両手を差し出す。
その姿を見てごくりと騎士はつばを呑む。
触れれば壊れてしまいそうな、いや、放っておいてもそのまま壊れてしまいそうな少女。
しかしその目はまだ死んでいない。神秘の湖がごときブルーの瞳には……針先ほどの光が残っている。
これをどうにかできたら男冥利に尽きるというもんよ、などと考えてしまう。
もちろん騎士とて自分の立場はよくわかっている。彼女は要注意人物で、伯爵――実父殺害の容疑者だ。王都の騎士団長からも、あるいはもっと上の御方からも「丁重に」扱うよう連絡が来ている。
鉄格子の向こうから騎士が手を伸ばして、その両手に手錠をかける。
手錠は一枚の鋼板に両手首ぶんの穴が空いている形状で、上下ふたつに分かれる。
一箇所が蝶番でつながっているのでホチキスのように両手首を挟み込んでくっつける。
またも錬金術師ギルドのギルドマスターが呪文を唱える。青色の光が手錠に走った。
「今夜まではもちますが、それ以上は厳しいですぞ」
「構いませんよ。夕方には王都に着く」
「そうですか。では私はこれで」
「ありがとうございました。——さ、ラヴィア嬢、行きましょう」
騎士は気軽に言って牢屋のカギを開く。
「……?」
そのときふと、騎士は空気がそよいだように感じた——密閉された、地下なのに。
「空気孔かな」
彼はわずかに浮かんだ疑念を忘れると、伯爵令嬢を連れて地下牢を出た。
騎士に連れられて屋敷から外へと出たラヴィアは、強い日射しに目がくらんだ。
この数日地下に閉じ込められていたこと。また、外出することすら稀であったことを思うと、こうして正面から陽射しを浴びるというのは彼女の身体には強いショックを与えた。
「大丈夫ですか」
騎士が眉をひそめて彼女の身体を支えるが、騎士としてはラヴィアも気になるものの、もうひとつ気になることがあった。
それはラヴィアを運ぶはずの馬車である。
そのそばに、2人の騎士がいる——それは仲間なのでわかっていたことだ。
さらにもう4人増えている。
護送に当たる冒険者だ。だが騎士が聞いていたのは「令嬢を護送することからも女4人の高ランク冒険者パーティーを遣わす」ということだった。
だが、男が4人。
うちひとりは冒険者ではなく、冒険者ギルドの関係者のようだ。
面倒なことにはすでにイーストと口げんかのようなものを始めている。
「どういうことだ。予定の冒険者とは違うではないか」
「そうはおっしゃいましても、冒険者には冒険者の都合がございます」
「貴様はギルドの者だろう。指示の内容どおりになぜしない?」
「ギルドとしては、ご指定の依頼をこなせる冒険者であれば問題ないという判断でございます」
「王国騎士団を愚弄するか」
「なにをおっしゃいます。それこそ冒険者ギルドの軽視ではありませんか?」
まずいことには護送に当たるらしい冒険者3人は、酔っているらしいことだ。あるいは二日酔いかもしれない。
イーストのいちばん嫌いな手合いだ。
「おいおいおい、サブマスターよう。さっさと行こうぜ。夜には王都で行きたい店があんだよ」
「そうだぜ。こんな二流都市でダラダラしてるんじゃ——おっ、あれが護送対象か?」
「おぉぉ……なかなかの上玉じゃねえか」
下卑た笑いを上げる。イーストのまなじりも吊り上がる。
「このような状態で護送など務まらない!」
「あぁ? 騎士様よお、そっちの手に余るから冒険者ギルドに依頼が来たと聞いたぜ? なぁに勝手なこと言ってんだ」
「だがお前たちは冒険者としてもどうなのだ。そのように酔っ払った状態で!」
「でぇーじょーぶだっての。大体この娘は天涯孤独なんだろ? 貴族の味方もいない。だったら誰かが襲ってくることもありえねえ。俺たちゃただの付き添いだ」
「……そんなことまで冒険者に言ったのか!?」
「必要なことでしたので」
しれっとした顔の冒険者ギルドのサブマスターに、イーストがギリギリと歯噛みしている。
「ラヴィア嬢、歩けますか?」
「……はい」
騎士は——女性には優しいこの騎士は、しっかりエスコートして馬車へと連れていく。
御者がやってきて後ろの錠を外した。ラヴィアをそこに入れる。ちらりと見たところ、狭いながらも内装が整っており快適に移動できそうだった。
「……やはり彼女は我々が護送すべきではないか」
小声で、イーストが他の騎士2名に言い出した。
「バカを言え。できないことくらいわかっているだろ。我々だって伯爵殺害事件の当日、屋敷にいたんだ。調査官が来るまで動けない」
「王都から騎士を呼べばいい」
「この戦争で手が足りないから冒険者ギルドに依頼してるんだろうが……それに我が国に女性騎士は存在しない」
「冒険者だって男だろう!」
「それは我々が手配したことではない。いい加減にしろ、イースト」
「…………」
格子越しに3人の冒険者がラヴィアをじろじろ見て口笛を吹いている。
それを苦々しさマックスという顔で見つめるイースト。
無論、女たらしの騎士も気分はよくない。
「あのう、そろそろ出発しても?」
「御者、ちょっと来い」
女たらしの騎士は御者を呼ぶと、囁いた。
「カギを持っているのは貴様だけだな?」
「はい……さようですが」
