37.顕現装置
「すまないアヤメ。死んでくれ」
俺がアヤメに向けて剣を振り上げても、ダインもシェーラも、俺の様子を見守っている。誰よりも止めにはいるはずの二人だからこそ、二人は決して動かない。
振り上げた剣が、アヤメの細い首に向けてまっすぐに降り下ろされる。
鋭い切っ先が細い首を切り裂く。その直前に。
──ッッッィン!
剣に埋め込まれたルビーが砕け散った。
砕けたルビーの欠片があたりに舞い散り、光の雨となって降り注ぐ。
すべての攻撃を打ち消す加護の宝石だ。
その光にはあらゆる力を無効化する能力が備わっている。
魔王の錬金術によって逆転していた価値観が元に戻った。
敗北が勝利に、勝利が敗北に。
誰よりも憎んでいたアヤメが、誰よりも守るべき存在へと戻る。
俺の意識が覚醒すると同時に、すべての力を腕に込めて振り上げた。
「うおおおおおおおおおお止まれええええええええええええええええええええええええええええええええっ!!!!!」
全力で剣を引き戻す。
切っ先はアヤメの白い首にわずかな傷跡を残して止まった。
魔王が表情のない顔をわずかに変化させた。
自分の能力が破られるなんて思っていなかったんだろう。
しかしすぐに元に戻ると、再び両手を広げた。
「やらせはせぬ!」
黄金色の魔力が吹き荒れる。
無数の刃が周囲の空間ごと魔王の体を切り刻み、壁へと叩きつけた。
痛みに表情が歪むことはなかったが、広げた両腕がだらりと垂れ下がる。
いくら不死身でも、肉体の構造は人間と変わらないらしい。
健を切られて動かせなくなったようだ。
その目の前に細身のシルエットが立ちはだかる。
「ずいぶん舐めた真似してくれたなぁ。もちろん覚悟はできてんだろ?」
ダインが酷薄に口をゆがめる。
バトル大好きなダインが本気でキレるとは珍しい。アヤメを傷つけられて相当怒り狂っているんだろう。
構えた竜殺しに暴走する魔力が宿る。
「燃えて凍って痺れて吹っ飛べ! <カスケード・ディザスター>!」
大剣が魔王の細い体をばっさりと切り裂き、さらに内側から四属性の攻撃が一度に襲いかかった。
反物質には及ばないものの、異なる四属性の乱舞は対象を内部からズタズタに切り裂く。
さらに追い打ちをかけるように、光の魔法陣が足下に描かれた。
「燃え尽きろ! <ロイヤルフレア>!」
摂氏3000度を超える真っ白な炎の柱が魔王を包む。
炎柱は天井を突き破って空をも焦がす。呑み込まれた魔王の姿が消えてなくなった。
やがて炎が消え、室内に月明かりが射し込む。
というか食事会を行っていた広間はもはや跡形もない。壁も天井も残らず消し飛び、空だけが大きく広がっていた。
「なにごとですか!」
「敵襲だ! 敵襲だー!」
「こ、これはいったい……」
駆けつけた兵士たちが室内の惨状を見て凍り付く。
いったいどんな魔物が……、などと驚愕の表情でつぶやいていたが、王宮を破壊したのは十割俺の仲間たちだ。
だけど、そんな惨状の中にっても、そいつは平然と立っていた。
「どんな化け物なのよ……」
シェーラが無理矢理に笑みを作る。
魔王は全身をズタズタに切り刻まれ、肩からわき腹にかけて向こう側が見えるほどの深い裂傷を作り、さらに全身が炭化するほど焼け焦げているにも関わらず、ぴくりとも表情を変えることなく立っていた。
「合成。<時空><反転>」
魔王の体が逆再生する映像のように再生していく。
あれだけの傷があっという間に元に戻ってしまった。
「反則すぎるだろ……」
うめく俺にラグナが場違いな笑い声を響かせる。
「くっくっく。いうたじゃろう。奴は世界の法則そのもの。勝つとか負けるとかの話ではない。むしろ肉体を持ってこの場に存在している分だけ弱体化しているといえよう」
「はっ、これでも弱いほうってか。さすが魔王ってのは根性あるじゃねえか」
ダインが不敵に笑う。
ラグナもニヤリと笑って俺を振り返った。
「どうする我が主よ。これでもまだお主の思いを貫くつもりか」
これだけの攻撃を浴びせても魔王には傷一つ残せなかった。
誰一人死なせることのない物語を作る、という俺の甘い考えではきっと倒せないだろう。
殺す気で挑まなければ殺される。これはそういう相手だ。
それでも、俺の思いは変わらない。
「当然だろ」
俺は剣を構えて歩き出した。
ルビーを失った剣は、今やより強い輝きに包まれていた。
剣に埋め込まれていたルビーは魔力の源ではなく、強すぎる力を抑制するための制御装置。
使用者のイメージ通りに剣が動くのも、抑えきれずにあふれ出した魔力によるものだ。
あらゆる攻撃を防ぐ力も、取り込んだ魔力のごく一部を一日に一度だけ外に放っているにすぎない。
この剣は主人公に与えられた最初の武器であり、世界最強のチート兵器でもある。
一番最初から装備している初期武器が、物語の最後に最強の武器になるってのも熱い展開だろう?
