28.大結界
そこは見渡す限り一面がなにもない大地だった。
空は抜けるように高く、雲はひとつもない。
そよ風のひとつも吹かないため砂埃が舞うこともなく、鳥も、動物も、草木の一本も、ここでは見あたらない。
空の青と土の黒だけが延々と続く、透き通るように静止した、荘厳な世界だった。
「ここは……」
シェーラが周囲を見渡す。
アヤメも息を呑んだように空を見上げていた。
見渡す限り地平編の先までなにもない。
にもかかわらず、見えないなにかが俺たちを圧倒する。
ここは世界と世界の境界線。
人間界と魔界とを隔てる「大結界」のすぐ真横だった。
周囲には草木の一本もないが、それは大地が枯れているからではない。
二つの世界が混じりあった結果、どちら側からも干渉を受けない状態で存在が固定されてしまった、ということになっている。
だから雲はひとつもないし、そよ風すらここでは吹かない。なにもない状態でこの世界は固定されているからだ。
詳しいことは知らん。俺が適当に作った設定だからな。
何かそれっぽくしたかったんだよ。
とにかく、あっちとこっちの世界の境界には、大結界と呼ばれる結界が張られている。「見えないなにか」に向けて手を伸ばしたが、途中で手がそれ以上進まなくなってしまった。
これが恐らく「大結界」だろう。
不思議な感覚だった。
手をそれ以上進めることができないのに、手のひらにはなにも感じない。硬くもなく、やわらかくもない。冷たさも感じないし、温かさも感じない。どんなに力を込めて押しても、腕に力が入るだけで、手のひらにはなにも感じないんだ。
硬い空気、とでもいえばいいだろうか。まるで空気に触れるような手ごたえのなさなのに、間違いなくそこから先には行けないのだという意思のようなものを感じる。
結界があるから進めないんだと思ったが、なんか少し違う感じだ。
なんというか、ここから先にはなにもないんだ。
宇宙は膨張し続けていて、その外側には何もない虚無が広がっているという。
もしも宇宙の端に行ったとしたら、きっとこうなっているのではないだろうか。
そこから先には何もない。だから進めない。温かくもなく、冷たくもなく、硬くもなく、柔らかくもない、「虚無」だけが広がっている。
これはきっと、そういう類のものだ。
それはつまり、世界と世界を隔てるこの境界線こそが、宇宙の端っこということになる。
もちろんそんな設定を考えたことはない。
というか、大結界については何にも考えてなかったからな。
昔の誰かすごい人がなんとかしたんだろう、くらいにしか考えてなかった。
こうして実際に大結界があるということは、俺が考えていた通りにどこかの誰かがどうにかしてくれたんだろう。
何をどうしたらこんなことになるのかはさっぱりわからないがな。
「ユーマ」
シェーラの声で我に返る。
「ここは大結界よね。アメリアの予知でもここが見えたって話だったけど、これからどうするわけ?」
「ああ、それは……」
答える途中で空間に新たなゲートが開いた。
「逃げても無駄だ。貴様は必ず倒すといっただろう」
ヤシャドラが現れる。
やはり逃げてもすぐに追ってこれるようだな。
ルビーの結界はすでに消えている。
再び太陽へのゲートを開かれたら、今度こそ全滅だろう。
シェーラたちが反射的に武器を構える。
「僕にはどんな攻撃も通用しない。無駄だ」
ヤシャドラが腕を伸ばす。
だけど、すでに俺は反撃の準備を終えていた。
「心配すんな。もう逃げないよ。賭けは俺の勝ちだったからな」
ゲートを開かれるよりも先に叫ぶ。
「ラーニングスキル発動! <大結界>!」
見ることも感じることもできない、不可視の結界がヤシャドラを包む。
わずかに遅れてヤシャドラの背後にゲートが開いた。
しかし、その奥にはなにもない。燃える炎の世界に通じるはずの門は、真っ暗な闇を映すだけだった。
ヤシャドラが驚愕の表情でなにかを叫ぶ。
しかし<大結界>に阻まれて俺たちの耳には届かなかった。
慌てた様子で結界に向けて走り出すが、すぐに阻まれてそれ以上動かなくなった。
「どうやらうまくいったようだな」
「ユーマ、これはどういうことなの?」
「すべてをすり抜ける影狼族だが、ひとつだけ例外がある。それが世界と世界を隔てる<大結界>だ。この結界だけはすり抜けられないし、ゲートで通ることもできない。だから、その<大結界>を使うことができればヤシャドラでも捕らえられると思ったんだよ」
影狼族でも<大結界>だけは通れないというのは、小説の中では設定だけだったが、どうして通れないのかは身をもって感じていた。
そこには「なにもない」からだ。すべてをすり抜ける影狼でも、何もないところに進むことはできないというわけだ。
アメリアが視た未来は、このことだったんだろう。
「ユーマ様、これは……」
アメリアが驚きに言葉を失いながら、ヤシャドラを包んだ<大結界>に触れている。
「……<大結界>は王宮魔術師が長年研究し続けていますが、発動どころか、いったいどのようなスキルなのかすらわかっていません。それを、いともたやすく扱えるなんて。あなた様はいったい、何者なんですか?」
「何者っていうほど大した者じゃないよ。ただ少しだけ、人の使ったスキルが使えるだけだ」
世界を隔てる<大結界>といえども、どこかの誰から使ったスキルということになっている。
ならば触れることさえできれば、ラーニングできるのではないか。
その予想は当たったようだ。
本当にできるか自信はなかったから、賭だったんだけどな。
俺の言葉を聞いて、アメリアが目を見開いて驚く。
「人の使ったスキルを使える……? でもだからといって、<大結界>まで使えるなんて、そんなの、まるで……。ユーマ様は、やはり……」
「ほう、これはこれは。辺鄙なところにおると思ったが、なかなか面白いことになっとるのう」
唐突に幼い声が響く。
どこからともなく、ラグナが目の前に現れていた。
「だからいきなり現れるのはびっくりするからやめろって」
「お主が急いでおるというから連れてきてやったというに、つれないのう」
「え? 連れてきた、ってことは」
「うむ。ほれ、この子がそうじゃ」
そういって、かたわらに小さな女の子が現れた。