39.旅立ち
女神様の世界から目が覚めると、俺は大きなベッドの上で眠っていた。
確か魔王を撃退した後そのまま倒れたはずだから、誰かがここまで運んできてくれたんだろう。
俺が起きたことを聞きつけたシェーラとアヤメが大慌てで室内に飛び込んできた。
聞くところによると、あれから俺は三日間眠りっぱなしだったらしい。
本当に心配したんだとまたしても二人から怒られてしまった。
今回は今まで以上に長く夢の中にいたからな。あっちとこっちでは時間の流れが違うのかもな。
長く寝ていたらしいが、特に体に異常はない。とりあえず腹が減ったので飯をいっぱい食うことにする。
やがてダインもやってきていつもの四人になったところで、俺はあることをみんなに告げた。
ひょっとしたら反対されるかも、と思ったのだが、シェーラたちは、ユーマならきっとそういうだろうと思っていたわ、などといってとすでに準備を終えていたらしい。
頼れる仲間たちだよな。
次の日、俺たちは王様に呼び出された。
「ユーマ殿、あれから寝たきりだと聞いていたが、体の方はもう大丈夫なのか?」
「ええ、おかげさまですっかりよくなりました。王様にもご心配をおかけしてすみません」
「なにをいう。貴殿のおかげで魔王を撃退し、この国は守られたのだ。あらためて礼を言いたい」
王様が恭しく頭を下げた。
「そのため、というわけではないが、我が国を救った勇者をたたえるため盛大な宴を用意している。ぜひ参加してほしい」
「それなのですが、申し訳ありませんがお断りさせていただきたいと思います」
城内がざわつく。
まさか断るとは思っていなかったんだろう。
しかしその中でも王様と、そのとなりに座るアメリアにはあまり驚いた様子はなかった。
「そうか。アメリアの言ったとおりだったな」
「いったでしょう。ユーマ様はそういう方なのです。行き先は、魔界ですね?」
俺がうなずくと、城内の騒ぎはさらに大きくなった。
城内は未だに復旧作業中だ。
これだけ大きな城がほぼ半壊だからな。修理が完了するには何年もかかるだろう。
その原因が突如現れた魔王であることはすでに知れ渡っているようで、それを撃退しただけではなく、さらに魔界にまで向かうとなれば驚きに包まれるのも当然なんだろう。
まあ、半壊させたのは魔王ではないのだが、魔王の襲撃が原因といえばそうだから間違っているわけでもない。ここは黙っていよう。
アメリアが玉座で小さくため息をつく。
「やっぱりそうですか。魔王が現れたのには驚きましたが……しかし撃退できました。これ以上ユーマ様が危険を冒す必要はないと思うのですが」
そういってくれたのはアメリアの優しさだろう。
俺の覚悟は知っているはずだが、それでも止めてくれたんだ。
なら俺も嘘偽りなく答えるしかない。
「実は眠っている間、夢の中で女神様に会いました」
「女神様、ですか?」
「そうです。まあこの世界を守る神様のようなものだと思ってください。そしてこの世界に俺を呼んだのがその女神様です。この世界を救う勇者として俺を召喚したそうです」
城内がざわめく中、俺は続けた。
「ですが、召喚された勇者は俺だけではなかった。この世界を救うために俺を召喚したように、魔界を救うために魔王もまた勇者を召喚したそうなんです。魔王ですらあの強さです。魔王に呼ばれた勇者はきっと、より強大な力を持っていることでしょう」
「なんと、魔王側にもユーマ殿のような勇者がいると……」
王様が絶句したように言葉を漏らす。
「俺以外の勇者がいるというのなら、そいつは俺が戦わなければなりません。自分以外に倒せる者はいないでしょう」
なにしろ魔王ですらあのチートっぷりだ。
そんな魔王が呼んだ勇者ともなると、どんなぶっ壊れ能力を持っているのか想像もつかない。
女神様の力を授かった俺以外に倒せる奴はいないだろう。
というか、その俺だって勝てる気はまったくしないのだが。
魔王だって、一度きりの女神様の力を借りてどうにか追い返しただけだ。倒したわけじゃない。
もう一度戦うことになったら、正直もう打つ手はない。どうしたらいいのか見当もつかん。
まあ、魔王側の勇者の強さについては実はひとつだけ思うところがあるのだが、今ここで言うことじゃないだろう。
要するに、ここから先は今まで以上にヤバい相手が出てくるってことだ。
そのことはもちろんシェーラたちにも昨日話した。
だから魔界への旅についてこなくても構わないといったんだ。
でも、三人そろって二つ返事で俺についてきてくれると答えてくれた。
ダインは、まあわかる。
あの魔王と再戦できる上に、さらに強いと思われる勇者までいるんだ。この戦闘狂が喜ばないはずはない。
だけど臆病なはずのアヤメも、ユーマ君が行くなら私も行くよ、といってくれた。
置いていかれる方が不安だし、自分の力がみんなの役に立つなら、ぜひ連れて行ってほしいと。
魔王の力の怖さを一番思い知らされたのがアヤメだろう。なにしろ、あの概念すら合成する錬金術によって殺されかけたんだから。
恐がりのアヤメがそこまで言うには相当の勇気が必要だっただろう。
そこまで言われたら、俺も無理に来るなとはいえない。
それに正直、アヤメの回復魔法はないと困る。
死者すら復活させるアヤメの力があったからこそ、俺たちはどうにかここまで生き伸びてきたんだから。
そしてシェーラもまた、二つ返事で了承してくれた。
今更ここで別れるなんてできるわけないでしょ、むしろ置いていくといったって無理矢理ついて行くからね! と笑顔で宣言されてしまった。
その様子があまりにも鮮明に想像できてしまったため、俺は早々に説得をあきらめた。
