教会の腐敗
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神父を探す——と言ったポーラだったが、彼女が考えていることはひとつだった。
(ヒカル様を探そう。そして……回復魔法を使っていいかどうか聞こう)
あの親子を前にして、自分が回復魔法を使えると言うことはできなかった。秘密を守らなければいけないこともそうだし、許可を求めたときにヒカルが「魔法を使うな」と言う可能性もある。
結局のところポーラは、自信がなかったのだ。
あらかじめ聞いていたホテルへと走る。思いのほか第1居住区から離れていたようで、ホテルに着いたころにはポーラの息は切れていた。それでも、重い足を引きずって3階の部屋へと向かう。
「ヒカル様——」
「? ポーラ?」
そこにいたのはラヴィアだけだった。
事情を聞いたラヴィアは「すぐに助けに行きましょう」と言ってくれた。それだけでポーラは泣きそうなほどにうれしかった。ヒカルがいなかったことは誤算だが、ラヴィアの許可でも問題ないのだ。
ただ、ポーラの回復魔法は秘密なので、一工夫が必要だった。
それが、ラヴィアの変装だ。
ラヴィアが頭からすっぽりかぶれるフード付きのローブを引っ張り出す。最小限の肌の露出で済ませ、ポーラではなく「ラヴィアが回復魔法を使う」フリをする——というわけだ。
「——よしっ。オーケーよ、行きましょう」
最後にラヴィアがなにかメモ書きを残すと、ふたりはホテルを飛び出した。
往復にかかった時間は1時間近くになっていた。その間に、少女の容態が急変していないかどうかだけがポーラの心配事だった。
「ぜえ、ぜえっ、あ、あそこ、です……」
すでに足腰へろへろのポーラ。ラヴィアはソウルボードの「スタミナ」に1振ってあることもあり、まったく疲れた様子はない。そのためラヴィアが先行して教会のドアを開いた。
「——ポーラ、一足遅かったみたい」
「え……」
数歩遅れて、ラヴィアの横に並んだポーラが見たのは、
「わっはははは! これでフランはワシのものだなぁ!」
はげ散らかした小太りのオッサンが、高笑いしているところだった。
ポーラの酸素不足の脳は、なにが起きたのかを想像する——ポーラが帰るよりも先に、神父が戻ってきたのだ。そして大工の父親から事情を聞き、多額のお金と引き替えに回復魔法を使うことを要求した。
そしてもう、回復魔法は使われた後なのだろう、大工の腕に抱かれる少女フランはいくらか落ち着いたような顔つきだった。
「そ、それは違う。俺はあくまでも金額を条件として呑んだんだ! フランの身柄じゃねえ」
「バカを言え。50万ギランもの大金、お前が払えるわけもないことくらいわかっている。独立のために貯めたという金も、20か30と言ったところだろう?」
「それは——」
「であれば借金の形にフランを身請けしてやろうというのだ。ありがたく思ってもらわなきゃあ困る。なんの取り柄もない平民の小娘を、50万ギランで引き取ってやるというのだから」
「ち、ちがっ」
「違わん! であれば金を返すあてがあるのか? ん? なかろう、ボルテックよ?」
間に合わなかった——。
無力感を覚えたポーラはその場でへたり込んでしまう。
だが、
「ちょっと待ちなさい」
凜とした声を発したのは——フードをかぶったラヴィアだ。
「……何者だ?」
警戒心たっぷりに神父は聞いてくるが、大工の父親——ボルテックはポーラに気がついた。ポーラが呼んできた人間だとわかりはしたろうが、なにもかも遅すぎたという顔をしている。
ラヴィアは神父の誰何など気にせず進んでいき、少女から3メートルほど手前で立ち止まる。
「完璧に治っていません」
「なっ!?」
「少女の容態は回復していますが、病根は残っています。これで治療完了とはちゃんちゃらおかしい」
ポーラもハッとして顔を上げ、走り出す。少女のそばへたどり着くと彼女の手を取る。
「……そのとおりです。一時的に病状は回復していますが、完治からはほど遠いと思います。その証拠に、まったく体温が上がっていません」
「なんだって!? ほんとうかい、嬢ちゃん!」
「急変する容態と、先ほどの様子を見るに、フランさんは肺病だと思います。完治させるには回復魔法でも病気治癒に特化したマスタークラスが必要です。彼女に今使われたのは病気治癒の回復魔法でも見習いクラスだと思います」
