19.獣
地面を割って漆黒の獣が再度姿を現した。
三つの首を持つ地獄の番犬ケルベロス。
だったはずの獣が今は、シェーラの大魔法の一撃を受けて後ろ足を一本失い、全身が焼けただれ、三つの首のうち左の首ひとつだけが残っている有様だ。
明らかに満身創痍だが、それでも残った首でか細く吠える。
すると全身の傷口から肉が盛り上がり、失われた傷口を瞬く間に修復した。
「うわっ、きもっ」
シェーラが率直な感想を口にする。
確かに見てて気持ちいい再生の仕方じゃなかったな。
それにしても、この再生の仕方はやはり、ケルベロスはアウグストに造られたアンデッドだったってことだろう。
再生を果たしたケルベロスが三つの首で俺たちをにらむと、轟音のような遠吠えと共に襲いかかってきた。
速い。
地面を蹴ると同時に俺の目の前に降り立つと、その勢いのまま鋭い爪を振り下ろした。
俺なんかでは反応するどころか目で追うことすらできない一撃が、甲高い音と共にダインの大剣によって受け止められる。
「おう、ぼさっと立ってんじゃねえぞ」
「悪い。助かったよ」
「ユーマにバトルは期待してねえからな。とはいえ……」
ダインが大剣を跳ね上げてケルベロスの爪を弾き返す。
漆黒の獣は驚くようなうなり声をひとつ漏らすと、後ろ足だけで立ち上がった。
人の倍以上もある体躯がさらに大きく持ち上がり、二つの前足を激しく何度も打ち下ろしてきた。
「ははっ、いいぞ! やればできるじゃねえか!」
ダインが喜色満面の笑みでそのことごとくを受け止める。
一発一発が、俺を叩き潰して挽き肉にするには十分な威力がありそうなのだが、ダインにはまるで効いていないようだ。
ダインが受け止めたケルベロスの爪をそのまま切り裂き、獣の巨体を跳ね上げる。
がら空きとなった胴体に向けて剣を構え、ニヤリとした笑みを見せた。
「アヤメ、頼む!」
「うんお姉ちゃん! <エンシェントウェポン>!」
ダインの呼びかけに答えて、アヤメが魔法を唱える。
竜殺しの大剣が白い光に包まれた。
アンデッドに特大のダメージを与える属性付与の魔法だ。
あのアンデッドドラゴンを倒すときにも使ったよな。その効果は保証済みだ。
とはいえ、ケルベロスにはあの超回復力が備わっている。
「食らいな! <フルクラッシュ>!」
すさまじい勢いの一撃がケルベロスの胴体を半分近く消し飛ばした。
ダインの猛攻でケルベロスに致命傷を何度も与えているのだが、そのたびに再生されてしまう。
とはいえ、バトルはダインが優勢だ。
このまま削り続ければいつかは倒せるだろう。
しかし、それだと時間がかかりすぎる。
ケルベロスが再び暴れはじめたことで周囲に集まっていた兵士たちがまた逃げたようだが、時間をかければかけるほど状況は悪くなっていくだろう。
「勝てない相手じゃないけど、決め手がないわね。あたしの魔法でも即死ってわけにはいかないし」
「ふむ。我の力を少し解放すれば存在ごと消し飛ばすこともできるが」
ラグナの言葉を聞いて、いつかの戦いを思い出す。
山をひとつ消し飛ばし、広大な森がひとつ消滅したあの戦いだ。
あの力なら確かにケルベロスくらい一撃で消滅できるだろう。
それどころかこの城自体壊滅させられる。
だが俺は首を振った。
「いや、ラグナはこっちの切り札だ。まだ知られたくない。それに威力が高すぎて無関係の人まで巻き込んでしまいそうだしな」
見張りの兵士なんかは一応立場的には敵になるが、アウグストに雇われているだけなのが大半だ。
できることならば巻き込みたくない。
「じゃあどうするの?」
「逃げちゃってもいいんじゃないのかな」
アヤメが遠慮がちに声を上げた。
「確かに逃げるのはありだな。でも、やはりここで倒しておきたいな」
正門がここにしかない以上、あとでまたここにくることになる。
そうすると、今ここで逃げたとしても結局はまた戦う羽目になるだろう。
なら弱っている今のうちにとどめを刺すべきだ。
「ここはやはり、俺の新技を見せるしかないようだな」
「なにか策があるわけ?」
「まあな。アウグストがネクロマンサーなのは知ってたからな。それなりに対策は考えてあったさ」
むしろその策を試すいいチャンスと考えるべきだろう。
ダインはまだケルベロス相手に優勢に戦いを進めているようだ。
不死属性を持つ獣相手に物理で圧倒するとかチートにもほどがあるが、さすがに決め手に欠けることは変わりない。
押してはいるものの、まだ時間がかかりそうである。
「おいダイン、悪いが手を貸させてもらうぞ!」
一応声をかけておく。
黙って攻撃なんてしたら、オレの獲物を横取りしやがって! とあとで怒られるからな。
「ああん!? 余計な手出しするんじゃねえ!」
思った通り罵声が返ってきた。
俺だって余計なことはしたくないけどよ。
そうもいってられないからな。
俺は左右の手を開き、意識を集中する。
「借りるぜアヤメ!