本体はルビーではなく、剣そのもの。
しかし強力すぎる力のため一度使えば剣が壊れてしまうので、いざというときのためにルビーで力を封印していたんだ。
そのルビーが壊れたということは、今がその「いざ」という時ってことだ。
俺が手にする力の正体を悟ったのか、魔王が素早く両手を広げた。
「合成。<勝利><敗北>」
「くらうかよ!」
見えない何かを断ち切るように剣を振り下ろす。
音のない音が響き、形のない何かの砕ける気配があった。
「それは……」
さすがに魔王が動揺を表す。
「お前がなんなのかもう俺にだってわかんねえけどよ、そっちが神のごとき力だってんなら、こっちには正真正銘女神様の力があるんだよ!」
俺は一気に魔王の懐まで飛び込むと、その胸に剣を突き立てた。
女神様は夢の中にのみ現れ、世界に直接干渉することはできない。
だから主人公を召還し、様々な武器や能力を与えたんだ。
しかしひとつだけ女神様がその力を直接行使する方法がある。
それがこの剣──魔導力顕現鍵だ。
「──────────────────」
魔王の体がのけぞり、激しい光が明滅する。
剣を媒介として女神様の力を直接流し込む最終兵器。
女神様が自ら作った武器だからこそできる、たった一度しか使えない世界最強の攻撃だ。
小説でだって魔王はこいつで倒したんだ。こっちの世界でもきっとこいつで倒れるだろ。
これでダメだったらもう逃げるしかないな。
願いを込めて見つめる先で、魔王が両手を広げた。
「合成。<世界><対話>」
光がよりいっそう強さを増し、辺りを真っ白に染め上げた。
気がつくと白と黒の世界にいた。
上も下もない真っ黒な夢の世界と、光だけの真っ白な世界。
白と黒ではっきりと分かれた二つの世界の境界線に、二つの人影があった。
黒い世界の境界線上で、女の子が膝を抱えてうずくまっている。
その正面には、白い世界の縁に立つ無表情な青年の姿があった。
女の子が顔を上げる。
口を開くと、今まで一度も響くことなかった声が、聞こえた。
「助けて欲しいの。私にはもう力が残されてないから」
対する男が低い声で答える。
「見えない運命に身をゆだねるか」
「見えなくてもわかる。世界はきっと救われる」
「確度無き未来に我が子は託せぬ」
「なら今の運命を受け入れるの?」
青年は答えなかった。
女の子が胸に抱えた本を開く。
黒く塗りつぶされた暗闇のページだった。
「私は運命を変えたい。この世界を守りたい。みんなにもっと、幸せになってもらいたい。貴方だって同じでしょ?」
青年は女の子の訴えを無表情で聞いている。
やがて静かに口を開いた。
「信用に足るのか?」
「私にはあの人しかわからないけど、でも、大丈夫。あの人の心を見たのなら、もうわかってるはずでしょ」
そう告げてニッコリと、幼くもやわらかな笑みを浮かべた。
「あの人は優しいから」
気がつくと俺は再び王宮の中に立っていた。
強烈な光が消え、辺りは静かな月明かりに照らされている。
手にしていた剣は消えてなくなり、魔王の姿もなくなっていた。
「勝った、の?」
シェーラが恐る恐るたずねる。
「ふむ。近くに奴の気配は感じないの」
「たぶん引いてくれたんだろう」
俺たちは魔界を滅ぼしたいわけじゃない、ということをあの子が伝えてくれたんだろう。
たぶんだけどな。
「こ、こわかった~~~~~~~」
アヤメがぺたりと座り込んだ。
「もうダメかと思ったよお……」
安堵の表情でぼろぼろと涙をこぼす。
その姿に俺は手をのばした。
「すまなかったアヤメ。魔王のせいとはいえ、アヤメに剣を向けちまって──」
言葉の途中で巨大な切っ先が喉元に突きつけられた。
「例え薄皮一枚とはいえアヤメに傷を付けた罪は貴様の喉笛で許してやろう」
死んでるよ! 即死だよそれ!
「そういうダインだって助けようとしなかっただろ!」
死にたくないので震える声で反論したら、竜殺しの切っ先がさらに押し込まれた。
「今なんて言った? このオレがアヤメを見捨てるなんてそんなあり得ないことがあり得ると本気で思っているのか?」
「思ってません! 思ってませんからそれ以上近づくのやめて刺さってるからほんとに刺さってるから!」
無言でグイグイ歩いてくるダイン。
助けを求めるようにシェーラとラグナを振り返ると、なぜだか冷たい目が返ってきた。
「ユーマは真っ先にアヤメちゃんを心配するんだ? ふーん?」
「死んだら我が復活させてやる。安心して殺されるがよい」
あっれえ味方誰もいないよ!?
「終わったのですか……?」
隠れていたアメリアがやってくる。
王宮は跡形もないけど、隊長が守っててくれたおかげでけがはないみたいだ。
「どうにか、だけどな」
勝ったとはいえない。
一度きりの女神様の力を借りてどうにか追い返しただけだ。
いいとこ引き分けだろう。
正直、次に会ったときどうすればいいか見当もつかないが、まあ明日のことは明日考えればいいだろう。
「とにかくあんな化け物相手に生き延びたんだ。今はそれでよしと……」
その言葉の途中で俺の視界が傾いた。
「あれ……?」
「ユーマ!?」
「ユーマ君!?」
「ユーマ様!」
シェーラたち三人の声が重なる。
気がつくと俺の体は床に倒れていて、そこで意識が途切れた。