セリカの過去
『へぇー……いいところに住んでるのね』
ヒカルの住居にやってきたセリカは、イスのひとつに座ると室内をじろじろと見回す。それは悪意がある視線ではなくて、単に好奇心からといった感じだった。
ラヴィアもポーラも、セリカを見るとまず目をパチパチとしたが、とりあえず敵ではないと判断したようだ。ソリューズたち他の東方四星のメンバーはおらず、セリカひとりであることも安心材料だった。
セリカは相変わらずの長い黒髪を左右で縛っている、ツインテールスタイルだ。髪が豊かなのでツンとしたツインテールではなくて、ふわっとしている。
着ている服も相変わらず魔法使い用のローブであったが、深緑の、普段使いしてもおかしくない上品なもの。冒険者というよりどこぞのいい家のお嬢様に見える。
「それで? 急な訪問だが、なにか用か?」
『ん、特に用はないんだけど?』
「用もないのに来たのか?」
『数少ない日本人に会えるんだから……用なんてなくたっていいでしょ。というか、あんただいぶこっちの言葉、流暢よね。どうやって学んだの?』
「話を進める前に確認させてくれ。日本語で話し続ける気か?」
『そうよ。こっちの言葉、強弱が難しいのよ……』
そう言えば、とヒカルは思い出す。なんだかセリカの言葉は常に語尾に「!」がついているような強い言葉だったのだが、それは単にこの世界の言葉に慣れていないだけだったようだ。
『あとさ、たまに……日本語話さないと忘れちゃうじゃない』
ヒカルは小さく息をつく。もちろん日本語なんてわからないラヴィアとポーラに、
「ごめん、僕の国の言葉で話すよ。後で内容は教えるから」
「わかったわ。——ポーラ、わたしたちはあちらにいましょう」
広いリビングにはソファも置かれている。ラヴィアは素直にそう言うと、そちらへと移っていった。
『——悪いわね、気を遣わせて』
『それなら突然訪問とか止めてくれ。びっくりする』
『あら? 突然じゃない訪問なんてどうやるのよ。ケータイもネットもないのに』
『手紙があるだろ』
『そうね……ここの人たちはみんな手紙を書くわよね』
寂しげに笑みを浮かべたセリカは——ふだん見せている東方四星での自信満々の姿からはほど遠かった。
ヒカルがセリカに付き合おうと思った理由は、これだ。「同情」だった。彼女は日本語を欲している。ノスタルジーだろう。
『というかどうやって僕がここにいることを知った?』
『冒険者ギルドから不動産屋を紹介してもらったわ。あたしたち東方四星はランクBなのよ?』
『それは知ってるけど……』
ランクBだとそこまで融通を利かせてもらえるのか。ある意味、文章化されない特権だな——ヒカルは、今後冒険者ランクを上げてもいいかもしれないと思った。
『あんたはいつこっちに来たの?』
『そっちが先に話してくれたら僕も話そう』
『いいわよ。あたしはね……もう1年にはなるのかあ。トラックにはねられたの』
『…………』
『……なに? え、もしかしてあんたも?』
『同じだ。まあ、死因は同じってだけだけど』
ヒカルは頭が痛くなってきた。日本のトラックには異世界を呼び寄せる付与魔法でもかかっているのだろうか? テンプレで使われるにしてもあまりにも多すぎる。
『死因は、ってどういうこと? あたし、学校の帰りにトラックにはねられて——そのまま転がったのがこの世界だった。不思議と傷もなくて、周囲は草原だったの。ポーンソニアのツムギエルカという地方ね』
『制服のまま?』
『そうなのよ! たまたまバッグにカ○リーメイトが2箱入ってたから数日生き延びられたけど、あれがなければやばかったわ……』
『なんでそんなものが入ってたんだ?』
『……乙女には必要なものなのよ』
カ○リーメイトダイエットでもしていたのだろうか?