「————」
唖然としたボルテックが娘を見、それから神父を見やる。
「ゲスタァァァ!! てめえ、子供だましの魔法で『治した』とか抜かしやがったのか!!」
「なっ!? バ、バカ者が! 病気治癒の回復魔法を修めている回復魔法使いが王都広しといえどどれだけいると思っている!?」
ゲスタ神父の言うことも正しい。
回復魔法の使い手も少なければ、病気治癒用回復魔法の使い手はさらに少ないのだ。
ポーラはフランの呼吸音に耳を澄ませる。
「——病状がよくなったように見えますが、肺には水が溜まっているようです。マスタークラスの回復魔法を今すぐ使うべきです」
「ポーラ」
ラヴィアはポーラの名を呼ぶ——その真意は「使えるの?」である。ポーラはラヴィアの意図を正確にくみ取ってうなずく。
「先生、お願いします」
「わかりました。すぐに魔法を使いましょう」
やりとりを聞いたボルテックとゲスタが驚いて声を上げる。
「せ、先生だって!? お嬢ちゃん、アンタ、ゲスタを呼びに行ったんじゃないのか!?」
「こんなうさんくさいヤツにマスタークラスの病気治癒用回復魔法など使えるわけがない!」
だがそれに構わず、ポーラはボルテックからフランを受け取ると床に寝かせる。フランを挟んでポーラと向かいになり、膝をついたラヴィアは、ポーラと同じようにフランの額と胸に手を当てる。
「『天にまします我らが神よ、その御名において奇跡を起こしたまえ。右手がもたらすは命の恩恵、左手がもたらすは死の祝福。地において生ける我らに恩恵をたまわらんことを。我が身より捧げるはこの魔力。光当たる聖者の道をむしばむは身中にある闇の霧。そは人のものにあらざりき、邪の邪なるがゆえのものにて、神の御力によりて祓いたまえ』——」
長い詠唱だった。文言についてはここまで走ってくる途中にポーラから聞いていたのと、ラヴィアが冒険物語で読んでいた知識もあったので、途中怪しいところはもごもご言えば問題なかった。
ポーラは、【回復魔神:エクストラヒーラー】の「職業」を手に入れてから急速に使える魔法を増やしていった。特殊な訓練を積まないと「支援魔法」を使えないと思っていたのに実際に使えた——その経験が大きかったらしい。できるかもしれない、という魔法についてはどんどん取り入れている。
ラヴィアよりもかなり小さな声で、ポーラは詠唱している。声の大きさは威力に関係ないからだ。
そして気づけば——フランの身体が金色に輝いていた。
「フラン!? フラン!!」
「まさか、これは本物のマスタークラス!?」
光が止んだとき——そこには血色の良くなった少女が寝そべっていた。
「フラン……?」
ボルテックが恐る恐るたずねる——と、
「お父さん……?」
ぱちりと目を開いたフラン。
「フラン!」
「お父さん——すごい、すごいよ!? 身体が軽い、羽根が生えたみたい!」
飛び起きたフランは父に抱きついた。
「よかった……よかったなあ……」
ぼろぼろ涙を流しながらボルテックが娘を抱きしめる。
「ふぅ——とまぁ、これが本物の病気治癒というヤツですよ」
ラヴィアは、まったく疲れていないがフードの中に手を突っ込んで額を拭うフリをする。むしろポーラがヤバイ。全力疾走の後の魔法詠唱でヒューヒューと喉を鳴らしている。今は休ませてやろうとラヴィアは思った。
「教会でも上級司祭の特殊訓練を受けなければ使えない回復魔法だぞ!? まさかあなたは、教会の……?」
「いえ、まったく関係ありません。特殊な訓練など積む必要はなく、資質さえあれば誰でも使えるんですよ」
「そ、そんなことあり得ない! 教会の意味などないと言うか!」
実のところ「マスター」や「アプレンティス」といった回復魔法の呼称は、教会内で勝手につけられたものでしかない。それを「特殊な訓練を修めなければ使えない」と教会は喧伝しているのだ。
「ふっ、ふふ……なるほど、なるほど、よーくわかった」
ゲスタ神父は不意に笑い出した。
「教会に刃向かうというのだな? そういうことならばこちらにも考えがあるぞ。こいつらはお前が連れてきたんだろう、ボルテック? 王都の神父全員にお前のことを伝える。それがどういう意味を持つかわかるな——我々は、神の敵には容赦をせんのだ」
「なにっ……」
