職人の葛藤
約束の日になったので、「レニウッド武器工房」へとやってきたヒカルたち。中に入るとレニウッドだけでなくドドロノもいた。
「やあ。あれから10日経つけど……その、いろいろ大変だったみたいだね」
レニウッドもドドロノも、ふたりとも目の下にべったりとクマを作っていた。
「おうよ、そりゃもう聞くも涙語るも涙の苦労ってえもんがある……だがな、いい仕事ができたぜぃ!」
「じゃ、鞘を見せてもらってもいいかな?」
「これだ!」
店のカウンターに置かれたのは、真っ黒の鞘だった。表面に光沢があるが、革製品ではない。鉱石や金属、あるいは——。
「……木材?」
手にしてみるとひどく軽い。そのくせ手のひらに吸いつくような感覚があった。
「そのとおりィ! こいつぁ『常闇の神木』ってぇレア中のレア木材を利用した鞘でよ、『あらゆる存在を覆い隠す』特性があると言われてる。『常闇の神木』は森に隠れているハイエルフが数量限定で細々出荷しているもんだ」
「へぇー」
木の「隠密」か——とヒカルは感心する。とにもかくにも試してみたいので、レニウッドとドドロノにはまた目をつぶってもらって「次元竜の文箱」から脇差しを取り出した。
「お、おおぅ……相変わらずすげぇ迫力だぜぇ」
目を開けたレニウッドが、脇差しの刃紋をまじまじと見る。刃から得も言われぬ気配が漂っている、そんな武器だった。
ヒカルは鞘を持って切っ先から脇差しをしまい込む——と。
「え?」
「おおっ、こ、こりゃぁ……」
目を凝らさなければわからないだろう。が、鞘の表面にうっすらと——濃い紫色で紋様が浮かび上がった。これは、紋様というより「絵」に近い。「龍」がそこに描かれていたのだ。
「『常闇の神木』は気配を隠すだけでない、なにか特別な効果があるんじゃねぇか、ってこいつを卸してくれた商人は言ってたんだが……こいつぁ驚いたな」
「レニウッドが仕込んだ模様じゃないのか?」
「俺っちじゃあねえよ。正直なところ、この素材は扱いが相当面倒で、形を整えるだけで手一杯だった」
ならば脇差しに含まれる魔力反応——コウの魔力、あるいは生命力がこの龍を浮かび上がらせたということだろうか。
「どっちにしろ、気配は完璧に隠せてる。……うん、ありがとう」
「よせやい! こんな大事な仕事を任せてくれて、俺っちこそ感謝感激雨あられだぜ」
脇差しを「次元竜の文箱」に閉じ込めたままではいざというときにすぐに使えない。これでようやく携帯可能となったことがヒカルはうれしい。
「お代はいくら払ったらいい? 素材、高かっただろ?」
「そりゃぁもう、とんでもなく高かった。20万ギランもした」
「わかった。レニウッドさんの工賃を足して、30万ギランってところかな?」
「……いや、20万ギランでいいぜ」
「え? そういうわけにはいかないよ。工賃ナシなんて」
するとレニウッドは、神妙な顔で語り出す。
「ヒカルよぉ。俺っちは正直、ここんとこの内戦騒ぎで気が滅入ってたんだ。鍛冶職人ならちゃぁんと覚悟しなきゃいけねぇんだけどな……自分の武器で人を大量に殺すこともあるってぇことは。それでもどこかで、俺っちの武器は冒険者が魔物を倒すために使うんだ——みてぇな気でいたんだよ」
それは職人としての葛藤だった。避けては通れない問題でもある。
「今回のことはいい機会だったのはそのとおりなんだ。俺っちは自分の力で乗り越えなきゃいけなかった、それがどれほど苦しくてもな。——そんなときだよ、お前さんと、その脇差しが来たのは」
レニウッドはヒカルと、脇差しとを指差す。
「予算無制限。難易度はとんでもなく高い。でもって俺っちを信用してくれる……こんな依頼、初めてだった。エルフの鍛冶師を心から頼る冒険者はほとんどいねぇからなぁ。そんで、今回の仕事に没頭してたあるとき——気づいた。そりゃもう空から落っこちてきたみてぇに、気がついたんだ。俺っちはまだまだなんだ。こんなヒヨッコがなにをいっちょ前に、武器と殺人の葛藤なんてしてやぁがると」