『それで、あんたは?』
『僕は——死後の世界で、こちらの世界の住人に会った。それで魂だけ召喚された』
『え、なにそれ。召喚魔法があるってこと? だったら日本にも行けるの!?』
『死後の世界——魂だけ接触するのがせいぜいらしいよ。一応、僕も「世界を渡る術」についての情報を握ってる。ただどうも研究は行き詰まっているみたいだ』
『……そう』
日本に行けるかもしれないとわかって、明らかにテンションが上がったセリカだったが、急速にその勢いはしぼんでしまった。
『日本に帰りたいのか?』
『当然! ……と言いたいところだけど、難しいわ。あっちに未練はもちろんある。パパもママも大好きだし、クソ生意気だけど妹もいた。それに……親友がいるの。高校に入ってからの付き合いだけど、すごく仲のいい親友。会えなくなるのは寂しいな』
『…………』
自分たち以外にも転移者がいるのは様々な遺産を見るに明らかだ。その彼らはセリカのように、ノスタルジーを感じながら死んでいったのだろうか。
もちろん1人くらい日本に帰った人間はいたのかもしれない。それでも、日本に帰ってからさらにもう一度こちらに戻った者はいないのだろう。いればなにかしらの情報はあるはずだ。
ひょっとしたら——どこかにそんな情報が埋もれているのかもしれないが。
それでも、期待は薄そうだとヒカルは感じていた。「世界を渡る術」を研究していたローランドが知らなかったのだ。
『あ、でも!』
パン、とセリカは手を鳴らす。
『ソリューズたちがいるから今は寂しくないのよ。こっちに来て作った親友ね!』
その言い方は東方四星のセリカそのものだった。
『彼女たちとはどうしてパーティーを組むようになったんだ?』
『魔法に適性があるとわかったあたしは、訓練しまくったのよ』
『ああ、全属性使えるみたいだよな』
『そう——ってなんでわかるの? もしかして鑑定スキル?』
『いや、違う。ていうか鑑定スキルなんてあるのか?』
『聞いたことないわ』
『だよな……』
そんなものがあったらもっと有名になっているはずだとヒカルも思う。
とはいえ、ヒカルが他者のソウルボードを見られるというのも鑑定に近いが。
『それで……僕は魔法を使えないのだけど、どうやって訓練するんだ?』
『あたしが使えるのは精霊魔法よ。精霊に魔力を流すことで精霊の力を使役するという魔法ね』
『精霊が見える——わけじゃないんだよな? それくらいは僕も知ってる』
『ええ、なんというか、元素のようなものが見えるという感覚かしら。見えるというのも違うんだけど……感じ取れるのよ。たとえばこの部屋には風の精霊が多めにいるわ』
『へー……』
説明されてもわからないのが切ない。ソウルボードの「魔法」にポイントを振れば自分にもわかるのだろうが、さすがに無駄遣いはできないとヒカルは思う。
『で、あたしは魔法を自分の手のひらに撃った』
『……はい?』
『あたし、気づいたのよ。この世界に「魂の位階」ってあるじゃない? あれってきっとレベルのことよ! で、位階が上がれば上がるほど、魔法の適性も上がっていくのがわかったの。どうしてこの世界の人たちは位階を上げないのかしら?』
『あー』
ヒカルは自分の推測を話した。魂の位階は数値化されていないし、RPGにあるようなレベルの概念がこの世界にはない。
セリカの魔法適性が「上がる感覚」というのも主観的なものだから、それを証明できないからだろう——と。
(ていうか自分の手のひらに魔法を撃ったって……だからこの人の魔法耐性がMAXなのか)
【ソウルボード】セリカ=タノウエ
年齢17 位階104
29
【生命力】
【自然回復力】4
【スタミナ】4
【免疫】
【魔法耐性】5(MAX)
【疾病免疫】1
【毒素免疫】3
【魔力】
【魔力量】19
【精霊適性】
【火】5
【風】5
【土】5
【水】5
【精霊の愛】3
【魔力の理】0
【魔法創造】2
【器用さ】
【道具習熟】
【薬器】3
改めてソウルボードを確認してみた。
『……一応聞きたいんだけど、魂の位階を上げるためにモンスター殺しまくった?』
『ええ、もちろんよ! 悪は滅するのよ!』
あ、今の言い方は東方四星のセリカっぽい。
『でも1つの属性魔法だけ使おうとすると精霊が拗ねるのよね……だから満遍なく使っていったわ。モリモリ魔法が使えるようになるし、魂の位階もじゃんじゃん上がるし楽しかったな〜』
『…………』
にしても魂の位階3ケタはやりすぎだろ……とヒカルは思う。
(ひょっとしたら「精霊の愛」は、すべての属性を上げなくちゃいけない代わりに、各項目を上げやすくなるものかな? この人、1年前にこっちの世界に来たって言ってたし——ていうか1年でこれってすごいな、よく考えると)