教会は、治療院と並んでケガや病気を治療する場所、現代で言うなれば病院であり、福祉施設でもある。もしもボルテックが「教会の敵」として認識されれば、教会だけでなく王都の住民からも敵と扱われるだろう。ボルテックと親交を持てば、同様に自らも「教会の敵」とされかねないからだ。
これはゲスタ神父の切り札と言っていい。これまで使わなかったのは、ゲスタは曲がりなりにも地位のある人間だから、ぎりぎり角が立たない方法を選んできたからだろう。だがこうして、真正面から彼の実力を超えた能力を示してしまうと、ゲスタは自分の地位を守るためにもあらゆる手を使わざるを得ない。
(うーん……ポーラの回復魔法がすごすぎたせいかな)
そんなことをラヴィアが思っていると、
「……構わねえよ。なら俺が、王都を出る」
「お父さんが出るのなら、あたしもいっしょに出る!」
「なにを言う、フラン!? 犠牲になるのは俺だけでいいだろ!」
「お父さんだけひとりで行かせて、楽しく生きられるほど脳天気にできてないもの」
ボルテックとフランが覚悟を決めようとしている。
それを、にやにやと見つめながらゲスタは、
「簡単に言うがな、ワシが使った回復魔法の代金は払ってもらうぞ。50万ギランだ!」
「なに!? アホ言いやがって! フランが完治したのはこちらの方のおかげじゃねえか!」
「最初に魔法を使ったのはワシだ。こやつらの魔法は、フランの身体をピカッと光らせただけの手品だッ」
「この……ゲスタ、てめえどこまで腐ってやがる……」
「さあ、王都を出ていく前に、さっさと金を払え! でなければ——」
とゲスタが言いかけたところだった。
「——でなくともゲスタ神父、アンタは教会への背任罪で逮捕される」
声が、教会入り口から聞こえてきた。
全員の視線がそちらに集まる。
そこに立っていたのは——全身を包むマントを羽織り、銀色の仮面をつけた黒髪の少年だった。
「……は? なんだって?」
突然の闖入者に神父がぽかんとすると、少年は懐から数枚の紙を取り出した。
「これに見覚えがあるだろう? 多額の治療費の代わりとして巻き上げた土地の権利書と、売買契約書。こっちは貴族に宛てた手紙の下書き——アンタのやり方で泣かされた人々の陳情を、もみ消すように書かれている。似たような書類も大量にあった」
「な——なんでそれをお前が!?」
「見つけたのは偶然。ここに来たのは必然さ」
ちら、と少年がラヴィアに視線を送る。
ラヴィアが出がけにホテルの部屋に残したメモ書きには、この教会に急いで来て欲しいと書いておいた。
それを見て駈けつけてくれたのだろう——もっともゲスタ神父の犯罪の証拠を手に入れたというのはできすぎた幸運でしかないだろうが。
「アンタを調べていたわけじゃない。たまたま、貴族の邸宅に忍び込んだらいろいろ出てきてね、それを持ち出したところ——ここで面白そうなことをしていたから来てみたんだ」
「そ、そんなことをして許されると……」
「許されないのは、アンタだろ? ほら——」
少年が耳を澄ませてみせる。
いくつもの足音と、鎧の触れ合う音が聞こえてくる。
まるで警備隊がこの建物に直行しているかのような。
「他にも書類を見つけたって言っただろ? それはどうしたと思う? ——ちょっとした場所に投げ込んできたんだ。バッチリ、アンタの名前も書いてね」
「くっ」
ゲスタは身を翻して走り出す——が、
「っぎいいあああああああ!?」
少年の投げた石ころはゲスタの膝を砕いた。
「ここで逃がすと面倒だから、ちょっとそこで寝ててくれ。——さ、僕も今のうちに逃げておこう」
バサッ、とマントを翻して少年は教会から出て行った。
「ポーラ、私たちも」
「あ、は、はいっ」
「ちょっと待ってくれ!」
教会の裏口へと走り出そうとしたラヴィアとポーラをボルテックが止める。
「俺たちにはなにがなんだかわからねえ……」
「大丈夫よ。ゲスタ神父は相当悪いことをやっていたようですね。回復魔法への代金は寄付として教会に入れられなければならない。さっきのように借金させるというのは教会への背任になります。今までは貴族にも手を回してもみ消していたようだけど、証拠があって、それを教会の上層部へ送ったら——背任罪で逮捕されるのは確実です」
「つまりゲスタ神父を恐れなくていいってことか?」
「はい。——それでは」
「あ、まだ! まだ、礼のひとつも言ってねぇ!」
「礼ならば彼女に」
ラヴィアはポーラを指した。そして先に裏口から外へと出ていった。