そしてレニウッドは笑った。
「鍛冶は、命をつなぐ技術だ。人々の生活を支える道具や、暴力から守る武器を作れる。悩むのはずっとあと——そう、俺っちがめちゃくちゃ有名になって俺っちに鍛冶を依頼する客が列をなしてこの街を5周するくらいになってから、悩めばいいんだと開き直れた」
「今んとこゼロじゃがな」
「うるせぃ、ドドロノ!」
レニウッドが怒鳴ると、にたにたしながらドドロノは肩をすくめた。
「そんなわけでよぉ……ヒカル。こっちこそありがとうな、この依頼。俺っちの今できるすべてをぶち込んだ。工賃を払うってぇなら、また今度、お前さんのために火を使わせてくれや」
「……レニウッドさん」
工賃を払うのに十分なお金はある。だけれどこれはレニウッドの心意気なのだ。
「わかった。20万ギランだけ支払う。それと——予約させてもらおうかな、次にまたレニウッドさんに打ってもらうっていう」
「おおよ! 任せとけ!」
レニウッドにお金を渡しつつ、ヒカルは握手をかわした。ひょろりとしたエルフなのに、その手はがっちりとして頼りがいがあった。そして腕のあちこちには火傷の痕がある。職人の手だ、とヒカルは思った。
レニウッドは「腕力の短刀」も調整してくれていたようで、これも「サービス」だとして無料にしてくれた。
「さーて、次はワシの番じゃぞ!」
待ちかねたようにドドロノが言う。風呂敷に包まれた衣服がカウンターに置かれた。
「あれ? ヒカル様、鞘だけでなくお召し物も誂えたのですか?」
「——ん、そうだよ。ポーラ、こっちへ」
ポーラの問いに、ヒカルは笑って返す。
「え、っと……?」
「そうじゃないかと思っておったがやっぱりこの子が着るんじゃな!」
ドドロノがポーラの全身を見て言う。オシャレドワーフのドドロノの視線に、いやらしい部分は欠片もない。純粋に、自分の作った服が合うかどうか確認している。
「ヒカル様……?」
「見せてもらおうか、ドドロノさん」
「もちろんじゃよ!」
風呂敷が開かれると——そこには見るからに編み目のしっかりした灰色の服が現れた。
「回復魔法使い用のローブということで、教会や治療院を連想する『灰色』を使うことにした。見る者に安心感を与えるからの。素材じゃが、この布を織れる機織りならば一生食うに困らんという腕前でな、ワシもひいきにさせてもらっておるところのいちばんの布地を用意した。汚れがつきにくく、丸洗いも可能じゃ。夏は涼しく冬温かいという精霊魔法石もいくつか織り込んでおる。極め付きはエルダーモスの鱗粉を揉み込んだ、この銀色の糸じゃ。ところどころのステッチで使われておるじゃろ? こいつには魔力の自然回復を促す効果があり、この銀糸だけで40万ギランがかかっておる」
「よんじゅっ……!?」
唖然とするポーラとは対照的に、ヒカルは、
「このボタンは?」
「よく気づいたのう。今は黒いボタンじゃろ? これを着ておるとだんだん白くなっていく——余分な魔力をチャージできるのじゃ。真っ白になれば満タン。魔力を大量に使ったときに握りこめば、吸収できるぞい」
「すごい技術だな……」
今まで聞いたことのないものだ。ヒカルが不思議に思っていると、
「実はのう、これはケイティという女史が提供してくれたのじゃ」
「ケイティ先生が?」
「うむ。錬金術師ギルドや素材屋を回ってワシがローブのアイディアをひねり出そうとうんうんうなっていると、話しかけてきてな。聞けばヒカルの知り合いだという。これは協力してもらおうとワシが申し出ると快諾してくださった」
「へぇ……」
意外な縁もあるものだった。
「そうそう。ケイティ女史は故郷に近々帰ると言っておられたぞ」
「後で会いに行ってくるよ、お礼かたがた」
「うむうむ。ワシからの説明は以上じゃ。なにか質問や意見はあるかいの——お嬢さん?」
「え、えっ? わ、私ですか?」
まだ、よくわかっていないポーラがきょとんとしている。
ヒカルはローブを手に取ると、ポーラに差し出した。
