8.治癒魔法
魔界の魔素をどうにかできないかとアヤメに頼んだところ、アヤメが困ったような顔になった。
「病気を治したり毒を中和する魔法ならあるけど、それだけだとちょっとうまくいくかはわからないかも……。実際に見てみないと」
「見てみるっていうのは、魔界に入ってみるってことか?」
「……うん。危険かな?」
伺うような視線を向けるアヤメに、俺もすぐには答えられなかった。
なにしろ危険なんてものじゃない。一歩入っただけで倒れるような場所だ。
つい視線がゲートの向こうに向かう。そこではバカでかい剣を背負った美女が立っていた。
「そんなにヤバい場所なのか? まあちょっと息苦しい感じはするけどよ」
……まあ中にはピンピンしてるやつもいるけどさ。
ひ弱な俺やアヤメだとやっぱ厳しいだろう。
つーか人類最強すらありえるダインが息苦しいって、それはもう一般人は即死レベルということでいいのでは。
「とはいえ入ってみないとわからないなら、しかたがないか……」
少なくともすぐに死ぬわけではないことはわかってるからな。
万が一倒れてしまっても、ラグナのように魔素を吸い出せば平気だろう。
ええと、確かラグナがやってくれた方法は、口から魔素を吸い出すんだったか。
ん? それはつまり俺がアヤメと……。しかも吸い出すくらい強く……。
ラグナの吸出し方法を思い出して、俺は顔が熱くなるのを自覚した。
ついアヤメの唇を見つめてしまう。
アヤメがきょとんとしながら俺を見つめ返した。
「どうしたのユーマ君。私の顔に何かついてる?」
「え、いや!? 全然別に!? なんでもないよほんとほんと!」
慌てて言いつくろう。
ら、ラグナの方法は魔力を操れるからこそできるわけで、俺が同じことをしようと思ってもうまくいくわけないだろう。うんうん、だから気にする必要なんてない。
……残念なんて思ってないぞ。
いやまてよ、そういえば体内に入るのがまずいって話だったな。
ということは……。
「アヤメ、ちょっと待っててくれ。先に俺が入る」
「え? でも、危ないんじゃ……」
「だからだよ。そんなとこにアヤメを行かせられるわけないだろ。まず先に俺が入って安全か確かめる。それで大丈夫だったらアヤメも来てくれ」
「あ、うん。……ありがとうユーマ君」
アヤメがなぜだか少し顔を赤らめてお礼を言ってくる。
対してシェーラはなぜか不満顔だった。
「ふーん、ユーマってアヤメちゃんの時にはいつもカッコいいこというわよねー」
「なにいってんだ、そんなの当然だろ。アヤメは俺の命に代えても必ず守る。そう決めたんだからな」
「ふえっ?」
変な声を上げて驚いたのはアヤメだった。
「大切な人を全力で守るのは男の義務だからな」
「ゆ、ユーマ君! もう大丈夫、大丈夫だから!」
なぜだか真っ赤になったアヤメが俺の服をつかんで止めようとする。
なぜ止められるのかよくわからないが、これは大事なことだからな。止めることはできない。
むしろわかってないようなら、よく言い聞かせておかないといけないな。
アヤメたちは俺の命が大事だとよく言っているが、俺だってアヤメの命はなによりも大事なんだ。
アヤメの肩をつかんで真正面から見つめ合う。アヤメは緊張からか震えた瞳で見つめ返してきた。
「なにが大丈夫なんだ。わかってないようだから教えてやろう。俺にはアヤメが必要だ。アヤメがいなければ生きていけない。それくらい大切な存在なんだよ」
なにしろアヤメは俺たちの中で唯一の回復魔法持ちだからな。
俺が倒れても回復すればまだなんとかなるが、アヤメが倒れたらそれを回復できるやつはいないんだからな。
ダインが当然だというように深くうなずいている。
「よくわかってるじゃねえか。アヤメは世界一かわいいからな。ユーマのその気持ちはよくわかるぜ」
「ああ、まったくだな。ちょっと控えめなところがまたいいんだよな」
「はわ、はわわわわ……」
俺たちが深くうなずき合う横で、アヤメが顔をこれ以上ないくらい真っ赤にして、口をあわあわさせていた。
うむ。ちょっとからかいすぎたかもしれない。
「アヤメの代わりに身を張るのはかまわないが、なにか当てはあんのか? お前たちにはこっちは危険なんだろ?」
「ああ。心配するな。簡単なことだよ」
ラグナは魔素が体内に入ると毒だといっていた。
そしてその魔素は口から強引に吸い出すことで取り除けるらしい。つまり呼吸で体の中に入っていたということ。
それがわかれば対策は簡単だ。
つまり、息を止めればいい。
たったそれだけで魔素は無効化できるはずだ。
俺は一度深呼吸して息を止めると、意を決してゲートの向こうに踏み込んだ。
