523話 接吻
「クソッ!俺達をここから出させろ!」
目の前の茨燕の姿を象った眷属は喋らない。恐らく交戦中なのだろう。俺達は百一階層でだった一体の眷属に止められていた。眷属は俺達が傷を負う様な攻撃こそして来ないものの、亜蓮を上回る様な速度で動き先回りし、転移碑の方へと向かう俺達の四肢を絡み取り、転ばして投げるのだ。
亜蓮がスキルを発動しようとすれば、眷属は分裂してスキルを回避するし、俺達の攻撃は殆ど当たらない。地味に眷属の耐久力が高いのも厄介極りない。例え魔法をぶつけたとしても眷属は形を変え、直ぐに仮の肉体を作り上げる。眷属一体一体にどれだけのマナを注ぎ込んでいるのか想像も出来ない。
だが、俺達は気が付いていた。眷属の動きが時折狂い、俊敏な動きに遅れが発生する事に。
遠隔で眷属を操っているのだ。当然、闇智達と管理者達との戦闘が激化すれば茨燕はこちらの眷属の操作に力をあまり割けなくなるだろう。突破を狙うならばそのタイミングしかない。だが、それで移動した時は既に彼達は死地に立たされているだろう。それでは遅いのだ。
無理矢理この眷属を破壊して突破しようとも考えたが、茨燕のスキルの事を考えるとここに置いている眷属はいわば緊急避難用。無理に俺達が破壊して良い物でも無いし、味方が作り出した眷属を破壊する為にマナを使用し、拠点に戻った際に力が出せませんでも意味が無いのだ。
「待つしか無いのかよ!」
俺は拳を地面に叩きつけもやもやする自分の感情を覚えた。
「行っても無駄だ」
「っ!?お前!何を!」
俺は添島のぶっきら棒な言い方に怒りを覚えて添島の胸倉を掴む。
「荒ぶるな!今ここで俺達が行ってどうなるんだ!奴に敵うとでも思っているのか!」
添島は俺の震える手を払い除けて、叫ぶ。その言葉を放った添島の目尻は赤くなっており、俺には添島の気持ちが良く伝わった。添島は俺の恐怖の感情を感じ取ったのだ。
「だけどーー」
「俺達は何も出来ない。寧ろ邪魔だろう。取り敢えず今はここで仲間同士で争っている場合では無い」
添島は唇を強く噛んだ。
添島の唇から血が流れ、俺も押し黙る。添島が辛い顔を見せるのは久しぶりだ。ここの迷宮に来てからもその表情はあまり見た事が無い。添島は死地に立っていてもいつも笑っていた。俺が最後に添島の泣き顔を見たのは地球にいた頃。添島の家族が亡くなった時だった。
添島も本当は管理者を穿ちたい。だが、添島は俺の感情を読み違えている。俺の恐怖の感情は奴への恐怖では無い。直接的な死への恐怖心だ。俺は管理者を倒すつもりだ。だが、その代償には自分の命が必要だ。俺にはまだその覚悟か出来ていなかった。出来る事ならばこのスキルを発動させずに奴を倒したい。しかし、今のままだと俺は確実にこのスキルを発動する事になるだろう。
「ジジイは何で俺達を止めなかったんだと思う?」
「え?」
俺の口から出た予想外の言葉に添島や亜蓮、その他のメンバーは唖然とした反応を返す。
「単純に足手まといだったんだろう」
「それもあるだろう。だけど、本当にジジイは死ぬ気なのだろうか?俺は茨燕に強制的に転移させらた時に奴らの目を見た。その目は悲しそうな目をしていた。それは決して憐れみの目では無い。それにその目からは決意と覚悟を感じた。それに加えて俺達を転移させたのは不本意であると感じた」
「例えそうだとしても、俺達に何が出来る?」
今の添島は異常な程悲観的だった。
「どうせ、ジジイ達が負けたならば次は俺達の番だ。そうなる位ならば悔いが残らない死に方をするべきだ」
「死ぬ……か。死んだら俺達はエルキンドみたいなアンデッドになってこの迷宮を永遠に彷徨うんだろうな」
「いや、俺は死後の魂さえも残らない」
「――?」
仲間達は俺の小さな呟きを確実に聞き取った。そして、それを戯言と捉えた物はいなかった。俺の表情から何かを感じ取った添島は神妙な表情で俺の元へと歩き背を合わせて尋ねる。
「おい、何があった。全て話せ。前から何か隠してる気はしてたんだ。最後まで話さないつもりか?いや、最期か」
「――!?」
添島の言葉。同じ単語なのに違うニュアンス。その意味をアクア以外のその場にいた全員が即座に理解した。
「最期?どう言う事?あなた達は何を話しているの?」
山西は驚き、状況について行けていないのか、その場で俺達に尋ねた。
「……すまない。それは言えーー」
「言え」
黙り込んで言葉が出ない俺。しばらく時間が経ってから俺は言葉を捻り出そうとしてそれは添島の言葉に遮られる。その言葉は一言だったが、低くそこに全ての添島のーーいや、ここにいる全員の感情が詰まっていた。
「俺は死ぬ。だから、お前達と共に生きて帰る事は出来ない」
「――!?」
「だけど、もしかしたらお前達だけでも生きて帰れるーーっ!?」
俺は山西に頬を打たれた。それも首の骨が軋む程の全力で。
「馬鹿!」
「だけど、それしか!」
「違う!何でそんな大事な事を黙っていたの!」
「みんなが悲しむと思っていたから。全員の目標。目的。それの概念を根っこから否定する事になると思ったから」
「今更、生きて帰れる何て思ってるのはあなただけ。みんな死の覚悟なんてとっくに出来ている!」
山西が叫ぶと周囲の仲間達も頷いた。だが、俺はそれに賛同出来なかった。死なんて簡単に言ってくれるなよ。死の覚悟なんて出来ている?それは簡単な事では無い。俺は一度不死鳥の羽で死の直前の世界を見た。あの恐怖はどうやっても克服出来ない。俺の顔間近まで迫った真っ赤な山西の顔を見つめて俺は顔を背ける。
次の瞬間山西は俺の顔に手を当てて兜の留め具を外し兜を地面に置いた。そして、驚きの行動に出る。
「っ!?」
山西は兜を外し、自らの顔を近づけて背伸びした。そして、俺に接吻した。




