屋内市場の郷愁
アギアポールに到着し、配達物を「塔」に届けたことを、ヒカルは冒険者ギルドに念のため報告した。聖都のギルドは他国と比べるとはるかに小さく、そして整然としていた——受付嬢が美人なのは同じだったが。
どうもモンスターとの戦いなどは教会が擁する神殿騎士たちが討伐するようで、冒険者に回ってくる仕事は護衛や採取が中心なのだという。仕事が少ないギルドには冒険者も近寄らず、必然的に規模は小さくなる。
「確かに、冒険者ヒカル様がこちらに立ち寄ったことを記録しました。ですが最終的な依頼達成確認はポーンソニア外務卿が執行するということです」
と、美人が言う。
「わかりました」
「聖都ではどちらにご宿泊ですか?」
「いえ……宿はまだ取っていません。『グランドホテル』があるようなのでそちらにしようかと思ってますが」
グランドホテルは大陸に広がるホテルチェーンだ。規模が大きいので品質もいい。ただしそのぶん高い——もっとも受付嬢はヒカルがグランドホテルに泊まる、つまりそれだけの財力があると知って、
「そ、そうですか。ちなみにヒカル様は今日のご予定は?」
と髪をなでつけながら聞いてくる。どうやらランクDのヒカルですらこのギルド内ではそこそこのランクらしい。
後ろからラヴィアとポーラの視線を浴びているので、適当にあしらって冒険者ギルドを出る。「グランドホテル・アギアポール」には空室があったのでそこを取り、再度街中へと出た。
『ようやく、オイラの時間!』
コウがうるさいからだ。カフェでパンケーキを食べたのはヒカルたちだけで、コウは食べられなかったためにそれが不満らしい。
『屋台へレッツゴー!』
「それなんだけど、コウ。屋台なくないか?」
『……え?』
この「白い」街を歩いてわかったことは、あまりに整然としているということだ。他の都市には必ずあった屋台がないのもいい例だ。整然としていることは悪いことではないが、あまりに整っていると活気がないようにも感じられる。
『そ、そんなぁ! オイラのグルメ旅が!』
「別にグルメのために来たんじゃない」
『ヒカルはいいよねっ! さっき白くて甘そうなヤツ食べてたもん!』
「ああ、美味しかったぞ。というか白い砂糖があるんだな」
ヒカルは砂糖の白さに驚いたが、この国は「白」にかける意気込みがすさまじく、茶色の砂糖から不純物を取り除き白くする技術はすでに確立しているようだ。魔法まで使って。
他にやることあるんじゃないのか、と思うが、そのあたりが人間の人間たるゆえんなのだろう。
『オイラも食べたい食べたい食べたい!』
「ちょっ、コウ、黙れ!」
ヒカルがコウの口を押さえる——そんなコウがいたのは図らずもラヴィアの胸の上で、
「ひゃっ!?」
「あ、ごめ——」
しかもホテルを出たばかりのところ。
通行人たちが足を止め、なんだなんだとこちらを見る。
「…………い、行くぞ!」
あわててその場を離れた。
それから街を歩いて人に道をたずねると、屋台も確かにこの町にあるということだった。屋台だけでなく市場も。ただしそれはすべて——。
「まさか……全部屋内に入れるとはね」
目の前には巨大な白の倉庫。倉庫というより体育館を4倍にしたくらいの大きさだろうか。天井は高く円くなっており、通りに向けて大きく扉は開かれている。
中から聞こえてくるのは威勢の良い商売の声だ。多くの人が入り、出て行く。それぞれ手には買った商品や財布を抱えて。
「おお……」
中に入ると外よりもはるかに暑い。人々の熱気だ。魚を焼いたニオイ、脂のニオイ、古い家具のニオイ、香辛料のニオイ、人間のニオイ——様々なニオイが入り交じって頭がクラクラする。
どうも、路上での商売は教皇が認めないらしく、仕方なくこうして屋内市場ができあがっているらしい。フリーマーケットのようでもあり、屋台街のようでもある。この国だけでなく様々な国から人が来ているのだろう、獣人たちもふつうにいる。
この屋内市場はアギアポールに全部で13もある。
その中に、ふと嗅いだことのあるニオイがあった。わずかに甘みを感じさせるニオイ。この世界では嗅いだことのなかったニオイ。
「もしかして……」
ヒカルはここで、あるものを発見した。
「ちょ、ちょっと疲れたかも……」
