396話 誘導作戦
嘘だろ!?全方位を水で囲まれた風のバリアは大きく凹み、既に原型を保つ事は難しくなっている。あの風のバリアは強烈な水流にも耐えられる様にわざわざ重光が風の流れが対になる様にコントロールしているものだ。それをいとも簡単に……。このままでは俺達は全方位から押し寄せる水に圧迫されて即死だ。これはマナの消耗が大きくても仕方ないか……?重光の風のバリアはまだしも、まさか山西のスキルを直接レジストされるとは思ってもいなかった。
俺がリクィディティエンチャントの準備を始めた時その様子に気が付いたのか亜蓮が左腕を俺の前に出して静止する。その時の亜蓮の肉体には紫色のエネルギーが纏わりついていた。
「おい、お前あんな全方位の攻撃でも大丈夫なのか?それに、本体もまだ認識出来ていないだろ?」
「大丈夫だ。問題ない。そこら辺は魔導射出機構でコントロールして上手く誘導して流すさ」
「絶対上手くやれよ?俺は態と風のバリアの外に出て奴のヘイトを引きつける。お前の認識できる場所まで奴を引きつけられたら、後は任せる」
「ああ、任せとけ」
風のバリアの中を落下しながら俺はリクィディティエンチャントを発動し、風のバリアの外へと出る。既に外側から水流が激しくこちらを襲うが全身から水を押し返す様に流動性を変えている為俺は水中にとどまる事が可能だ。
自分の周囲の流動性を変えるくらいならば然程マナを消耗する事は無いし、かなりの長時間の行動が可能である。
亜蓮がスキルを発動した所で大質量の水が一気に流れを変えて巨大な一本の槍となって亜蓮を襲う。それはまるで一匹の巨大な龍が亜蓮を食おうと追いかけている様子にも見える。
だが、亜蓮もその程度ではやられる事は無い。左右の腕に着いたマジックインジェクションを使って風のバリア内を上下左右に自由自在に飛び回り、大質量の水流が一本に纏まった所で亜蓮は紫色のエネルギーを腕に纏わせて正面に構えた。そして、一本の塊になった水流を受け流して風のバリアの外へと追いやる。
あまりに大質量の水が一気に風のバリアの外に流れ込んだ事によって風のバリアの外の水流は荒れ狂い、水流を操っていた奴の水流操作が一瞬狂った。そのタイミングを狙っていた俺は目を凝らす。
すると、奴はそこにいた。水流を操っていた奴が近くにいて助かったぜ。まぁ、それもそうだよな。水流を操作するのだから距離が遠ければ遠い程正確な操作は困難になり、攻撃を行う際に俺達の正確な位置を知っていたとしても予め俺達が動く位置を予想しておく必要がある。
現に今の様な全方位攻撃を行う場合は位置情報と予測情報の一致は必須レベルだ。それを見つける為に俺は最初山西を使ったが、一瞬でも水流の流れが大きく崩れれば、水流を操作している奴は直ぐに形勢を立て直そうとする筈だ。そうなれば水流を操作すると言う動作故に必ず水流の流れが一気に変わり始める起点が出来る。
ここのエリアは何かと暗い上に水流に揉まれて視界が閉ざされ更に、俺達は風のバリアのせいでまともに外の視界が見えていない。奴は水流操作の位置バレの弱点をそれでカバーしていたんだ。
水流に揉まれて視界が見えにくいとは言え、俺の流動性付与は周囲の環境すら変えるチート技だ。媒介を通じてレジストされたならば元も子も無いが俺が動かしているのは奴がマナを流し込んでいない周囲の水だ。それに、俺は山西よりもレジストされ難い。
真っ黒な鱗に全身を包んだ二足歩行の龍は自分を見つけた俺を見て長い指と黒曜石の様に美しく透き通った爪を持つ手をゆっくりと叩きながら口元を綻ばせて念話で話す。
