アリス=サンボーンの誤算
更新遅れていましてすみません。もう片方の連載作品「異世界釣り暮らし」が昨日発売となりました。
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「察知されない最強職」ともども、よろしくお願いいたします。
ヒカルは、自分以外に新たな来訪者が屋根裏にやってきたことを「魔力探知」によって感じとった。「探知拡張」によって脳に負担がかかるようになってしまった「魔力探知」ではあったが、水平方向にだけ、あるいは決めた方向にだけ展開することで負担を軽減することができた。
今は数秒に1回、意識的に水平方向に「探知」している。これも癖になれば意識せずにできるようになるはずだ。
ヒカルが探知したその人物は、つい今、ここに来たばかりだ。
向こうはこちらに気づいていない。つまり、ヒカルの「隠密」を察知するほどの能力はないが、一方でここまで忍び込めるほどの実力はあるということになる。
様子をうかがっていると、ヒカルがいる3メートルほど横にやってきた。明るさはごくわずかしかないので、うっすらとしかその人物を確認できない。「魔力探知」や「生命探知」ではぼんやりした肉体の形しかわからないのだ。
いずれにせよ、ヒカルとしてはグルッグシュルト辺境伯やガフラスティ、それにローレンスの会話を見知らぬ第三者に聞かれることは避けたかった。この会話を聞かれて最もマズイのは、ポーンソニア国王だ。国王がこれを聞けば先手を打たれる。内乱待ったなしである。さらに言えばいちばん確率が高いのも国王のスパイがここにいるということではあったが。
(とりあえず、何者か確認……っと)
ヒカルはすぐそこにやってきたスパイのソウルボードを起動した。
【ソウルボード】アリス=サンボーン
年齢16 位階17
8
【生命力】
【スタミナ】2
【免疫】
【毒素免疫】1
【知覚鋭敏】
【視覚】1
【聴覚】1
【嗅覚】1
【筋力】
【武装習熟】
【投擲】1
【敏捷性】
【瞬発力】2
【柔軟性】2
【バランス】3
【隠密】
【知覚遮断】1
【器用さ】
【器用さ】2
まず思ったのが「若いなあ」ということだった。とはいえヒカルよりは1つ年上なのだが。次に思ったのが「女?」という驚きだった。まあ、東方四星のサーラも似たようなタイプなので女だから向き不向きがあるわけではないだろうが。
ただ、内容的にはサーラの下位互換という感じである。それでも「知覚遮断」があり、「視覚」「聴覚」「嗅覚」に優れているためにスパイとしての適性はあるということだろうが。
問題はこのアリスという人物が、どこの誰かということだ。
(僕がここにいることも階下の連中に気づかれたくない。ていうかローレンスやアグレイアなら、「知覚遮断」の1程度、「直感」で見抜くんじゃないのか?)
と思っていると、下で動きがあった。
「——バルブス卿、くせ者がおります」
「私もそう感じたところだ。天井裏だな」
アグレイアが言うと、ローレンスもまた応じた。
するとヒカルのすぐそばにいたアリスは、「え? バレた? なんで……?」とか言っている。
(……大丈夫かコイツ)
アリスは即座に離脱しようと動き出す。ヒカルは彼女を追った。
* *
グルッグシュルト辺境伯の邸宅は、上を下への大騒ぎとなった。辺境伯の邸宅に常駐している警備兵が呼び笛を鳴らし、スパイの包囲網を作ろうとするも、深夜であるために兵の集まりが悪い。これまでスパイが忍び込んだことなどなかったので、混乱しているのだろう。
辺境伯は「我が兵はこの程度の練度か!!」と怒鳴り、警備隊長が震え上がっていた。
その間にローレンスは裏口から邸宅を出て、騎士団が駐屯しているビロウエルカを目指して去った。ガフラスティのことはともかく「辺境伯軍と騎士団の衝突は避ける」ということで合意に至ったのだ。
だが、邸宅に忍び込んだスパイは見つからなかった——警備兵の動きがあまりにも遅く、無事に逃げおおせたのだ。