「これは君へのプレゼントなんだ、ポーラ」
「————え?」
「君がいてくれるおかげで、なにかあったときにも大丈夫という安心がある。それに君は……僕との約束を誠実に守ってくれてる。ほんとうに、ありがとう。これからもよろしく」
「ヒ、ヒカル様……」
ぽん、と彼女の両手に手渡すと——ポーラの目からぽろぽろと透明な涙があふれてこぼれていく。
「ポーラ?」
「わ、わた、私……ずっとずっと不安で……ヒカル様やラヴィアさんのお邪魔なのではないかって……!」
するとラヴィアが、
「邪魔なわけないわ。わたしもポーラがいてくれて安心できるの。わたし、ずっと人付き合いのないところで暮らしていたから、お友だちの作り方も知らなくて」
ポーラの背中をさする。
「だから、ポーラがもしよければ……わたしの初めてのお友だちになってくれないかしら?」
「はいっ……! 私なんかでよければ!」
ラヴィアがハンカチを出してポーラの顔を拭いてやる。両手はローブで塞がっているからだ。
「もう他人行儀は止めて、敬称は外して呼び合いましょう?」
「じゃ、じゃあ……ラヴィアちゃんで! 私も、ちゃん付けで呼べる友だちが欲しかったんです!」
「ふふ。それでもいいわ。ほんとうはもっと早くにこうしたかったのだけど——ごめんなさい、わたしもずっとあなたを……その」
「わかります……そう簡単には信用できませんよね」
「……ごめんなさい」
「謝らないでください、ラヴィアちゃん。大切な人を守るため、なんですよね?」
それが自分のことを指しているのだとはヒカルにもわかる。
「ポーラ」
「ラヴィアちゃん」
「これからもよろしくね」
「はいっ。こちらこそ!」
ふたりは手を取り合って笑い合った。
「あー、ひとつ謝らなきゃいけないんだけどね、ポーラ。偉そうに君へのプレゼントとか言ったけど、この代金はケルベックを治療したお礼をそのまま流用してるんだ」
「それは、私のお金ではないので構いません——え、ということはこれって100万ギランのローブなのですか!?」
「うん」
「————」
ポーラが口をぱくぱくしているが、ヒカルは視線をドドロノに向ける。
「ドドロノさん、代金は100万ギランでいいかな?」
「もちろんじゃ!」
「おっとドドロノぉ、これなら素材だけで100万ギランよりちぃっとばかし足が出てるだろぉ?」
「バ、バカもん! なんでここでいうのだ、レニウッドよ! ——ヒ、ヒカル、いいのだ、ワシもお前さんが任せてくれたことに全力で答えたかっただけじゃから!」
「……ダメ。ちゃんと値付けしてくれ」
「うう……」
ドドロノは渋っていたが、工賃は端数切り上げだけ、ということでなんとか納得し、110万ギランを受け取った。
「時にヒカル」
「ん?」
「ワシ、どーしても言いたいことがあるんじゃ」
「なに?」
ふう、と小さく息を吐いてから、ドドロノは、
「ポーラちゃんと言ったのぅ! なぁんでこんな髪型なのじゃ!」
「ふぇっ!? わ、私ですか!?」
「ちゃぁんとセットすればもっと輝くに決まっておる! この子は宝石の原石じゃよ!」
「——やっぱり。わたしもそう思ってた」
ラヴィアまで賛同する。
ちなみにポーラの髪型は、目まで隠れるような前髪に、後ろ髪はそのまま流しているだけという感じだ。
「そうなの、ラヴィア?」
「ええ。ヒカルが純情そうなポーラが好きなのかと思って、特に言わなかったのだけど」
「……別にそんなことはない」
「というわけでのう! この子を磨きたいんじゃ、ワシは!」
「ひぃっ! ヒ、ヒカル様ぁ!」
「どうぞ」
「ヒカル様!?」
「じゃ、ワシの工房に連れて行くぞい!」
言うが早いか、ドドロノはポーラを引っ張っていった。
「あーあ……行っちまった。せっかちな野郎だぜ、まったく。でもま、腕だきゃぁまともなんだよなぁ」
憎まれ口を叩き合う仲だが、それでもレニウッドはドドロノを認めているようだった。
次回、ポーラがミラクルチェンジ!





