25.時空魔法
ヤシャドラの放った水に押し流されながら、俺は内心で驚愕していた。
ばかな、水魔法だと?
影狼族は直接攻撃する手段を持たないはず。
できるのは召還魔法と、時空魔法によるゲートの開放のみ……
「……そうか。ゲートだ」
よく見れば、水はヤシャドラが伸ばす指先の少し前の空間からあふれ出していた。
氷のように冷たくて痛い、塩味のする水。
おそらく北極海辺りにゲートを開いたんだろう。
ゲートは召還ではなく、空間と空間をつなぐ門を開くだけのもの。
つながれた空間を通って大量の海水が流れ込んできているんだ。
「このっ、程度で!」
シェーラが魔力を解放する。
辺りの海水が一気に蒸発した。
「この量を一度で蒸発させられるのか」
ヤシャドラがわずかに驚いたような声でつぶやく。
「お前たちは強すぎる。計画の邪魔をされるわけにはいかない。しばらく消えてもらう」
ヤシャドラがそうつぶやくと同時。
俺の全身を浮遊感がおそった。
いつのまにか足下が消え、周囲の景色が青空に変わっていた。
「……うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」
右も左も見渡す限り空しかない。
俺たちは為すすべなく落下しはじめた。
「ななななによこれ!? どういうこと!」
シェーラの怒号のような悲鳴が聞こえる。
そんなこといわれたって俺もなにがなんだかわからない。
空を見上げると、ちょうど俺たちの真上の空間が丸く切り取られ、さっきまでいた洞窟の中が見えていた。
ゲートだ。
俺たちの足下にゲートを開いて、そのまま落っことしたんだ。
「ユーマ君!!」
アヤメがしがみついてくる。
いったいどこに飛ばされたのかわからないが、下を見ても米粒みたいな地上しか見えない高さだ。
ただで済むはずがない。
「ははははは! こいつはすげえな。絶体絶命のピンチってやつじゃねえか!」
自分も真っ逆様に落下中だというのに、ダインのバカ笑いが響く。
「ようリーダー。なにか手はあんのか?」
余裕たっぷりに腕を組みながら聞いてくる。
胆力ありすぎだろ。まさかこの高さから落ちても生き延びる自信があるわけじゃないだろうが……。
とはいえまあ、俺にだって手があるのは確かなんだけどな。
「任せとけ」
最初はなにがなんだかわからなくて焦ったが、ゲートで飛ばされたのだとわかれば対処法はある。
俺は冒険者カードを取り出した。
「ラーニングスキル発動、『ゲート』!」
真下に向けてゲートを生み出す。
落下しながらくぐり抜けた俺たちは、元の洞窟へと戻ってきた。
「なんだと……?」
戻ってきた俺たちを見て、ヤシャドラが驚愕の声を上げる。
「人間ごときが、なぜその技を使える……!」
「色々あってな」
余裕たっぷりにいってみせると、ヤシャドラの顔つきが険しくなった。
「……貴様は危険だ。なにがあってもここで排除する」
再び全身を浮遊感がおそう。
景色が切り替わり、見渡す限りの青空になった。
「何度やっても無駄だよ!」
再びゲートを真下に開こうとして、その前にいきなり景色が変わった。
周囲が極寒の雪山に変わる。
……俺がゲートを開くより先に、新たなゲートを作り出したのか!
驚く間にも景色が切り替わる。
雪山から砂漠になり、大嵐の中心になり、切り立った崖に移り変わる。
くそっ、早すぎる!
俺がスキルを使おうとするあいだに、三回は場所が移動してしまう。
ゲートは発動した場所に空間の窓を作るスキルだ。
俺がゲートを開いても、違う場所に移動させられれば意味がなくなってしまう。
覚え立ての俺なんかと違って、向こうはしっかりと使いこなしていた。
めまぐるしく移り変わる景色が急に元の洞窟に戻った。
「……ぐはっ!」
背中をしたたかに打ち付けて、息を吐き出す。
何度も転移をするうちに、空高くから落とされたのと変わらない速度で叩きつけられてしまった。
「みんな、だいじょう、ぶ……?」
アヤメの消え入りそうな声が響き、淡い光が全身を包んだ。
全身の痛みが急速に引いていく。回復魔法だ。相変わらずすごい効き目だな。あれだけの傷が一瞬で消えてしまった。
とはいえ、今のままで戦っても勝ち目がない。
「……いったん引くぞ!」
足下にゲートを生み出す。
暗い洞窟から一転して、明るい場所に投げ出された。
冥府の谷へ降りる前の広大な草原だ。
足下にゲートを開いての緊急避難だったため、うまく着地できずに尻餅をついてしまう。
いざというときは便利だけど、もうちょっと使い方を考えた方がいいかもな。
とはいえ、いったん逃げることはできた。
誰からともなく安堵のため息が聞こえる。
俺も同じように深く息を吐き出した。
つーかヤシャドラめちゃくちゃつえーんだけど。誰だよあいつが四天王最弱とかいったの。知ってるよ。俺だよ。
「これからどうするのですかユーマ様」
アメリアが曇った表情で聞いてくる。
「いったん仕切り直す。あんなに強いなんて想定外だ」
人質を俺たちが見つけるといえば戦う理由がなくなると思ったんだが、まさか逆に怒って襲いかかってくるなんてな。
よっぽど大事にしてるってことなんだろう。小説でだって、命を懸けてまで戦ってくるくらいなんだし、当然といえば当然の反応だったか。
まあ妹というだけでかわいいさは倍になるからな。しかたない。
しかし説得ができないとなると困ったことになる。
直接攻撃を持たないからこその最弱だったのに、ゲートを使った間接攻撃がこんなに強いなんて想定外だ。「石の中にいる!」ができなくても十分に強力すぎる。
なにせ防ぐ方法がないからな。
しかも影狼族の特性のためにすべての攻撃は無効化される、と。
……どうすんだよこれ。
こんなのどうやったら勝てるんだよ。
「ラグナちゃんが、人質にされてる妹さんを助けるのを待つしかないわね」
シェーラの言葉に俺もうなずく。
妹大好きなシスコン狼でも、さすがに助けた妹を目の前に差し出せば襲ってはこないだろう。
「そうだな、とりあえずラグナに急ぐよう伝えて……」
「貴様は逃がさんといっただろう」
空間にゲートが開き、ヤシャドラが姿を現した。
くそっ、俺のゲートでさえ移動先がわかるのかよ。
シェーラとダイン、レインフォール隊長が素早く武器を構えて臨戦態勢をとる。
このあたりはさすが経験豊富なだけあるな。驚くだけの俺と違い、突然の事態にもすぐさま最善の行動をとれる。
が、そのときにはもうすでに、ヤシャドラの攻撃は完了していた。
「骨の髄まで燃え尽きろ」
転移してきたゲートの奥に見えるのは、さっきまでの洞窟ではない。
それはあまりにも赤い炎の世界。
一目見た瞬間にわかった。
太陽だ。
鉄でさえ溶ける前に蒸発する摂氏1万2000度の太陽フレアが、ゲートを超えて俺たちに襲いかかった。