スキル合成! <ターンアンデッドLV.10><ディケイドロアーLV.0.01>!」
左右の手に生まれた光が両手のあいだで合成される。
生まれた光の奔流が、まっすぐにケルベロスへと向かっていった。
光を浴びたケルベロスがけたたましい悲鳴を上げた。
一緒に戦っていたダインも光を浴びたが、ダインには一切ダメージはない。
アンデッドを浄化する聖なる光に、ディケイドロアーの光の奔流を合成したスキルだ。
普通の生命に対してはまぶしい以上の効果はないが、不死属性を持つアンデッドに対しては絶大な効果を発揮する。
その光をモロに浴びたケルベロスが苦悶の声を上げて地面をのたうち回っていた。
全身からは焼けただれたような煙がいくつも上がっている。
焼けたところから崩れ落ちていくばかりで、再生する気配はない。やはり効いているようだな。
「ちっ、余計なことしやがって!」
ダインが悪態をつきながらも大剣を頭上に高く振り上げた。
「砕け散りな! <フルクラッシュ>!」
一条の流星のような斬線を描いて剣が振り下ろされる。
直撃を受けた漆黒の獣の体が真っ二つに切り裂かれた。
というか、体の中央を押し潰されて二つにちぎれた、という方が正確かもしれないがえぐいのでよくは見ないようにしよう。
「おいユーマ、これで貸しひとつだからな」
「どっちかっていうと貸しを作ったのは俺の方だと思うんだけど……」
「ああ? 人の獲物を横取りしといてなにいってんだ。消化不良のこの思いをユーマ相手に発散してもいいんだぞ」
「貸しひとつでお願いします」
俺は即座に頭を下げた。
ダインと戦っていたら命が七つあっても足りないよ。
「ユーマ君、それより、早く……!」
アヤメがすがるように急かしてくる。
どうやら戦闘が収まったことで、避難していた兵士たちが再び集まりだしてきたようだ。
たしかにゆっくりしてる暇はなさそうだな。
「スキル発動。<ゲート>」
さっそく俺は時空の門を開いた。
一度来た場所だから、今度は世界地図なんかなくてもすぐに成功する。
ゲートの先はサウスの宿屋だ。
「よし、じゃあさっさと逃げるぞ」
ゲートをくぐった俺に続いてアヤメたちもやってくる。
全員の避難を確認すると、すぐにゲートを閉じた。
これで俺たちがどこからきたのかもわからないだろう。
宿屋に戻ってくるなり、俺はどっと疲れてイスの上に落ちるように腰掛けた。
ふう、やれやれ。なんとか戻ってこれたな。
結構な騒ぎになったため警戒はされてしまっただろうが、しかたない。生きて帰ることの方が大事だ。
「お疲れさまユーマ君」
アヤメがいつもの言葉でねぎらってくれる。
この言葉を聞くと、やっぱ戻ってきたなって感じがするな。