「ふぃー。なんとか逃げられたわ〜。やっぱウチの逃げ足に勝てるヤツなんていないよねぇ」
そこはすでにシュスエルカの街中ですらなかった。シュスエルカは広く、城壁で囲っているとは言っても抜け道はある——ほとんどわかりづらい上にバレれば重罪なので、よほどのことがない限り誰もやらないが。
シュスエルカの郊外、森が深くなりつつある。月の光も星の明かりも、木々に遮られて視界の役には立たない。だがアリスはすいすいと歩くことができた。元々夜目が利くほうであるし「視力」1の恩恵もあった。
アリスは小川のほとりで立ち止まると両手を洗い、すくって水を飲んだ。
川のある場所は夜空が見える。小川には、ベリーショートのピンク色の髪が、同じ色の目がうっすら映っている。どこか大人びたとも、ボーイッシュとも取れる顔立ちだった。毎日の鍛錬のせいで身体はほっそりとしており、さらに上背もあるせいでボーイッシュに磨きが掛かっているとも言える。
「ふぃー……生き返りますなぁ——」
「——生き返ったところ悪いが、死にたくなければ妙な真似をするなよ」
「!?」
しゃがんでいた彼女の首筋に当てられた冷たい感触は、刃物の腹だ。
「だ、だ、だ、誰……」
「それはこちらの質問だ。何者だ?」
無事に逃げ切ったと思っていたところへ現れた——それもまったく前触れなく、幽霊のように現れた人物。声から察するに、少年らしい。動揺のあまり声が震えたが、アリスは生唾を呑み込んで心を落ち着ける。
「…………」
沈黙をもって返した。自分の情報を相手に渡すわけにはいかない。
着ている服は隠密効果を高めるものではあるが、生産地を特定されるものではない。装備品のひとつひとつに至るまでそれは徹底されている。
「答えない、か。見上げたプロ根性だ。ならば死ね」
「——あ、ちょ、ちょっと待って!」
首筋の刃が動き出そうとしたときアリスは声を上げた。少年のような声だと思ったが、なんのためらいもない。
(相手もプロだ……!)
アリスの心のどこかで、少年ならば甘さもあるだろうと思っていたのは否定できない。だがこれはまったく油断できない相手だ。
「名前を言え」
「……ドロシー。ドロシー=リッチファーム」
「ウソを吐いたな? 死ね」
「待って!? 待って待って!!」
刃がめり込んできた。薄皮一枚切れて血が垂れるのを感じる。
(どうして!? なんでウソだと断言したの!? まさか——こいつもウチの師匠と同じ、直感でいろいろわかるヤツなの!?)
アリスは全身に冷や汗をかく。適当なウソを並べることの訓練は受けてきた。そのウソに整合性を持たせることも。だがいくら巧妙なウソでもそれを「見抜く」人間が存在する。数か月に1度しか会えない人物ではあるが、アリスの師匠がまさにそうだった。師匠に聞くと「なんとなくわかるものだ」という答えなので真似することはできないのだが。
「これが最後のチャンスだ。ウソを吐けば頸動脈を切る。出血多量で死ぬところまできっちり見届ける。妙な動きをしてもダメだ。立ち上がってもダメだ」
「ちょ、ちょっと、この体勢は苦しい……」
「ダメだ。——名前を言え」
「…………アリス」
今度は、ウソだと言われなかった。
やはりこいつは相手のウソがわかるのだとアリスは気づき、目の前が真っ暗になった。
彼女はスパイ。情報を取ってくることが仕事。それが——情報を垂れ流す存在になってしまえばどうなるか? なんの価値もないどころか害悪である。
これまで積んできた苦しい鍛錬もなにもかも無駄になってしまう——。
しかもこれが、アリスにとって初めての任務だった。慢心していたつもりはない。彼女の師匠もまた、アリスにならばできるだろうと考えた上で任せてくれた任務のはずだ。
それが、ようやく侵入した屋敷ではすぐに見つかり、逃げおおせたと思ったところで追い詰められる。
「所属はどこだ」
「……うっ、うぅっ」