広がる景色は二度目のため、今さら感慨はない。
胸の中に広がるのは、抑えきれない恐怖だった。
これで倒れる心配はないはずだ。
そう思っていても、倒れた昨日の記憶が消えてなくなるわけじゃない。
息を止めて立つ数秒間のあいだ、心臓の音がいつも以上に強く鳴り響いていた。
頭の中で数を数える。
十秒……二十秒……三十秒を数えたところで俺は洞窟の中に戻った。
同時に止めていた息を深く吸い込む。
ああ、空気がうまい。
以前のような体調の悪さはなかった。
思った通り息を止めていれば魔素の影響はないみたいだな。
「ユーマ君、大丈夫なの?」
アヤメが心配そうにたずねてくる。
俺は安心させるように強くうなずいた。
「息を止めていればその間は毒にやられることはないみたいだ」
「そうなんだ。じゃあ次は私の番だね」
アヤメが息を吸い込み、ゲートの向こうに足を踏み入れる。
驚いたように立ち止まったから、きっと向こうの景色にびっくりしたんだろう。
なんか世紀末みたいな感じになっているからな。
しばらくは驚いていたが、やがてきょろきょろと周囲を確認するように首を巡らせはじめた。
周囲の空気を確認しているのかもな。
しばらくそうしてから、やがてこっち側に戻ってきた。
ゲートをまたいだとたん、ぷはっとかわいらしく息を吸い込む。
「大丈夫だったか?」
「ユーマ君の言う通り息を止めてたら平気だったよ。それに、あれだったら私の魔法でなんとかできると思う」
そういって目を閉じると、魔法を唱えた。
「<キュアディジース>」
手のひらから優しい光があふれ出す。
その光はアヤメと俺を包み込んだ。
体の中から悪い何かが消えていくような感覚がある。
同時に、わずかにあった息苦しさがすっと消えていった。
「今のは……」
「息を止めてても、やっぱりちょっとは体の中に入っちゃうみたいだから」
そういってから、非難するような視線を向けてきた。
「ユーマ君は平気だっていってたけど、そんなことなかったんだからね。無理しちゃダメだよ」
「ああ、すまない。ありがとうな」
俺は全然気がつかなかったけど、息を止める程度じゃ完全に防ぐことはできなかったみたいだな。
いつも思うが、アヤメの魔法はすごいよな。それにすぐに使いこなすところもすごい。
思った通りアヤメは回復魔法のエキスパートとして成長している。
だからこそアヤメならどうにかできるんじゃないかと思って頼んだわけだが。
おかげで魔素をどうにかする方法がわかった。
俺は冒険者カードを取り出すと取得可能スキル一覧を表示する。
たったいま受けたばかりのアヤメの魔法「治癒魔法 キュアディジーズLV.10」があったためすぐに覚えた。
よし、これで準備完了だ。
俺は両手を開き、意識を集中する。
合成のスキルには一つ法則がある。
それは右手に持ったものがベースになるということだ。
特にスキルの合成になるとその傾向が強い。
右手をベースとして、左手の性質を追加する。
そのイメージを持つとうまくいきやすいようだ。
なので俺は左右の手にそれぞれ別のスキルを思い浮かべた。
「スキル合成。<キュアディジーズ><女神の加護>」
右手からあふれた優しい光が、女神の加護の力を受けて俺の中心としたドーム状の膜を作り出す。
これが昨日のうちに考えておいた方法だ。
あくまで使用するベースはキュアディジーズのほうだから、女神様のほうは使用していないことになるみたいなんだよな。
これで魔界の魔素を防ぎつつ、<女神の加護>の一日一回の制限もクリアできる。
ドーム状に薄く伸ばしたせいか光はほとんど見えなくなったが、見えない力に守られているのを感じる。
とはいえ、本当にうまくいくかはやってみないとわからないんだがな。
まあ昨日と違って今回は倒れても助けてもらえるし、たぶんなんとかなるだろう。
というわけで、意を決してゲートを超えて魔界に降り立ってみた。
恐る恐る息を吸い込む。
また倒れるんじゃないかと内心ビクビクものだったが、前のような感じはない。
その後しばらく何度か呼吸を繰り返したが、どうやら大丈夫みたいだ。
「そんなものに頼るのは根性が足りねえからだよ」
「根性でなんとかなる方がおかしいと思うんだが」
そのまま魔界にアヤメやシェーラにも入ってもらったが、どうやら平気みたいだった。
このバリアがどれくらい広いのかわからないが、それなりに離れても平気なようだ。
「こざかしいことを考えるのが得意なユーマらしいじゃねえか!」
ダインにほめられた。
せめて後方支援が得意とかいってくれないかな。