429話 八重強化
「影武者」
亜蓮の左手から放たれたナイフは弧を描いてトールの背後に回り込もうとするが、トールの身体から発せられる強烈な電気によっていとも容易く破壊されてしまう。だが、一瞬でも気を逸らせれば良いのだ。亜蓮の目的はヘイトを稼ぐ事ではあるものの、相手に自分のスキルの性質を如何にバレない様に立ち回るかと言う所にもある。亜蓮の左手から放たれたナイフはフェイクで、亜蓮の左手にはまだナイフは握られていた。
影武者と指向性除去を同時に発動する事で相手を動揺させ、その上で一気に攻め込む。これが俺達のやり方だ。既に山西はバフをかける準備を整えており、添島もオーラドームを発動する気でいる。最悪の場合オーラドーム発動後でも亜蓮がヘイトを稼げば、添島が回復するまで保護する事が可能だ。それに、このままスキルを温存してトールとの戦闘を続けるだけではトールには勝てない。俺はそう悟っていた。サンダーをほぼ一撃で戦闘不能状態に持ち込んだ重光の追加統合魔法はまず今の状態のトールには当たる事は無いだろう。サンダーの時も亜蓮が必死に食い止め、やっとの思いで影の領域にサンダーを閉じ込めてやっと攻撃を当てられたのだ。サンダー単体相手でも亜蓮の鎧はかなり傷付いていた為、トールとサンダーが複合したあの化け物を亜蓮が影の領域に閉じ込めると言うのは無理がある。
何よりも影の領域をサンダーがまともに食らったのは奴が影の領域の存在を知らず、その上油断していたからだ。既に亜蓮の技を見切っている相手に使っても効果は薄い。亜蓮が指向性除去と影武者を同時に発動した瞬間、俺は仲間達に合図を出す。それと同時に山西が動く。
「……八重強化!!撃防速!!」
八重強化だと!?今まで山西が発動した事の無い強化魔法に俺は驚いたが、そんな事を気にする間も無く体の底から今までに無い程の力が湧き上がって来た。だが、どうも山西の様子が少しおかしい。少しマナを使い過ぎたのか、気持ちが悪そうに頭を抱えて薄っすら涙を浮かべていた。それでも、添島、俺、アクアに遅れながらもトールに自ら近づいて行っている辺り、何か山西には策があるのだろう。
八重のバフがかかった状態の俺達は今までと比べると二倍、いやそれ以上の身体能力向上が望める。その影響で、トールの動きは先程までとは違いかなり遅く見えた。それでも、速い事には変わりは無いがこれならばまだ対応可能な速さだ。
「気円蓋」
添島が下を向いてゆっくりと言葉を紡ぎ、それとほぼ同時に添島の身体を練り込まれたエネルギーが包み込む。そして、添島が重光が形成した足場を蹴った瞬間、あまりの威力にその足場の付近には衝撃波が飛び交った。音速にも匹敵するかと思わせる速度で走り出した添島にトールは危機感を感じるが、未だトールは亜蓮にヘイトを完全に奪われてしまっている。幾ら二つのスキルを同時に発動させているとは言っても攻撃をそらす事が出来るのは指向性除去の方だけだ。その為、ミョルニルなどの致命の一撃になりかねない一撃だけを亜蓮は回避して、雷撃や拳での出の早い、無数の攻撃などを逸らしていた。
「!?バフ掛けか!あいつだけ何もしないと思っていたらそう言う役割の者だったか!我輩とした事が失念していたわ。余りにも彼奴が我輩の視界に入らない程に行動しない物でな」
トールは山西を嘲笑い、山西のスキルに気が付けなかった自分を叱責した。だが、少し違うな。山西は上手く動けなかったんじゃ無い。動かなかったんだよ。身体能力的に俺達の近接職の中で一番劣る山西はトールの身体能力を見て前線に突っ込むのは危険だと判断した。その上で、トールを倒す効率的な方法を模索していた。そこで考えたのが八重のバフ掛けで一気に倒すと言う方法だ。八重と言うバフをかけるには山西のマナの殆どを使用する必要がある。それに七重のバフでも掛け直しのマナを考えると安易には使えない。これはいつもの山西の戦闘スタイルである。自衛以外の戦闘は極力避けてここぞと言う時にバフをかけて自らも戦線に入る。
「それは少し違うな」
トールの言葉に対して柔軟に練ったエネルギーを身に纏った添島が否定しながら大剣を大きく肩に構えてトールの方へと駆ける。トールは添島のスキルも誤解していた。添島が尾根枝の様にデフォの脳筋マンだと思っていたならば間違いだ。
トールの攻撃の多様性と手数故に亜蓮がトールを長時間引きつける事は難しかったが、添島がトールに攻撃を仕掛けるまでの時間を考えたらそれで十分だ。トールは亜蓮が指向性除去を使ったのを確認して、それに合わせて蹴りを入れるが、亜蓮はスキルを解除した後方へと大きく飛んで雷を纏ったトールの蹴りを避けた。
そこへ上空から駆けて来た添島が大剣を上段に持ち替えて構える。しかし、それを分かっているとでも言わんばかりにトールはミョルニルを横薙ぎに振り払い添島に合わせて来た。
「甘いな」
トールのミョルニルが添島に到達するよりも早く添島の上空には足場が形成され、添島は上段に武器を構えたまま宙返りを行い、上空の足場を蹴って地面に着地、そのまま大地を蹴ってトールの胸元へと飛び込む。
「何だその動きは!?」
「さあな」
その柔軟性の高いバネの様な動きは添島の鍛錬によって性質を変化させて生み出された動きだ。その動きは側から見るとあまりにも不自然故にトールの口からはそんな言葉が紡がれる。柔軟且つ剛健な攻撃。このシンプルな攻撃は添島の今まで練り上げて来た気の集大成とも言えた。




