4.相談
魔界から戻った俺は、いったん王宮に帰ってきた。
魔界には魔素と呼ばれる、魔族にとっては普通だが人間にとっては毒になる物質で満ちていて、一歩入っただけで死にかけたんだよな。
だからそれを回避する方法を考えないといけない。
体内に入ったものをラグナに取り除いてもらえれば平気ではあるんだが、毎回やってもらうわけにもいかないし、影響があるのは俺だけではないだろう。
やはり根本的な解決策を考えないとな。
思いつくことがないわけではないが、まずは詳しいに人に話を聞くのが一番いいだろう。
といっても魔界について詳しい人なんて限られているけどな。
「というわけでアメリアに話を聞きに来たんだが……」
自室にいたアメリアは大きなテーブルの前に座り、広げた書類の山と格闘していた。
さらには執事らしき人物とか大臣風の偉い人とかがいて、その後ろに何人もの資料を抱えた部下を待機させている。なにやら重要な会議をしているみたいだな。
「悪い、忙しそうだな。手が空いたときにでもあらためて……」
「いいえ! たった今暇になりました!」
「ええっ!?」
どう見ても仕事中なんだけど。
驚いたのは俺だけではなかったようで、執事の男性たちも驚いたようにアメリアをみる。
「姫様、今は隣国との交渉で重要な案件を……」
「ではそれをあれしていい感じにしておいてください。では本日の会議はこれで終了とします」
「具体的な指示がなにもないんですが!?」
「いいのです! わたくしは今日はもう休養をとると決めたのです! さあもう解散です! 帰ってください!」
強引にそういうと、集まっていた部下たちを強引に追い出してしまった。
それから小さな鈴を取り出して鳴らすと、控えていたメイドがすっとそばに寄ってきた。
少し高価そうなエプロンを身につけているから、メイド長みたいな人なのかもしれない。
「わたくしは今とても甘いものが食べたい気分です。すぐに二人分用意してください。場所は……そうですね、そこのテラスのテーブルなら邪魔も入らないですしちょうどいいでしょう。でも少し大きすぎますね。一回り小さいものに交換してください」
「了解しました。すぐ手配します」
有能ぶりを思わせる細かな指示を出すと、メイド長が恭しく頭を下げた。
「ああ、それと、用意が済んだら扉の外で待機していてください。こちらから呼ぶまで決して中には入らないように。それからもちろん、誰が来ても中に入れないように。理由は、そうですね……、気分が優れないので大事をとって休んでいる、とでもしておいてください。夕食までには戻りますからと」
「かしこまりました」
かしこまっちゃったよ。
もうちょっと自分の主の行動に疑問を持ってもいいんじゃないだろうか。
その後すぐに普通のメイドさんたちが現れると、アメリアの指示をこなしていった。
一体どこで話を聞いていたのか知らないが、テラスにあったテーブルを一回り小さなものに交換し、そこにポットに入った紅茶とお茶菓子を用意すると、音もなく部屋を退去していった。
がちゃりという鍵のかかる音が、なぜだか妙に生々しく聞こえた。
すべての用意が済むと、アメリアが俺のほうを向き、ぱあっと顔を輝かせた。
「まあユーマ様、突然わたくしの部屋を訪ねてくれるなんてうれしいです」
「突然もなにもさっきからずっといたんだが……」
「ちょうどこれからお茶菓子をいただこうと思っていたところなんです。よろしかったらご一緒にいかがですか?」
「え、ああ、うん。そうだな。せっかくだしもらおうか」
くれるというなら断る理由もない。せっかくだしもらっておこう。甘いものは普通に好きだしな。
「ありがとうございます。ではこちらにどうぞ」
笑顔にアメリアに部屋からすぐ出たとこにあるテラスの席に案内された。
座ってから気がついたのだが、テーブルは思ったよりも小さくて、テーブルを挟んで向かい合う形で座ったにも関わらず、アメリアの顔が目の前にあるような近さだ。
テーブルにひじをついて、アメリアがニコニコとこちらを見つめる。
それだけで顔が目の前に来てしまい、思わず仰け反ってしまうほどだった。
「このテーブルちょっと小さくないか?」
「そうでしょうか? いつもこれくらいのサイズでしたけど」
ついさっきものすごい手際の良さで交換されたばかりな気もしたんだが。
「それで、本日はいったいどのようなご用でしょうか」
「あ、ああ、実はさっき魔界に行ってきたんだが、そこで調べたいことがあってな……」
