462話 王
巨大な不気味な頭が浮かぶ空間に来てからかなりの時間が経過し、俺達の仲間は全員揃った。だが、全員精神的に大きなダメージを抱えている上、俺と同じ幻覚を見せられて、仲間に殺されたり、自らの手で仲間を殺していた為、完全に仲間として信頼をしていない様子が明らかに見て取れた。そもそも、あの映像が幻覚かどうかも分からないのだ。寧ろ、今見ている映像の方が幻覚と言う事も有り得る。
「全員揃ったか。一人くらいは脱落するかと思ったが、そんな事は無かったか。悪いな。我はお前達の事を見くびっていた様だ。では、ショータイムと行こうじゃないか」
俺達が全員揃ったのを確認した巨大な頭はどこにあるのか分からない指を鳴らす。その瞬間、真っ暗だった空間に橙色の光が灯る。それと同時に目の前の人物の姿の全貌が俺達の目に映る。その人物の顔付きは先程の巨大な頭と年老いた顔とは全くと言って良い程異なる。
俺達の目の前に立っていたのは薄ピンクの瞳に二本の羊の様な立派な角と綺麗にカットされた七三分けの髪の毛と巻きひげを蓄えた中年の男性だった。血の様な赤いスーツとネクタイをしているその男性の尾骶骨の辺りからは薄ピンク色の鋭く尖った鱗がギッシリと詰まった太い尾が生えている。中年とは言ってもその顔は凛々しく身体は逞しい。身長はかなり高く、二メートル近くはあるだろう。
「うむ。我ながら良い出来であるな。もう少し広くするか」
橙色の暖かい光は硬質な灰色の岩壁を明るく照らす。瞬間がどこかの洞窟に切り替わると目の前の人物は大袈裟に両手を広げて言った。
「自己紹介が遅れて済まないな。元々君達が我の話を大人しく聞ける程正気を保っていられるとは思っていなーーおっと失敬。長話は止して、簡潔に自己紹介しよう。我は色欲之王。ここ九十階層の守護者であるぞ」
白々しく、ゆっくりと喋る目の前の人物はニヤリと口元を綻ばせて自身の名を告げる。九十階層……?それに、色欲之王だと?俺は予想もしなかった台詞に耳を疑う。九十階層の方はまだ良い。俺が驚いたのは色欲之王の名前の方だ。目の前に立っている己を色欲之王と名乗った男の容姿はジジイの図鑑で見た色欲之王の容姿とは明らかに異なっている。若干窶れた頬を摩りながら困惑している俺を見た色欲之王は笑って語る。
「我の世界で、あそこまで幻覚を見て置いて未だに自分の見ている映像が本物だと信じているのかね?愚かな事だ。やはり、ヒトは学ばない生き物だ。この世界は我の采配一つで何もかもが変わる。例えば、お前達の身体が損失していても、痛みを感じず、身体がある様に錯覚させる事も可能だ」
笑う色欲之王は俺の腹部を指さして、開いた拳を握る。
「がぁぁああ!?」
その瞬間、俺の腹部が抉り取られ、強烈な痛みが襲う。
「安元!?落ち着け!多分幻覚だ」
「幻覚?どこにそんな根拠があるとでも?この様に逆に実は肉体が健全な状態で存在しているかもしれないのに、無くなり抉り取られた様に錯覚させる事も容易。彼の肉体に付けられた傷は果たして本物か?それとも否か」
俺の身体を抉った色欲之王は更に笑みを浮かべて話を続ける。
「痛覚だって、我の采配次第で調整可能。お前達が我を倒す事は不可能に近いだろう。それに、お前にはそこの少年が倒れている様に見えるかも知れないが、そこの少女にはそこの少年が我に斬りかかっている様に見えているかもしれない。それに全員が我がいる位置を誤解して知覚しているかも知れない。さて、どうする?こんな状況でお前達に勝ち目があると思うか?」
色欲之王の的を得た言葉は妙に説得力を持っており、九十階層にいる誰もが色欲之王に勝てるとは思わなかった。色欲之王が再び指を鳴らすと俺の腹部の痛みが消失し、腹部に負った傷も再生する。もしかしたらこの再生も虚偽なのかもしれない。添島の発言から考えると添島も恐らく俺と同じ映像を見ている。声でコンタクトを取れば……。
「声で連絡を取り合おうとか思っても無駄であるぞ?それが幻聴の可能性もある」
俺の浅はかな考えは色欲之王によって速攻で却下される。魔力量や質は明らかに色欲之王の方が高く、幻覚をレジストする事は叶わない。あの重光ですらレジスト出来ないのだ。それを俺がレジスト出来るわけが無い。
だが、俺ば諦めなかった。あれだけ精神世界でボコボコにされて尚こうして全員が九十階層で揃ったのだ。いや、もしかしたら色欲之王が、全員が揃ったと虚言を吐いて虚像を映し出しているだけかもしれないが、そこは信じない限り、俺達に勝利は無い。今までの精神空間が何の為にあったのか考えろ。恐らくは意志を強く保つ為だろう。自分が信じたい物のみを信じて戦う。どれが現実でどれが幻覚か分からない世界。そんな中で色欲之王と戦うにはそれしか方法は無かった。
「ほう?眼つきが変わったな。悪趣味な空間。あれはお前達の成長の為に無駄にはならなかったという事か。我は悠長だが、準備しておいて良かったと思えるぞ」
色欲之王は目を細めて俺達を眺めてポツリと呟く。色欲之王は敵の筈だが、この台詞はどこか俺達に加担している様に感じた。
「だが、情けはお前達の為にならぬ故に我は試練を与えようぞ。物や物事、固定概念、見たものに執着される色欲こそ愚行なり。ここでお前達が倒れるならばそこまでの存在だったと言うことよ」
俺達に加担する様な言い方とは裏腹に色欲之王の笑みの裏には何か別の感情が張り付いている様にも感じる。それこそ底知れない程の精神的なエネルギーを。かつて、墓地エリアのボスも言っていた自分達をこの迷宮の管理者から救ってくれと。だが、当然、自分如きに負けるようでは管理者に手も足も出ないだろうと。それと同じ感情を色欲之王も持っている。俺はそう思いながら、腰にぶら下げた武器の柄に手をかけた。