《流石だ。俺の部下が三体合流出来なかった様だが、やられたのも納得だ。いきなり試す様な真似をして悪かったとは思ってるんだが、お前ら俺の正体は勿論分かってるよな?それにここが八十階層の入り口付近だと思ってる馬鹿はいるか?まぁ、流石にいないよな?》
念話で話しかけてきた奴の口調は違うものの、少し前に俺がムカついた奴の動作に少し似ている。それ以上に口調は悪くかなり俺達を煽っている。まぁ、正体は当然俺の部下とか話してる為アビスという事は分かっている。
それでここが八十階層の入り口付近じゃない?俺はそこで合点が行った。アビスって言ったら海中洞窟エリアのボスモンスターだ。それに、ジジイの図鑑で見た容姿とこいつの容姿はほぼ一致していた。まさか、ここは八十階層のボス部屋か?そう考えるならば八十階層を幾ら探してもボス扉が見つからなかった理由は分かる。
それにしてもアビス……性格悪いな。俺達が八十階層のボス扉探してるの分かってて俺達を嘲笑う不気味な水流を水流操作で生み出して数時間も追尾した挙句、いきなり奇襲を仕掛けて念話で煽るとか……コイツ絶対許さねえからな。
《俺が作り出した水流に笑われ続けて苛ついてるお前らを見てるのは楽しかったぜ?いつになっても水流操作を阻害してこないからこっちから出向いてやったんだ。有り難く思えよ?》
アビスのこのベタな煽り発言で俺は逆に冷静になり物事を整理する。まずはアビスの戦闘能力は先程言ったとおり地の利も活かして戦われば俺達はかなり不利である。今のところ未知数なのはアビスの直接戦闘能力だ。
アビスの容姿から考える。アビスの見た目を一言で言うならば黒龍だ。黒い鱗の肉体には三つの頭がついている。一つ目は普通の頭だ。細く鋭利な蛇の様な頭は胴体から長い首を伝ってついているが、頭の大きさ的に対象を飲み込むのでは無く、ノコギリの様に生え揃った牙で対象を切り裂くのが主な使い道だと思われる。
頭の上部には長いツノが何本も連なっておりその内二本はアビスの背中位までの長さを誇っている。
二つ目の顔は胴体の胸の部分に付いている。首は無く、頭だけだがその容姿はかなり醜い。口の中に生えている漆黒の牙が顔の体積の殆どを占めている為顔と言えるのかどうかは分からない。だが、その上下に生え揃った牙が上下左右に動き、正面に白色の目玉が付いている事からあの部分を俺は頭とカウントしている。
三つ目の頭はアビスが背負っている甲羅の中にある。アビスの胴体はどちらかと言うと下腿ががっしりとしているが、その理由は背中にある巨大な亀の様な甲羅のせいだと思われる。亀の様なと言っても甲羅からは複数本の昆虫の様な脚が生えており、その脚はアビスの胴体にめり込む様にして接合してあり、甲羅表面には死神の鎌を連想させる黒い棘がびっしりと生えていてとても触れる様な状態ではない。亀の甲羅の中からは紅の目が複数甲羅の隙間からこちらを凝視していてかなり怖い。
二足歩行の胴体に付いている尾は長く、アビスの体長の約半分である六メートルを占めている。アビスの全長は十二メートル程とアクアより小さく、モンスターの大きさ感覚が狂った俺達に取ってはアビスはかなり小柄に見えた。
この戦いは如何にアビスより先に周囲の水の主導権を死守するかに限る。その為には大きく移動をしながら戦う必要がありそうだな。アビスの本体は見つけた。あれがイカ野郎の時みたいに分身の可能性もありそうだが、取り敢えずはあれを本物と思って戦うしか無さそうだ。
亜蓮の合図で俺は動く。亜蓮の誘導がアビスとの戦いの殆どを握っているのは間違いないだろう。