距離の近さにドギマギとしながらも、俺はこれまでのことを説明した。
魔界には魔素と呼ばれるものが満ちていたこと。
それが人間にとっては毒であること。
それをどうにかしなければ魔界の先には進めないこと。
話を聞き終えたアメリアが顔を曇らせる。
「そうだったのですか……。魔界は危険なところなのですね。そのようなところにゆかれるユーマ様をお引き留めしたいのですが……」
「悪いな。そういうわけにもいかないんだ」
今更怖いから引き返す、なんてわけにはいかない。
アメリアが静かに首を振った。
「いいえ、ユーマ様が謝るようなことではありません。むしろそのようなことをお任せするしかないわたくしのほうが謝るべきです」
「まあそれについてはもういいさ。それで、アメリアなら魔界にも詳しいんじゃないかと思って話を聞きに来たんだ」
こっちの人間で魔界に詳しいといえる人はほとんどいないだろう。
なにしろ向こうに行く手段がないんだからな。
せいぜいが昔の文献を漁るくらいだ。
その点、王宮にならそういった本があってもおかしくないし、アメリアも魔界に行って魔王と直接交渉しようとしていた。
事前にいろいろと調べていただろう。もしかしたら魔素についてもなにか知っているかもしれない。
回避方法について知っていたら一番手っ取り早いんだがな。
それにアメリア自身が知らないことでも、他に詳しい人を知っているかもしれないしな。
その人を紹介してもらうのもいい。
しかしアメリアは伏し目がちに首を左右に振った。
「申し訳ありません。その魔素といったものについては、わたくしも初めて知りました」
「そうか……」
なにかしらのヒントでもあればと思ったんだが。
そもそもこっちから魔界に行けないんだから、わかるはずもないことではあるんだが。
俺の落胆が顔に出ていたのだろうか、アメリアが明るい声を上げた。
「わからないことは仕方ありません。ですがこれから知ることはできます。せっかくこうして二人もいるのですから、知恵を出していけばいいんです」
前向きな言葉に俺は顔を上げる。
明るい笑顔が俺の顔をまっすぐに見つめていた。
きっとその笑顔は、俺を元気づけるために無理矢理浮かべているものだろう。
そんなつもりはなかったのだが、思っていた以上に俺は落ち込んでいたようだ。
わからないのなら、わかるまで調べればいいだけのこと。
確かにアメリアの言う通りだ。
「すまない。相談に来ただけなのに、なんだか気を遣わせちまったな」
「いいえ、気にしないでください。それどころか実は、こうしてわたくしを頼ってくれたのがうれしいんです。ユーマ様を送り出すしかできない自分がとても情けなく思っていましたので」
アメリアがなんの役にも立っていない、なんてことはあるはずがない。
<未来視>をはじめとして様々な面で助けてもらったのだが、彼女は彼女で色々と気にしていたようだ。
ちなみに未来視の能力はラーニングできていなかった。
あくまでも食らったスキルを覚えるものであるため、俺に向かって使うわけではないものはダメなようだな。
「ま、そういうことなら遠慮なく助けてもらおうか」
「はい、ユーマ様なら遠慮なさる必要はありません。仕事が忙しそうとか、他に用事がありそうだとか、声が聞きたかっただけだとか、そんな理由できてくださってもいっこうに構いません。いえむしろ来てください。わたくしもユーマ様の声を聞きたいのです」
「いや、さすがにそんな理由ではこれないだろ」
「そうですか。わたくしは本気だったのですが……」
しゅんとうなだれるが、すぐに顔を上げた。
「いずれにしても、まずは話し合いましょう。幸い夕食までは時間もありますし、知恵を出し合えばきっとなにかいい方法が思いつくはずです。今日は徹夜してでもお付き合いいたしますよ」
「いや、アメリアも自分の仕事があるだろう。そこまでしてもらわなくても……」
「なにをいってるんですか。ユーマ様のお命に関わることなんです。これ以上に真剣にお話しすべきことなんてありません。ええその通りです。全くその通り。ですから、じっくりたっぷりゆっくりと、わたくしたち二人だけの会話を楽しみましょう。あ、ユーマ様は夕食もご一緒されますか?」
会話を楽しみに来たわけではないのだが……。
というかその直前に自分で、真剣に話すべきと言っているじゃないか。
うーん、やっぱり今日のアメリアはなんか変だな。