そういうわけで、俺たち四人は魔界へ向かうことになった。
行くなら早い方がいい。
即座にこっちに侵略してくる、なんてことはないと思いたいが、今も魔界でどんな計画が練られているかわからないからな。
アメリアは引き留めたそうな表情を見せるが、すぐにあきらめるようなため息をついた。
「そう、ですか……。お引き留めしたいのですが、決意は固いのですよね」
「ああ、すまないな」
「お姉ちゃんも行くんですよね?」
その一言はあまりにも自然だったため、最初は誰も反応できなかった。
まっさきに気づいたのが、正面の王座に座る王様だ。
「お姉ちゃん……?」
不思議そうな表情で目の前にかしずくアメリアによく似た少女を、シェーラを見る。
シェーラが、しまった、というような顔をしたが、すでに遅かった。
「シェーラ……? シェーラか? シェーラなのか!?」
王様が大声で立ち上がる。
すっかり忘れていたが、シェーラはこの国の第一王女様で、現在行方不明扱いとなっている。
それがバレなかったのは認識魔法のせいだ。
しかし認識魔法は、一度気づかれると効果が切れてしまう。
アメリアの何気ない一言のせいで、目の前にいるのが行方不明だった自分の娘だと気がついたんだ。
シェーラが恨みがましい視線をアメリアに向ける。
「あんた、わざとやったわね……」
「お姉ちゃんにはいっぱい苦労させられましたから、ちょっとした仕返しです」
つんとすました顔でアメリアがほほえみ返す。
そんな二人のやりとりにかまうことなく、王様がシェーラの前へと駆け寄る。
「シェーラ! どうして、どうして今まで気がつかなかったのだ。見間違えるはずもない。シェーラではないか!」
感極まった様子で涙混じりに叫ぶ王様。
さすがのシェーラもちょっとバツが悪そうな顔になった。
「まあ、いろいろあったのよ。ごめんなさいねお父様」
「そうか。いや、みなまで聞くまい。こうして無事が確認できたのだ。それ以上のことはなにもいうまい。しかし魔界に行くのは……」
「危険だから止めろ、なんて言わないでよ」
シェーラがピシャリとさえぎった。
「この国が危ないんだもの。王女の私が戦わないで誰が戦うのよ。いいえ、この国だけじゃないわ。私たちの世界そのものが危険に瀕している。そんな状況で黙ってみているなんてできるわけないでしょ。私は戦うわ。それが私だもの。そして必ず戻ってくる。だから安心して待っててちょうだい」
そこまで言われては、さすがの王様も黙るしかなかった。
あるいは言っても聞かない娘の性格をよく知っていたのかもしれない。
「わかった。そこまでの決意ならもうなにもいうまい。そのかわり、ひとつだけ約束してくれ」
「なにかしら」
「無事に帰ってきてくれ。娘を二度も失うのはもうごめんだからな」
王様が頭を下げる。
その目の端には、光ものが見えた気がした。
「当然でしょ。いわれなくても無事に帰ってくるわ。死ぬつもりで行くバカなんているわけないでしょ」
偉そうに言い放つシェーラ。
あえて強い口調を使っているのは、照れ隠しのつもりなのかもな。
それをわかっているからか、王様も安堵の表情を見せた。
それから無言で俺に視線を向ける。
娘を頼む、ということだろう。
俺は黙ってうなずいた。誰も死なせるつもりはない。正直、俺は守ってもらう側ではあるが、最大限の努力はするさ。
一通りのやりとりが終わると、玉座のとなりに座っていたアメリアが立ち上がると、俺に歩み寄ってきた。
「みなさまをお引き留めしても意味がないことはわかっていますので、もういたしません。かわりに、お礼を申し上げたいのです。実はユーマ様にひとつ感謝していることがあります」
「なんだ?」
「ここでみなさまを待つと決めた日から、あれだけ見えなかった私の未来が急に見えるようになったのです」
「それは、つまり……」
俺はほっと安堵のため息をつく。
未来が見えるということは、この先もアメリアの未来は続いていくということ。アメリアが犠牲になる結末は回避されたということだ。
すぐそばではアヤメの安心する気配もあった。
アメリアの死を一番悲しんでいたのがアヤメだからな。
その未来を回避できて安堵しているんだろう。
「ふふっ。心配してくださってありがとうございます。ですが、感謝しているのはそのことではありません」
「ちがうのか?」
「未来は確かに見えましたが、その未来は大変悲しいものでした」
「そ、そうなのか?」
せっかく最悪の結末を回避したというのに、まだアメリアには試練が待ち受けているのか。
いったいどんな悲劇が……。
「ええ、それはもう、この胸が張り裂けそうなくらい大変に悲しいものでした。なにしろ、わたくしをこんな気持ちにさせたのに、その人はわたくしのことなんかこれっぽっちも思ってくださらなかったのですから。
でも、見えなかった未来が見えるようになったということは、未来は変えられるということなのですよね。ですから──」
アメリアが近づくと、俺の頬にそっとキスをした。
「「「──っ!?」」」
俺だけでなく、シェーラやアヤメまでもが驚きに声を失う。アメリアだけが、ふふっと楽しそうにほほえんだ。
「おまじない、です。悲しい未来を変えるための」
え?
「ユーマ様が無事に戻ってこられることを願っていますね」
え? え? おまじないしないと俺、無事に戻ってこれないの? どんな悲しい未来だったの?!
「その話は、ユーマ様が戻ってからにいたしましょう。わたくしとユーマ様の、大事な未来の話ですから」
シェーラたちが絶句する中、アメリアのたおやかな笑みだけが輝いていた。