400話 絶縁体
アビスの口元に途轍もないエネルギーが収束し始め、添島は大剣を放置して逃げても間に合わない。そう俺達に悟らせた時だった。大きな殴打音と共にアビスの身体が真下に向かって吹き飛ぶ。アビスの頭付近には巨大な拳跡がついており、これを誰がやったのかは誰が見てもあきらかである。
透明化を解除した尾根枝が姿を表し、俺達に向かって親指を立てて、勝利を告げ、アビスが放とうとしていた莫大なエネルギーを含んだ水弾は明後日の方向へと飛んで行き、風のバリアを突き抜けて海中に着弾した。執念で掴んでいた添島の大剣ごとアビスも風のバリアを突き抜けて海中へと沈む。俺達はアビスの死骸を回収しようとアビスを追おうとするが、海中に着弾した螺旋状に渦を巻いた水弾は周囲の水を巻き込み、大渦を作り出し、風のバリアをも貫いた。
不味い。このままだと俺達はあの大波に飲み込まれて潰されかねない。運の良かった事にアビスの死骸は大渦に巻き込まれてある程度の水深から沈む事は無い。
「流動付与!」
俺は残りのマナをほぼ全て使い果たす範囲でリクィディティエンチャントを発動させて、仲間の近くの空気の流動性を渦とは逆向きに掻き乱した。周囲からは大量の水が押し寄せているが、反対方向に巻き上げる様に意識して流動性を付与された空気とその水はぶつかり合い更に巨大な波を作り上げる。
そして、波が繰り返し形成され、渦が渦で無くなり始めた頃に俺はゆっくりと円を描く様に渦を作り出して波の勢いを弱め、渦を抑える事に成功した。その際にアビスの死骸を紛失しないようにアビスの周囲にも別の流動性を付与していたせいで、割とマナはギリギリだった。
アビスを倒した事で俺達の目の前には蒼く煌めく円状の巨大転移ゲートの様な物が出現する。その転移ゲートをくぐると俺達は何処かの洞窟に転移した。転移先で後ろを振り返ってみるとそこには七十六階層の入り口の様な湖が存在しており、そこが八十階層と繋がっている事が推測出来た。
その転移場所から歩いて五分程の場所には転移碑が設置してあり、そこから上に続く階段が目の前にはあった。その階段には緑色の苔が大量に付いており、その周囲では何故かバチバチと青色の紫電の様な物が走っていた。
そこには階層の切り替えを示す虹色の半透明の膜が降りていた為、階段を上に抜けた先は八十一階層だ。少し様子を見ると言う意味でも俺達は濡れた身体のまま階段の苔を踏んで顔を痙攣らせる。
階段の苔を踏むや否や全身に走るピリピリとした感覚は地味にアビス戦で疲弊した俺達にとっては効く。この程度の電気ならば別に問題は無く、寧ろ心地いいレベルなんだが、これだけ完全防護をしていても通電性は普通の様だ。
更に階段を上って俺達は八十一階層に出ようとして最初に触れた足先に強烈な痛みを感じて反射的に階段に引き返す。八十一階層に脚を踏み入れた俺達を襲ったのは強烈な電流だ。唯一尾根枝だけが何ともない様な顔で八十一階層の方へと脚を踏み入れていたが、俺達がまともに行動出来ない為、無理矢理尾根枝を八十階層に引き戻した。
「やっぱりここまで深層に来ると環境の特殊性故に専用の装備がいるな……」
「確かに……」
「ここは一旦引いてジジイに装備を任せよう」
「確かに、それが良いだろう」
八十一階層が強烈な電気が流れる階層だと知った俺達は直ぐに満場一致で一旦拠点に戻る事にした。一応土魔法や土属性のエンチャントでカバーは出来るのだろうが、俺もマナが残り少なくそこまでして次の階層を視察する元気は残っていなかった。
拠点に戻ると待っていたジジイが直ぐに俺達に対して素材の確認をし始めた。
「おお、やはり戻って来たか。それでいきなり何じゃが、お主達……海王兜の兜の部分の素材は勿論回収しているよの?」
「「え」」
唐突に関係無さそうな話を始めたジジイは固まった俺達を見て頭を抱えて自分の素材管理室の方へと歩いていき、五分程で戻って来た。
戻って来たジジイの手には巨大な見覚えのある大理石の様な岩石や海王兜の兜が大量に乗せられていた。あの大理石は海中洞窟エリアにあったマナを大量に発する石だ。あの素材が今回の装備を作るのに必要なのか?
「まぁ、お主らも分かっておるじゃろうが、次の階層では雷耐性が高い装備品が必要じゃ。それで雷耐性が高く絶縁体ともなり得て強度の高い素材が必要になる訳じゃよ」
「それがその素材って訳か」
「そうじゃ。今回は足りない素材はワシが補っておいた。感謝するんじゃぞ」
「ああ、ありがとう」
俺達はジジイが素材を補填しているのは今回だけじゃない事は知っているのでジジイの言葉に素直に頷いて感謝の意を述べる。確かに地球では大理石が絶縁体にも使われてたな。だけど次の次のエリアの予習まではしていない為、八十一階層からがそう言うエリアだと分からなかったし、カナデンシス達と戦闘を行うのは面倒だったのは間違いない。
ジジイが装備品を作っている間に今回の教訓を生かして次の次のエリアの予習をしとこうと考えた俺だったが図書館のモンスター図鑑をめくっていて俺は眉を潜ませる。
八十六階層から九十階層までのモンスターの情報が殆ど載っていないのだ。何故だ?俺はそう思いながらも疲労感を覚えて自室に戻り眠りについた。
「次の領域は力づくでも突破できるじゃろうが、その次はどうかのう……もう時間が無い。あの階層で時間をかけるので無いぞ……予想以上に奴が出て来るのは早そうじゃ……もしそうなった場合……あのお方から聞いたあの技を伝授する他無かろう。例え、それがあやつの信念に背くと知っていても」
安元達が寝静まった頃ジジイは工房でハンマーを奮いながら何かを悟った様な表情でポツリと呟いた。




