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学校内の迷宮(ダンジョン)  作者: 蕈 涅銘
19章 虚無エリア
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438話 廻

 心に空いた大きな穴に付け入るような一時的な満足感は自己満足にしか過ぎない。これを放置すると言う事は更なる負の連鎖の始まりである。


  一つの影によって付け込まれた些細な満足感は俺の失った心を掴んで離さない。もう既に俺が先程まで行っていた事など気にしない様になるレベルでそれは俺を包み込んで行く。だが、本当にそれで良いのだろうか?いや、良い訳が無い。俺は自分自身を包み込んだ影を突き放そうとするが、身体が思う様に動かない。自己満足。何か大きな物を失う代わりに小さな幸福を自分だけが得る。それで俺は満足しているのだ。これでは現状は変わらない。それどころか更に悪化する。この小さな幸せの誘いに乗ってしまえば俺はこの幸福に執着するだろう。


  俺は幻術にかけられている事が分かっている為、必死に自分の心を咎め唇を噛み締める。


 《もう、良いんだよ》


「良い訳が無いだろ!しっかりするんだ!」


  俺は自分自身を鼓舞する様に大声を張り上げる。その瞬間俺の周囲に纏わり付いていた影、及び背景までもが霧になって消える。動いた。この階層に入ってから思う様に動かなかった俺の身体は徐々に動き始めていた。ここの階層にて必要なのは自然の心情では無い。それとは真逆の心情だ。強い意志。全てを断ち切る程の強い意志こそがこの階層で必要な物だ。例え、それが欲望でも何でも良い。影が誘う誘惑を断ち切る力こそが必要だった。


  だが、俺が強い意志を持って記憶を断ち切ろうとすればその過去の記憶はより鮮明になり、俺の胸を引き裂く。


  動揺するな……俺……これは幻術なんだ。こんな幻術なんかに惑わされてはいけない。絶対にだ。俺が強い意志で突き放した一つの黒い影は勢い良く突き放した俺の方を振り返り、手を振った。そして、俺の周囲には先程俺を虐めた影が集まり手を繋ぎ、笑顔で俺の方を見ている。しかし、その笑顔は先程までの狂気染みた笑顔とは全くの別物だった。周囲の影は俺に向かって手を差し伸べて笑う。だが、俺を救った筈の影は良かったとでも俺に向かって言う様ににこやかに笑いながら去っていく。あの優しい影を突き放したのは俺だ。だが、今更あの影を追いかけるのは何かが違うだろう。孤独では無くなり、黒い影に祝福されるおだったが、何故か俺の心は紐で結んで縛り付けた様に苦しくなる。


  孤独から抜けた筈なのに何故……?俺は気が付いていない。自分で自分自身を責めている事を、外からの圧力に押し潰される感情とは違う。自分の行動に確信が持てずに揺らぐ俺の心は更に迷路に囚われ、永遠に迷路を彷徨う。


「待ってくれ!」


  負の無限ループ。安元はまさにこの状態に陥ろうとしているのにも関わらず気が付いていない。それが如何に滑稽な事か。安元は周囲の自分を祝福する影を解く事は出来ずに手を遠くへと伸ばす。だが、その手は自分を救おうとした影に届く事は無い。何故自分から離れる……別に離れなくても良いじゃないか!ここだけは安元の過去とは違っていた。何故何かを得る為に何かを失わなければならないのか安元は理解出来なかった。


  全てへの執着。全て丸く収めようと無難な道を常に選んで来た安元に取っては取捨選択をすると言うのは難しい判断だったのだ。既に安元の心に強い意志など無く、いつもの優柔不断な心が大半を占め、それが上手くいかない為、それは自責心と孤独心を掻き立てる。





  一体どれだけの時間が経ったのだろうか、俺は再び孤独になっていた。いや、物理的には孤独では無いのだろう。実際に今は俺を沢山の黒い影が囲み笑顔で俺に手を差し伸べている。だけど、それでも俺は心のもどかしさを捨て切れ無いままその手を取ってしまった。そのせいか、俺は孤独じゃなくても俺の中で孤独な気がして仕方がなかった。


  《仲間ができたじゃないか》


  違う。俺は未だに孤独なんだ。今作られている関係が全て何かの犠牲の元に成り立っている。そうであるならばそれは本当の関係なのか疑問なんだ。そう自分と人を疑い続ける俺は大分病んでいた。既に八十六階層の精神攻撃によってかなり精神的にやられていたのはあるが、それでも俺の精神力は自分が思っている以上に弱い。


  幻術。所詮は幻術だと分かっている筈なのに、心の奥から自分を信じる事が出来なくなってしまった。俺の心自体が幻、幻想なのではないかと思わせる程に。このままであったならば俺はここで終わりを迎えていてもおかしくは無かっただろう。


  だけど、俺と共に精神世界に入り込んでいる存在が二つあった。疑心暗鬼になり、地面に突っ伏している俺の心臓辺りに突如として赤い炎と緑色の光が灯り、発光を始める。それと共に俺の疑心暗鬼だった心は薄れて朦朧としていた意識が少しずつ戻されていく。俺を心の精神迷宮から連れ出したのは俺ではない。俺達に力を与えてくれた勇者達の分割されて与えられた意志と精神力の強さだった。


  突然身体に湧き上がる力に俺は納得し、前を真っ直ぐと見る。多大な犠牲と共に些細な幸福に満足するのでは無い。多大な犠牲など後で幾らでも取り戻せるのだ。些細な幸福もいずれは大きな幸福にする事が出来れば……多大な犠牲もいつかは小さな犠牲に出来たら良いじゃないか。何故あの勇者達が自身を消滅させてまで俺達に力を与えたのか思い出せ!


  自分達の力を与える事が後に大きな幸福となって降り注ぐと判断したからである。ヒトは常に取捨選択をしなければならない。これが出来なければ何も得る事は出来ずに死ぬ。今さっきまでの俺の様に。俺は強い意志を持って黒い影の手を握り返してスタスタと離れて行った影の方へと足を進めた。


  勇者達が力を貸してくれたお陰で精神世界から脱出の可能性を大きく上げた安元だったが、この勇者の精神力と魂の譲与は後に大きな意味を持たせる事になっていた。逆にそれが無ければ始まっても居なかったのかも知れない。勇者達の力の譲与はフローラが言っていた様に勝手に他人の都合で譲与されたのだ。その都合が、自分自身のある能力にあるとは今の安元が気付く事は無かった。


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