この1年の過去に思いを馳せてうんうんとうなずいているセリカにヒカルはたずねる。
『ひょっとして、セリカってゲーマー?』
『そうよ! ごりごりのコアゲーマーよ! 夜な夜なアメリカとドイツのフレンドと組んでドンパチやってたわ! ——ていうかなんで呼び捨てなのよ! よくよく考えればあんた、あたしより年下よね?』
『ま、それは気にしないで』
『気にするわよ! 生意気よ!』
『それは僕の専売特許みたいなものだから』
『おかしいわよ、そんな専売特許! あー、もう、あたしの親友も言ってたわ。「生意気な後輩を持つと苦労する」って!』
『というか日本に帰りたいのはゲームやりたいから?』
『ん……それもちょっとだけあるけど、こっちの世界でドンパチするほうが楽しいわ。まあ、モンスター倒しまくっていたら悪目立ちして、それでソリューズたちと合流するようになったんだけどね。合流してからは……死ぬか生きるかギリギリ、なんてのはなくなったけど……』
そう言いながら遠い目をしたセリカ。
異世界転移してどんだけハードな生活をしていたのだろうか、この人は。
『と言っても、あたし、こっちの世界に来てよかったなって思うこともあるのよ?』
『ソリューズたちに出会えたことか?』
『それもあるけどさ、この世界って——なんだかフェアなのよ』
『フェア?』
思わず聞き返してしまう。「どこが?」と付け加えたいところだ。
この世界は理不尽なことが多いとさえ思ってしまう。民主主義の日本にいたヒカルにとって、生まれながらにして特権階級の貴族がいるというのは、にわかには信じられないことだった。
もちろん現代地球にだって、資産家に生まれた人間は幸せだろう。だけれど、この世界ほどの特権はない。謀略によって人を簡単に殺すことだってできない。戦争だって起こさない。
そう——ローランドの両親が、モルグスタット伯爵によって命を奪われたのは、理不尽極まりないことだった。
セリカは、転移してすぐに生きるか死ぬかという状態になったのだろう。ただそのぶん、人間の醜悪な部分には触れなかったのかもしれない。
『魔法を使えばどんどん上手になる。生き物の命を奪えばそれが力になる。魔法も、魂も、日本にはなかったものだけど、ちゃんとこの世界ではバランスしているのよ』
『バランス……』
フェア、と言われるとしっくりこないが、バランスしていると言われるとしっくりくる。
『あんた魔法使えないんだっけ? あたしの魔法を食らいまくったら目覚めるかもよ?』
『お断りします』
『急に丁寧語になったわね……そう言えば! あんたの連れ、すごい魔法使うじゃない! どうなってんのよ!』
セリカがソファにいるラヴィアを指差すものだから、ラヴィアがびくりとした。大丈夫だから、という意味を込めてラヴィアにうなずき、セリカの指を下ろさせる。
『ノーコメントで』
『またそれ!? あたしが話したらそっちも話すって約束よ!』
『僕のことじゃない、ラヴィアのことだろ?』
『あら、ラヴィアちゃんっていうの? あんたの彼女?』
にやにやして聞いてくるセリカ。
『彼女じゃない』
『ほんとぉ? いっしょに暮らしてるんでしょぉ? うりうり、お姉さんにほんとうのところ教えなさいよ』
『人生のパートナーだ』
『……重ッ! 重すぎ! なんなのそれ! あんたたちあたしより年下でしょ!?』
『カ○リーメイトを食べ尽くしたあと、モンスターの肉を食べていたあなたの話のほうが重い』
『なぜそれを!?』
『やっぱり……さっき、なんか遠い目してたもんな』
『カマかけたわね!? 今度はあんたが話す番! はい、まずはいちばん恥ずかしかったことから〜』
『……数少ないこの世界の日本人が、残念な元女子高生であるってことが恥ずかしいかな……』
『真顔で言うなッ!』
理解できない日本語のやりとりを、聞くともなしに聞いていた、ラヴィアとポーラ。
「な、なんだかヒカル様の雰囲気が違いますね。楽しそうです」
「ええ……」
ラヴィアは、セリカといやいや話しているふうを見せつつも、そのどこか楽しげなヒカルを見て——うれしいような、寂しいような気持ちを味わっていた。
「やっぱり……同じ故郷の人と話せるのは、うれしいのよね……」
「? ラヴィアさん?」
「いいえ、なんでもないわ」
ラヴィアは小さく首を横に振った。
今、ヒカルがそばにいる。それだけで幸せなのだから——それ以上を求めるのはきっと「ないものねだり」なのだ、と。
「楽しそうなヒカルがいるだけで、わたしも幸せ」
「深い……!」
深くはないです(断言)。
セリカも年相応の少女です。ツインテールは正義。そしてゲーマーも正義。RPGは死ぬほどレベル上げてラスボス余裕でKillしちゃうタイプ。
他愛もない会話みたいですが、これ、一応伏線なんだぜ……。





