448話 止
俺の視界に映った巨大な麻袋の口を結んでいた紐はいつの間にか解かれており、麻袋の口からは色とりどりの宝石や金銀財宝が溢れ落ち、俺の視界を埋め尽くす。その中に燻んだ緑色の物体が一つ。間違い無い!ゴブリンだ。まさか、転移座標印をあのタイミングで使ったと言うのか……?俺が一つの宝石を投げつけたタイミングでゴブリンは宝石を麻袋の中にしまうフリをして転移座標印を設置。それで俺が、内部圧縮属性付与を発動した瞬間に麻袋の中に転移したって訳か……。
こいつ、頭もそれなりにキレるな。舐めてかかって良い相手では無さそうだ。単純な戦闘能力では今の俺とほぼ互角……いや、全くの互角。その上、エンチャントの能力も健在。漆黒の沼地の中に次々と飲み込まれていく金銀財宝、宝石を眺めながら俺は流動性付与を発動させながら自分の足場を作り、身体をゴブリンに向かって平行移動させた。高速で地面と平行移動した俺はそのままゴブリンの鳩尾に拳を叩き込む。
「ギッ!」
だが、俺の拳はゴブリンの身体に突き刺さる事は無い。俺は咄嗟に拳を引き戻そうとしたが、拳は動かない。ゴブリンの周囲を氷の障壁が覆い、俺の拳を拘束しているのだ。外部圧縮属性付与か。やはり、幻術の世界であるからなのか、拳に冷たい感覚や痛みは無い。拳を無理やり引き抜こうとすれば、拳の皮膚がめりめりと嫌な音を立てる。
痛みは無いものの、俺にはもっと簡単に氷の障壁を破壊して腕を解く手段がある。
「内部圧縮属性付与火!!!」
俺の腕からは再び周囲の空気を巻き込んで火力を高めたドリル状の炎が噴き出し、氷の障壁の中にいるゴブリン諸共氷の障壁を吹き飛ばす。
「っ!――」
その直後だった。俺は息が出来ない程の発作に襲われて流動性付与のマナコントロールを失い、漆黒の沼地に向かって真っ逆さまに落下していく。今のは何だ……?心臓を直接握られた様な感触……激しく息を乱す俺の視界の隅には全身の皮膚を爛れさせて、地面に倒れているゴブリンの姿が目に入る。
「流動性……っ!」
俺はスキルを発動させようとするが、あまりに激しく鼓動を刻む心臓のせいで、全くと言って良い程マナのコントロールが上手くいかない。落ちる。俺の視線の先には足が六本あるゾンビロバが堕落していく俺を嘲笑うかの様に口角を上げて鳴いていた。着地点は無いのか、どこまでもどこまでも深淵へと続く沼地を落ちていた俺は気がつくと真っ黒い空間に寝そべっていた。
最初に来た白の空間とは真逆の場所かと俺は思ったが、視界の隅に映った煌びやかな宝石を見て俺は思いを正す。いや、違う。遥か上空にはさっきまで俺がいた沼地が見え、沼地にはゴブリンが血を流して横たわっているのが見えた。最初に見ていた孔雀と一緒だ。漆黒の中で一際存在感を放つ宝石。それに比べて俺は惨めだ。何も行動を起こす事は出来ない。それなのに、これだけの存在感を放っている宝石の方が少し前の俺だったならば俺よりも価値があるように見えただろう。だが、今は違う。俺は行動を起こす事によってこの場所から出る事は出来るが、宝石にはそれは出来ない。俺は潰れるかと思う程痛い胸を押さえながら流動性付与を発動させて上空へと身体を浮遊させ、陸上へと移動する。
ゴブリンを攻撃して俺が大きなダメージを受けた原因は簡単に想像出来た。あのゴブリン自体が俺の一部分でもあるからだ。あのゴブリンや周囲の敵は元々赤黒い謎の気体から生成された謎の生命体だ。
いや、生命体と言うのは相応しく無い。精神体と言うべきだろう。その中でも一番強大な強さを持っており、現在の俺と類似した容姿、全く同じ固有スキルと身体能力を誇っているゴブリンは俺の心の膿から生まれた存在だ。当然元々そのゴブリンは俺の一部分である為、そのゴブリンが傷付くと俺も傷付くって訳だ。
先程俺がゴブリンを攻撃してからゴブリンの動きはかなり鈍っている。ゴブリンは両手に電気を纏い、貫手を繰り出すが俺は半身でそれを避け、ゴブリンを漆黒の沼地に誘い込むがそう上手くはいかない。俺が攻撃すればゴブリンの身体能力は弱まる。その代わりに俺は心にダメージを抱える。
この階層に入ってから妙に俺の心が楽なのは心の膿が具現化している影響だろう。出来れば、心の膿は具現化した状態のまま捨ててしまい所だが、そうはさせてくれないのが現状だ。今の俺の精神体が攻撃を食らった場合、痛みは無い。その為、俺の精神体が攻撃を食らい続けた場合にはどうなるのか予測もつかない。いいや、大体予想は付いているがこの予測を検証する程俺には時間は残されていない。
永遠にこの精神世界に閉じ込められる。俺はそう予測している。そして、未だ戻ってこない己の本当の肉体が時を終えれば、俺の精神世界も時を終える事となる。はたまた、幽霊やアンデッドの様な存在となって永遠に彷徨い続けるのかもしれない。永遠の命。そんな物程つまらない物は無い。俺はこのゴブリンを倒して次の階層への扉を開く必要がある。確証はどこにもない。だが、少なくともこのゴブリンを俺が倒す事で何かが変わる可能性は高いだろう。俺はそう思い、両手に電気を纏って貫手を放ち、ゴブリンの胸元を貫く。俺の腕はゴブリンの胸を貫き、ゴブリンは口から赤黒い煙を上げながら膝をつく。
「これで終わーー」
俺が決め台詞を吐こうとした瞬間俺の中で時が止まった。一切の思考が回らない。周囲の時も止まっている。ゴブリンの身体を俺の腕が貫いたの同時に俺の心臓は停止する。いや、俺がそう錯覚しているだけかも知れない。あまりの激痛に脳が情報を遮断し、俺の意識は薄れ、視界がボヤける。ここを、耐えたら、扉が開く。それを分かっていて尚、俺は意識を失った。