「ありがとう、ありがとう……! お前さんがあの先生を呼んできてくれたからフランは助かった!」
「い、いえ、気にしないでください! あ、あのっ、お願いですから先生のことはご内密にお願いします。目立つことを嫌う方なので……」
「もちろんだ! それで金なんだが……」
「お金は要りません!」
「でも」
「それでは!」
無理矢理打ち切ってポーラも走り出した。疲労困憊の身体だったので、転がってうめき声を上げているゲスタ神父に引っかかってすっころんだ。あわてて起き上がり、よろめきながら出て行ってしまう。
「なにがなんだか……俺にはまだ全然わからねえぞ……」
ボルテックが言うと、
「あたしもよ、お父さん……でも不思議なんだけど」
フランは言った。あのローブの先生ではなく、修道女ふうのポーラと呼ばれていた彼女から、温かい力が注ぎ込まれて治ったような気がしたのだ、と。
「ゲスタ神父はいるか! 王都神殿上級司祭様から直々のお呼び出しである!」
教会へ踏み込んできた5人。
警備兵かと思っていたら、それはきらびやかな鎧を身に纏った神殿騎士だった。
「——で、結局なにがあったんだ?」
教会の裏手で、仮面を外したヒカルとローブを脱いだラヴィア、それにふらふらのポーラが合流した。
「私が……また皆さんにご迷惑をおかけした、ということのようです……」
地べたに座り込んでしょげるポーラだったが、ラヴィアは柔らかく微笑んでヒカルに、首を横に振って見せる。そんなことはない、とでも伝えるように。
「ま、いいか。とりあえずゲスタにはそれ相応の処分は下るだろうし。——ほら、ポーラ」
ヒカルはポーラの前にしゃがんで背中を向けた。
「? な、なんですかヒカル様、これは?」
「もう歩くのも精一杯って感じじゃないか。おんぶしていくよ」
「え!? だ、だだ、大丈夫です! 回復魔法で治しますから!」
「魔力もだいぶ減ってるだろ。僕にはわかるんだから強がりは止して」
「うっ」
「早く。神殿騎士が来ないうちに」
恐る恐る、ポーラはヒカルに近づく。
「ひゃっ——す、すみません! 重いですよね!?」
しかしヒカルは軽々と背負うと、歩き出す。
「いや、たいしたことはないよ。こう見えて力はあるんだ」
「……はいぃ……」
「僕はポーラといっしょに行動するべきだったかな……どうだろうね」
「…………」
「……ポーラ?」
「ふふ。もう寝てしまったわ」
「もう!? たった今まで話してたよな!?」
安心しきった顔で、ヒカルの背中でポーラは眠りに落ちていた。
「それで——ヒカル。ゲスタ神父だけじゃないんでしょ、黒い書類は? 他のはどうするの?」
ラヴィアが聞くと、
「今夜中にいろいろ他のものも集めてみる。それで王城に届けるよ——乗りかかった船だからさ。クジャストリアが勝ったら、内戦後にでも処分するだろ。にしても……汚職の書類を手に入れたその日に、自分で使うことになるなんて僕だって思わなかったよ」
それから——ボルテックとフランはありのままのすべてを話すことになる。「先生」とポーラの存在だけは隠し通して。
教会にとっては神父の回復魔法で体力を回復したフランが、若さで病気を克服したという認識だった。「さほど重病でもなかった」とボルテックたちが証言したのも利いた。
結果、ボルテックは規定の料金である5,000ギランを「寄付」として教会へ寄進することで解放された。
「……何者なのだ、この白銀の貌は」
王都駐屯神殿騎士の隊長が報告書を握りしめる。
そこに書かれていたのは——ゲスタ神父の背任を示す書類が、まず神殿騎士の駐屯所に放り込まれたこと。次に神殿騎士が、書類の真偽を確認する前にゲスタ神父の身柄確保に走ったところ、教会から出てくる少年と出会ったこと——銀の仮面をつけていた少年と。
「白銀の貌」と名乗った少年は、自分が書類を駐屯所に投げ入れたのだと言った。騎士は少年も確保しようと行動したが、少年を捕まえることはできず、気がつけば見失っていた——。
「うちの騎士が少年に後れを取るとでもいうのか? それに、駐屯所は地上3階だぞ……」
地上3階にある部屋、その、空気入れ替えのためにうっすら開かれていた窓にどうやって書類を投げ入れたというのか——。
サクッと終わらせるつもりがめっちゃ長くなってなおかつ駆け足になってしまった……。
教会関係は今後の伏線、というか導入というか、そんな感じです。
何話か挟んで、次の章に移ります。





