36.錬金術
魔王が生み出した反物質により、辺り一面が一瞬で消滅させられた。
「スキル発動『ゲート』!」
時空穴が俺たちの目の前に開く。反物質の光が穴に吸い込まれて消えていった。
床や天井、テーブルなどが、魔王を中心として丸く消滅している。
一瞬でも遅かったらあの消滅の範囲に巻き込まれて、俺たちの存在ごと消滅していただろう。
「ラスボスがいきなりきたと思ったら問答無用で最強魔法かよ……! お前の目的はいったいなんだ!」
「我と我が子のために」
ダメだ。相変わらず会話が成立しない。
再び両手を横に広げた。
「くるぞ、気をつけろ!」
俺の声に固まっていた皆が一斉に身構えた。
魔王ケリドウィンは錬金術師だ。両の手に存在するものなら、なんでも合成できる。
組み合わせしだいでどんな物質でも作れるし、触れてさえいれば<雨>に<剣>を合成することもできる。
世界中に剣の雨を降らせることも可能な、魔王の名にふさわしい強力無比な能力だ。
しかしこの錬金術にはひとつだけ弱点がある。
それは両手に何かを生み出さなければならない、という点だ。
生み出されたものを見れば、次になにをしてくるのか予想がつくし、対策もとれる。
さっきの反物質生成も、両手に生み出した火と水を見たからとっさに防御が間に合ったんだ。
今はまだ魔王の両手になにも生み出されていない。
そこに何かを生み出したときが攻撃の瞬間であり、反撃のチャンスだ。
俺は魔王の両手に精神を集中し、小説内で行ったあらゆる攻撃を思い出していた。
<風>に<剣>でも、<炎>に<竜>でも、<大地>に<濃硫酸>でも、なんでも対応できる。いつでもきやがれってんだ!
しかし、魔王の次の行動はそんな俺の想像をはるかに超えていた。
「合成。<時空><停止>」
気がつくと倒れていた。
なにが起こったのかわからない。しばらくのあいだ意識が断絶していたのが感じられる。
周りを見れば倒れていたのは俺だけじゃない。シェーラもダインも、皆倒れていた。
なにをされた? なにが起こった?
時空と停止? まさか時間を止めたっていうのか?
魔王の錬金術は、両手にある物質しか合成できないはずだろ? 発動前に必ず両手を広げているのがその証拠だ。
百億万歩ゆずって時空に触るのはまだわかる。
時の流れってのがどこを流れてるのか知らないけど、流れてるんだからどうにかすればさわれないこともないだろう。いつかタイムマシンが開発されれば、きっとできるはずだ。
だけど、停止ってなんだ? そんなもの触りようがないだろう。それは状態を表す言葉であり、いわば概念だ。
その瞬間、ラグナの言葉を思いだす。
──概念存在とでもいおうかの。
まさか、そういうことなのか……? そんなことが可能なのか!?
「はっ、なんだかわからねえが、これで終わりかよ!」
立ち上がったダインが魔王に切りかかる。
「合成。<敵意><消失>」
ダインの足が止まる。
構えた竜殺しが手からこぼれ、落ちていった。
「バカな、このオレが、こんな……。てめえ、なにをした……ッ!」
敵意に消失?
ダインの敵に対する意識を消し去ったっていうのか?
あのダインが敵を目の前にして攻撃をやめるなんて、それこそ天地がひっくり返ったってあり得ない。
人の心を強制的に変える魔法なんて聞いたことないし、そんなのは錬金術とはいわない。
魔王が両手を広げる。
手のひらにはなにもない。
しかしそこに魔王の認識がある限り、あらゆるものが合成されてしまうんだろう。
概念の合成。
そんなのが可能だとしたら、それはもう、思うだけで願いが叶うのと同じだ。
防ぐ手段なんてあるわけがない。まさしく神に等しい力。
「合成。<勝利><敗北>」
勝利が敗北に。敗北が勝利に。
価値観が逆転し、敵が味方に、味方が敵になる。
魔王が誰よりも頼もしく見え、共に戦ってきた味方に対して抑えようのない憎しみがわき上がってくる。
「ユーマ君、わたし、こんな……どうして!」
アヤメが杖を握りしめて俺を見る。その手は堅く杖を握りしめ、ブルブルと震えていた。
俺の手も腰の剣へと伸びる。
ダインもシェーラもラグナも、俺なんかよりはるかに強い。俺が守らなければならないのはアヤメだけだ。
だからこそ、アヤメに対してあるはずのない殺意がわき上がる。
守らなければならない。だからこそ、殺さなければならない。
そんなのは矛盾している。わかっているのに、いや、わかっているほどその思いは逆転され強い憎しみへと変わる。
あらがおうにもあらがえない。
今や敗北こそが俺にとっての勝利なんだ。
俺の目標は、誰一人として死なせることなくこの世界を救うことだったはずだ。
じゃあ、そんな俺にとっての敗北とは?
手が剣の柄をつかみ、ためらうことなく抜きはなった。
「すまないアヤメ。死んでくれ」
切っ先がまっすぐ振り上げられる。
自分がしてることなのに、まるで現実感がない。ふわふわとした意識の中で、明確な殺意だけが渦巻いている。
アヤメは俺を、涙にぬれた目で見上げていた。
俺と現代に戻りたい、といっていたアヤメにとって、その俺に殺されるなんて何よりもつらいことだろう。
だからこそ、今のアヤメにはなによりも望んだ結末に違いない。
ダインもシェーラも、俺の様子を見守っている。誰よりも止めにはいるはずの二人だからこそ、二人は決して動かない。
俺は振り上げた剣を、アヤメの細い首に向けてまっすぐに降り下ろした。