その街の白さは
アギアポールに到着したヒカルは、まずその町並みの白さに目を奪われた。屋根にも白みを含んだ木材を使い、さらに白い塗料を塗っているらしい。まるでエーゲ海に浮かぶサントリーニ島を思い起こさせる。
(あれは石灰を塗っているんだったな。でもここは、石材自体が白い)
街全体が白いことで太陽光を反射し、暑さが一段下がるという。ビオス宗主国の首都、アギアポールは、確かにポーンソニア王都よりもずっと南にある。冬でも外套を羽織らなくても問題ないほどだ。夏の暑さは相当なものだろう。
ちなみにサントリーニ島の石灰には温度を下げるだけでなく消毒の意味合いもあったようだが、この街ではそれは関係ないだろう。
「うわあぁ……ここが夢にまで見た聖都アギアポールなんですね……!」
ポーラがやけに感動し、その横ではラヴィアもきょろきょろしている。ふたりとも観光する準備はバッチリだ。
だが、先にやるべきことがある。
ヒカルは宿を取る前に、用事を済ませようと目的地へと向かった。ポーンソニア王女クジャストリアの親書を届けるのだから、当然教皇が相手——つまり「塔」へと向かった。
「これ、これ」
アギアポールでひときわ大きい「塔」は、迷うことなく向かうことができた。どう見ても濠が巡らされ、どう見ても城門があり、どう見ても兵士が守っているのだが——「塔」なのだ。その門をくぐったところで、声を掛けられた。灰色の修道士——だいぶ年のいった老人だ。
「僕ですか」
「そう、そう。勝手に入ってはいかんよ。ここは観光地ではないのだから」
「重要な用件があって参りました」
「観光は、重要な用件とは言わないね」
「観光ではありませんよ」
「お嬢ちゃんたちがキャアキャア言っているが」
「ハッ」
後ろを見るとラヴィアとポーラが建物を指差してはあーだこーだ言っている。ヒカルから見ても観光客かお上りさんである。
「参ったな……。一応、僕は用事があるんですよ」
ヒカルが冒険者ギルドから渡された依頼証明を見せる。これはヒカルの身分を保証するものであり、一方で通行手形のようなものでもある。
老人はそれをちらりと見ると、
「なるほど……ならば持ってきた親書をこちらに渡しなさい」
「しかるべき人物に渡さなければなりません。取り次いでいただけますか」
「これ、これ。ワシが受け取ると言っているのだ。早く出しなさい」
「ちゃんと教皇聖下に渡ったかどうか確認する必要があります」
「教皇聖下に!」
驚いた、とばかりに老人は大仰に手を口に当てる。
「どうしたのだ」
そこへ、城門を守っていた兵士がやってくる。フードをかぶっているが鎖鎧に大きな槍を持っている。
「ポーンソニア王国の親書があるのだそうだ。教皇聖下に取り次げと言う」
「なにをバカな……なんだ? 見れば冒険者ではないか」
ヒカルは肩をすくめる。
「一国の王女の親書を持った人間に対する扱いじゃないと思うけど?」
「ぶわっははは! 使節にでもなったつもりか? 坊主、その大事な書類とやらをさっさと出すんだ。こっちでいいようにしてやる」
「…………」
どうやら、ヒカルは認識違いをしていたらしい。ここまでビオス宗主国に、「他国に優先している」という自意識過剰があるとは思わなかった。
「じゃあ、アンタたちのどっちでもいいんだけど、今日確かに受け取ったっていう証明書を書いてくれ」
まともに相手をするのもバカバカしくなって、ヒカルは言った。態度の変わったヒカルに、兵士が驚く。
「な、なにを……証明書など出せるわけがなかろう」
「僕に必要なのは、期日以内にここに届けたっていう証明なんだ。それだけでギルドから報酬が出るかどうかが変わる」
「それは冒険者ギルドの話だ。我々の関知するところではない」
「じゃあ冒険者ギルドから正式にクレームを入れさせてもらうかな。期日までに3日くらい余裕はある。国同士のもめ事でクレーム入ったら、兵士のひとりやふたり首が飛んでもおかしくないだろ」
ヒカルがくるりと背を向けると、あわてたのは兵士だ。
「ま、待て! わかった……『青の騎士』様に受け取りの証明書を書いていただこう」
「これ、これ! なにを言う。そんなことで騎士様の手を煩わすなど……」
「灰色で片付く問題を超えているのはわかっているだろう」
「ぐぬ……」
兵士と老人がやり合っているのを見てため息が出る。ああ、どこもかしこも階級社会だ、と。
結局兵士が走って、受け取り証明を持ってきた。中身を確認し、問題なさそうなのでヒカルは親書を渡す。
「よし、これは騎士様に届ける。もう帰ってよい」
「…………」
「まだなにかあるのか」
「……いや、別にいい」
ポーンソニアは内戦によって混乱している。その混乱を解決できるかもしれない調停なのだ。それを——期日が設けられ先触れが来ることも兵士は知らないし、その先触れを歓待するでもない。これから正真正銘、ポーンソニアを代表する使節が来るというのに、その先触れをぞんざいに扱うことをなんとも思っていないのだ。
これがこの世界の常識なのか、あるいは単にこのアギアポールがおかしいのか——ヒカルが兵士に背を向けたときだ。
「いやですっ! 離してください!」
「なんだと! こちらのゲロップ様がわざわざお声がけくださったというのに!」
ラヴィアをかばうようにポーラが前に出ている。そしてポーラの手をつかむ灰色の修道士がいた。
その向こうに、にたにたといやらしい顔で笑う修道士がいた。でっぷりと太っており、どのあたりに信仰の篤さがあるのかわからない。