「所属だ。どこの組織——」
「うぅぅぅぅ——うわああああああんんんんんん!」
アリスは声を放って泣いた。感情を乱すことがスパイとして最もやってはならない禁忌だとわかっているのに、涙のほうが止まってくれなかった。
もういいや、というあきらめが彼女を支配していた。自分が助かる道はもはやない。だったら泣いても構わないと思った。
「お、おい……なんで泣く? お前スパイだろ?」
「えぐっ、えぐ、だ、だって、情報取られるだけ取られて、殺されるだけじゃない! うわああああん!」
「勝手に決めつけるなよ。そうじゃないかもしれないだろ」
「じょ、情報を搾り取ったら、慰み者にするんでしょ!? やるだけやってあきたら殺すんだ!」
「なんでそうなる!?」
「スパイの末路なんてそんなもんだって師匠が言ってたもん!」
「しない! 勝手に決めつけるな!」
「ウチが男みたいな身体だから欲情しないっていうの!? ひどいぃぃい! うわあぁああぁあ——」
「おいおい、どうしろっていうんだよ……」
身も世もなく泣いていると、首筋に当てられていた刃が外された。
「あぁぁああぁぁぁぁ——ふぇ?」
「もう、いい。ひとつだけ質問に答えろ。イエスかノーだけだ。ただしウソは吐くなよ?」
「え?」
「お前はポーンソニア国王の手の者か? あるいは、国王に連なる貴族の手の者か?」
「違うよ……ポーンソニアじゃない」
「————」
すると少年は、目を見開いた。その答えが意外だったのか、次に言うべき言葉を見失ったようだ。
「……そうか。そういうことか」
「なにが?」
「お前、クインブランド皇国のスパイか」
「!?」
アリスはぎくりとする。顔に出ていただろうか? いや、この暗がりではわからないはずだ。相手が自分以上に夜目が利く人間でなければ。
刃が外されたこともあってアリスは振り返る。ほんとうは走り出したかったが、緊張状態でしゃがんでいたので足がしびれていたのだ。走れば間違いなく転ぶという状態だった。
「あ……」
そこにいたのは、確かに少年なのだろう。
ただその存在感はあまりにも希薄だった。そこに誰かがいることがわかっているから、ようやく認識できる程度。気を抜けば見えなくなりそうな——。
(師匠と同じ気配の消し方……いえ、それ以上!? まさか!)
少年は、銀色の仮面をつけていた。
仮面のせいで表情はわからなかったが先ほどまでの殺気はウソのように消えていた。
「もういいよ。行っていい。これでグルッグシュルト辺境伯の警備は厳しくなるだろうから、もう一度忍び込もうだなんて思わないことだな」
「え……行って、いい? そう言ったの?」
「そうだ。じゃあな」
「————」
そのときアリスは、
(違う、師匠と全然違う——師匠より全然……)
確信した。
(優しい!)
アリスの師匠は、それはそれは厳しい人物だった。アリスと同期でスパイ候補生になった者は50人いたが、最初の鍛錬で15人がいなくなり、1年後には6人しか残らなかった。
しかも師匠の鍛錬は基本的に「自主練習」だ。数か月に1度しか来ないのだから、それも当然である。しかし鍛錬メニューをちゃんとこなしていないと師匠は「見抜く」。こなしていないと死んだほうがマシだというくらいしごかれる。
いわば鬼。
それに比べれば、この少年のいかに優しいことか。
「行っていい」と言われて呆然としたアリスだったが——彼女に背を向けて去ろうとしていた少年のローブの裾をつかんだ。
「待って! あなたは何者なの!?」
「いや、答えるワケないだろ? なに言ってんの?」
「あなたにお願いがあるの!」
「……は?」
「あなたの実力はウチの師匠以上なんだもん! お願い!」
アリスは言った。
「ウチの代わりにあの鬼師匠を一発殴って!」
仮面の少年はもう一度言った——「は?」と。
明らかにスパイに向いてないアリスちゃん。クインブランド皇国がちょこっと出てきました。