「あの冒険者どもが扉を開けろとごねても絶対に開けるなよ。あれらに自制心というものはない。この案件は王国貴族が絡んでいる。万が一があったら……困るのは貴様だ」
「は、はい!」
「ならば行け」
御者は挙動不審になりながらも御者台に戻る。
それを見た冒険者たちもそれぞれの馬にまたがった。
馬車が伯爵邸から遠ざかっていく。
「イースト、中に戻るぞ。報告書を書いたら調査官を迎える準備だ」
しかしイーストは、答えなかった。
ただ馬車の去っていった方角をにらみつけていた。
御者は憂鬱だった。
破格の報酬に釣られて受けた仕事が、貴族の護送——しかも殺害犯と来ている。
さらには騎士からも脅された。護送任務に当たる冒険者は信用するな、と。
「次。……ふむ、王都への容疑者移送か。話は聞いている」
ポーンドを出る門で、御者は依頼書を見せた。警備兵が牢の中を確認し、問題ないとする。
「王都まで近いとはいえ、気をつけてな」
「はい……」
御者は馬車を走らせた。
分厚い外壁の下をくぐり抜けていく。馬車が外壁の陰に入った。
「……?」
違和感があった。
馬車を牽く馬の足が、わずかに重くなったように感じられたのだ。
御者はこの道20年のベテランだ。わずかな違いにも気がつく。
振り返る。
左右後方に、冒険者がふたり、あくびをかみ殺しながら馬を走らせている。
前方に視線を戻すと、パーティーリーダーだというノグサが馬を走らせている。
「特に変わったことはない……とすると、路面か」
町を出て、道路が荒くなった。
街道で踏みならされているとはいえ舗装されているのではない。
路面の感覚が違うことで馬の足が重くなったのだろう。
「気が重いな……でも、さっさと終わらせるだけだ」
ごと、ごと、ごと、と馬車は進む。
ちゃり、ちゃり、ちゃり、と小さな音を立てて鍵束が揺れる。
ランクC冒険者ノグサ=ガレージは上機嫌だった。
予想外に早くランクCに昇格できたこともよかった。
「東方四星」とかいう気にくわない女4人パーティーが請け負った、とんでもない金額の護送任務を横取りできたのもよかった。
二流都市とバカにしていたポーンドで接待された娼館だがなかなかの美人ぞろいだったこともよかった。
そして護送対象の少女が美しかったこともよかった。
なにもかもが上手くいっている。
俺を中心に世界は回っている——とまで思っていた。
護送の任務なんてちょろい仕事だった。
ポーンドから王都まで、馬車で6時間。
2時間おきに馬の休憩を挟むので、王都までは2回、休憩ポイントがある。
最初の休憩が終わり、移動中——あらかた酔いが醒めてきたノグサは、馬車の中にいる護送対象に興味が湧いた。
「御者よ」
前方を進んでいたノグサは、馬を御者へと寄せた。
「は、はい……」
「カギを寄越せ」
「は?」
「馬車のカギだ。俺様が預かってやる」
「い、い、いえ、しかしこれは——」
「この俺様が誰かわかっているのか? 冒険者ランクCのノグサ様だぞ? この俺様に逆らうと?」
「め、めめ滅相もありません! た、ただ今回の依頼は貴族様が関わっているということで——」
しどろもどろに御者が言い訳していたときだ。
「おい、ノグサ! 前!!」
「!」
すぐさま腰の剣に手を伸ばし、周囲の警戒をする。
腐ってもランクC冒険者だ。
「なんだ……行き倒れか?」
街道脇の木陰から、よろよろと出てきたのは薬草や果実、茸採集などで森に入り込んだらしき男だった。
「す、すみません、水を分けていただけませんか? 森で迷って、ようやく出てきたところで……」
「…………」
ノグサは御者や仲間にアゴで合図する。先に行け、と。
「しょうがねえな。これでいいか」
「おお、ありがとうございます!」
ノグサが馬を下りて水筒を差し出すと、男は大喜びで受け取った。
「あのぅ……お返しにできるものがこれくらいしかないんですが……」
差し出されたのはしなびた薬草だった。
「チッ。要らん、そんなもの。さっさと帰れ」
「いいのですか。ありがとうございます。なんと心の広い御方でしょう」
「ああ、そうだ。礼の代わりに俺の名前を広めておいてくれ。ノグサ=ガレージ。英雄になる男だ」
「英雄……はい、わかりました」
ノグサは馬にまたがると、前を進む馬車を追いかけた。
前後に展開していた仲間ふたりは、ノグサが来るのを確認すると最初のフォーメーションに戻る。
「人助けも大変だぜ」
「それが冒険者の醍醐味ってヤツだろ?」
「相手が女ならな」
「ちげぇねえ!」
3人そろってげらげら笑う。
何事もない、順調な護送任務——。
の、はずだった。
「……は?」
2度目の休憩を取ったときだ。
渋る御者から馬車のカギを無理矢理巻き上げて——一発ぶん殴ったら素直になった——「ちょっと令嬢にご挨拶でも」などといやらしい笑みを浮かべながらノグサが馬車のカギを開けた。
横長のイスに横たわっていた少女——いや、シーツがこんもりとふくらんでいた。
シーツをめくると、そこには枕や布が詰め込まれていた。
誰かがいる、という偽装だった。
「……え?」
なにがなんだかわからず、ただ、ただ、ノグサの声が漏れる。
狭い馬車。鍵の掛かっていた馬車。見張りはずっとついていた。
それなのに忽然と——護送対象、ラヴィア=ディ=モルグスタットは姿を消したのだ。
一体誰の仕業なんだ……(真剣)