30分も屋内市場にいると人に酔う。ラヴィアが音を上げたが、すでにポーラはなにかを言う元気もない。両手に一杯食料品を買い込んだヒカルたちは外に出る。
だが、外で食事をすることもできない。教皇が禁じているからだ。代わりに、屋内市場に併設された食事用の建物がある。
「なんともお行儀のいいことで……」
こちらはさほど混んでいないので、空席の目立つあたりに落ち着いた。
早速コウが、川魚の干物に食いついている。バキバキ音を立てている姿は枯れ枝でも食べているかのようだ。
「にしても——これがあったとは」
あれだけ混んでいた屋内市場だったけれど、ヒカルにとっては入った価値があった。そう、思えるだけのものを手に入れたのだ。
「ヒカル……そう言えば目の色を変えてそれを買っていたわね」
「なんなのですか、それは? 白いですけど……」
ラヴィアとポーラはこれがなんなのか知らないらしい。
「……パンみたいな主食なんだ。水を吸わせて炊き上げると、こういうふうになる」
不格好な、丸く白い物体。
懐かしさのあまり5個も買ってしまった。日本にいたとき、これをこんなに食べたことなんてなかったのに。
「米だよ。これはおにぎりという料理……料理なのかな? まあ、そんなところ」
「そんなに美味しいの?」
「食べてみたらいい」
ヒカルが勧めると、ラヴィアとポーラは半信半疑という顔で手に取る。指に米粒が手にくっついたので眉をひそめた。
「……そうだよな、ご飯だってこの世界にもあるんだよな」
米粉を使って作った麺なら食べたことがあった。だけれど「ご飯」として出てきたことは一度としてない。おにぎりを売っていた店主に「なぜこの店はこれを扱っているのか」と聞いたところ「白いから」という答えが返ってきた。ポピュラーな食べ物ではないという。
このときばかりはヒカルも、この国の白へのこだわりに感謝した。
ヒカルもおにぎりを手に取る。ひんやりとしていて、ぎゅうぎゅうに握り混まれているため固い。
「——はむっ」
一口噛んで、咀嚼する。固い。炊き上げが十分ではなく、芯がある。しかも日本の米のような甘みのある米でなくて、長細く、ニオイのある米だ。日本のレストランでこんなものが出てきたら一口食べて突っ返すだろう。
「……ヒカル?」
「ヒカル様……」
ラヴィアとポーラのふたりが、神妙な顔つきで食べるヒカルを気遣ったように言う。
「……おかしいな。こっちに来て、郷愁に駆られたことなんてなかったのに……こんなマズイおにぎり、喜んで食べることなんてなかったのに」
マズイ、と聞いてラヴィアも恐る恐る一口食べたが、顔をしかめるとすぐに紙包みに戻した。ポーラは無理に食べている。
ヒカルは笑ってしまった。
「はは。無理することはないよ。僕だって思い出補正がなければ食べたりしない」
「思い出……思い出があるのね、この食べ物に。ヒカルの思い出が」
「そうだね。昔はこればっかり食べてたから」
「…………」
するとラヴィアはまたおにぎりを手に取って食べ始めた。
「ラヴィア。無理は——」
「無理じゃないわ。わたしはヒカルのことをもっと知りたいの。……もぐっ」
喉に詰まらせたラヴィアに、ヒカルはジュースを差し出した。甘ったるい果実のジュースはおにぎりにはまったく合わないだろう。
「ヒカル様の故郷では、こういったものを食べていらっしゃったんですね」
「これより、ずっと美味しかったけどね」
「そうですか……私は初めて食べました」
少し、残念そうにポーラが言った。彼女の気持ちはヒカルもわかった。きっとこう言いたいのだ——自分ももっとヒカルのことを知りたい、と。でもそれはためらわれる。ヒカルが詮索されるのを嫌うと知っているからだ。
(ポーラにも僕のことを話すのは、そう遠くない未来だと思ってたし……そうだな、今回のことが終わって、落ち着いてスカラーザードに戻ることができたら話そうかな。僕がこの異世界に来た経緯について)
それからヒカルは残り1つのおにぎりを食べた。ほんとうはもう1つあったのだが、すでにコウが食べた後だった。『美味しくないね、これ』という感想もつけて。
ここでまさかの白米登場。
ヒカルの反応は神妙ながらも淡泊という感じでしょうか。