太った修道士——ゲロップが言う。
「このワシはな、『赤』に最も近いと言われている『導師ゲロップ』だぞ。見よ、この袖を!」
「おお、ゲロップ様。なんとも流麗な3本線」
「徳の高さを感じますな」
袖に3本ラインの刺繍が入っているだけだった。取り巻きの修道士はと言うと1本だったり、あるいは線がなかったりだ。
「なかなか可愛い顔をしておる。ワシが自ら教えを説いてやる」
「だから離してくださいっ!」
「こっちへ来い! ゲロップ様がこうおっしゃって——うぐっ!?」
ポーラをつかんでいた男の表情が強ばる。その手首を、横から握られたのだ。
「おっと、よく見たら修道士か。どこぞのチンピラかと思った」
「ヒカル様!」
「ヒカル!」
修道士の男はヒカルを見て、なんだ子どもかという顔をしたが、直後にわけがわからなくなる。とてつもない力で手首が握り込まれ、ポーラを手放さざるを得ない。そして手首はみしみしと音を立てている。
ヒカルは「筋力量」に1ポイント振っている。力仕事をする大人や、冒険者と同じくらいの力を持っているのだ。
「う、ぐっ!? い、痛い……」
「おい、なにをしている! 次から次へと!」
兵士が走ってくる。ヒカルは男を解放すると、ゲロップをにらみつける。ゲロップは不愉快そうに顔を赤くする。
「こんなふうに女を無理矢理連れ去るのが信仰の道か?」
「貴様……このゲロップを怒らせるなよ」
「なにがあったのだ!」
兵士が間に入ろうとするが、ヒカルは無視して歩き出す。ラヴィアとポーラの手を握って。
ゲロップはこちらをじっと見ていたが追ってくることはなかった。
「……なんなんだよ、ここは」
思わず文句も出るというものである。
「うう、ヒカル様、すみません……私、はしゃぎすぎてしまって……」
「ポーラは悪くないわ。はしゃぐことが悪いならわたしだって悪い。大金を手に入れたときのヒカルだって悪くなる」
「ちょっと待った。それじゃあ僕が大金をつかんだときにはしゃいでるみたいじゃないか」
「愉快痛快のセンクンを倒して1億ギラン手に入れたときのヒカルははしゃいでたように見えた」
「うっ」
それを言われると否定できないところである。
と、注文していた料理がやってきた。冒険者ギルドに一応報告に行く前に、気分転換にカフェへと入ったのである。
メレンゲを使ったパンケーキが名物だというのでそれを頼んでいた。そこにかかっているのは生クリームに白砂糖。とにかく白い。テーブルは白で皿はグリーンなので、メリハリは一応ついているのだが。
「ただ、まあ、ラヴィアの言うとおりポーラは悪くない。あんなふうに絡んでくるバカが悪いんだ」
「そ、そうでしょうか……」
「ポーラも正直になったらいいのに。ヒカルが絶対助けてくれるって思ってたでしょ? 助けられてうれしかったでしょ?」
「ふぇ!? え、ええっと、あの……はぃ……ヒカル様が助けてくれると思ってました」
人差し指同士をつんつんぶつけて上目遣いでこっちを見てくるポーラ。ヘアスタイルからなにから変わって見違えるようになったポーラがそういう仕草をするとなかなかぐっとくるものがある。
「はぁ……そういうことか。全部ドドロノさんのせいってことだな。ポーラを可愛くしてしまったあのドワーフが悪い」
「え!? そそ、そんな! 私は別に——」
「ヒカル、いいこと言ったわ! わたしもそう思ってた! あちこちから視線がポーラに刺さってるもの!」
するとポーラが「そんなことないよぅ! ラヴィアちゃんが可愛いから」「違う、ポーラ」「違う違う」「違わない」とかふたりで言い始めるので、
「はいストップ。キリがないからそこまで」
ヒカルが止めた。最近このふたりが仲良すぎていつまで経っても話が進まないことが多い。それはうれしい反面、男の自分が置いて行かれているようでちょっと寂しいヒカルである。
「……で、気になったんだけど、ここって色によって階級が分かれてるんだよな?」
「はい、『神階五種』ですね。白の教皇様を頂点に、紫、赤、青、灰となっています」
「でもポーラに絡んでた——ゲロデブだっけ?」
「え、ええっと……ちょっと違うような?」
「まあいいや、男の名前なんてなんでも。アイツは、導師だなんだって言ってたよな」
「それはですね、なんでも同じ『灰』の中でも上下を分けているみたいなんです」
「同じ灰色なのに?」
「そうです……公的なものではないようですが」
ふー、とヒカルはため息をついた。今日はため息がよく出る。
「3人集まれば派閥が2つできる、とはよく言ったものだけど、なんでもかんでも順位付けしなければ気が済まないのかよ……」
「ヒカルはこの街が嫌い?」
ラヴィアにたずねられ、ヒカルは少し考える。
「第一印象は最悪だな」
「でも見た目は美しいわ」
「中身が醜悪なら美人だって台無しさ。——まあ、外務卿が到着する数日は時間があるから、観光でもしようか。そうしたらこの街のいいところも見えるかもしれないし、いい人にも出会えるかもしれない……」
ヒカルは言いながら疑問に思う。自分がわざわざ10日の期日を7日という短い時間で到着した。この意味を理解できる人間はちゃんといるんだろうな——と。
メレンゲのパンケーキをスプーンですくって口に運ぶ。
口の中に甘ったるさが広がった。ちょっとした調理ミスも、分量ミスも、覆い隠せるほどの甘さだった。
我ながらひどい名前で敵キャラを出してしまった





