24.ヤシャドラ
ラグナが元の時空に戻るとかいって再び消えたため、俺たちは冥府の谷を先へと進むことにした。
人質の妹を助けて戻ってくるまで待ってもよかったんだが、いつになるか正確な時間はわからないという。
それだったらと、俺たちは影狼族のヤシャドラが待つ冥府の谷最奥を目指すことにしたんだ。
せっかくここまで来たのに手ぶらで帰るってのもなんだしな。
それに、ヤシャドラは争いを好まない。万が一戦闘になっても、妹はこっちで確保していると伝えれば戦いをやめるだろう。
谷底を進んだ先に大きめの洞窟がある。
そこからさらに下へと進んだ先が、目指すゲートのある場所だ。深い谷底からさらに下へと降る洞窟の先なので、かなり地下深くにまで潜ってきていることになるな。
当然、中は真っ暗なので、シェーラの魔法で明かりを作って先へと進む。
入り口はあまり広くなく、三人並ぶと肩がぶつかるくらいだったが、坂道を下るにつれて広くなっていき、やがて大きな空間にでた。
シェーラの魔法でも照らし切れないくらいに広い。
そういやここでヤシャドラが強力な魔物を召還するんだもんな。
ある程度の広さがなきゃ戦えないのか。
広い洞窟を奥へと進む。
やがて壁が見えてきたころ、小さな人影が見えてきた。
見た目は少年に近い。
しかし子供のような快活さは見られず、浅黒い色の顔は、この世界のすべてを信じていないかのような冷たい表情をしている。
あれが影狼族にして魔王軍四天王の一人、「最弱のヤシャドラ」だ。
「へえ、ずいぶん弱っちそうなやつだな」
ダインが素直な感想を述べる。
確かにその通りだった。
体型は人間の少年くらいで、同年代の少年に比べたら手も足も細い。たたけばポキリと折れてしまいそうだ。
それは小説でそう描写したからだ。驚くことはなにもない。
しかし目の前の存在は、俺の貧弱な想像力じゃ思いもしなかった異質な雰囲気を持っていた。
なんというか、目の前の存在に実感がわかないんだ。
目の前にいるにもかかわらず、どこか幻のように感じてしまう。
気を抜けば風景と同化してしまいそうなほどに存在感がない。
なるほど、百聞は一見にしかずというか、事実は小説よりも奇なりというか。
小説では、浅黒い肌の少年、くらいの描写しかしなかったんだが、目の前の存在はもっと確かな存在感をもってそこにいる。
あらゆるものをすり抜ける影狼族は、視線だけでなく、興味すらも透過する。それが彼らの特性なんだろう。
「人間が何の用だ」
表情と同じくらい冷たい声。
感情というものが感じられない、すべてを拒絶する声だった。
「偶然迷い込む場所ではない。なにが目的だ」
「ここが魔界と人間界をつなぐゲートなんだろ。そこに用があってきたんだ」
俺が答えると、ヤシャドラが表情を少しだけ固くした。
「そこまで知っているのなら、僕がここの番人ということも知っているだろう。ゲートを封じにきたのだろうが、そうさせるわけにはいかない」
ヤシャドラが少年のように細い腕を俺に向けて持ち上げる。
目に見えるほどの濃密な魔力が渦巻き、魔法陣を編み始めた。
俺が身構えると、となりでシェーラとダインもそれぞれ武器を構えた。
結局は小説通りこうなっちまうか。
まあ俺が書いたんだしな。しかたない。
ヤシャドラは、最初からいきなり命を懸けた最強召還を放ってくるわけではない。
まずは二、三回様子見にそこそこの魔物を召還し、その程度では勝てないとわかると、自からの命を懸けてくる。
だからまずは最初の召還をしのがなければならない。
さて、いったいどんな魔物が召還されるのか……
「待ってください!」
身構える俺の前に、アメリアが立ちはだかった。
「私たちは戦いに来たのではありません! 話をしに来たのです!」
必死な剣幕のアメリアに、ヤシャドラも手を止めた。
「話だと?」
「そうです。私はアメリア=ユークリウス。現王都を治めるユークリウス家の第二王女です」
「……その王女様が、なんのためにわざわざこんなところまで」
「戦いを終わらせるためです」
ヤシャドラは無言でアメリアを見つめていた。
アメリアは俺の正面に立っているため、その表情は俺からは見えない。
だけどまっすぐに立つその背中だけでも、アメリアの頑なな決意が伝わってくる。
無言の時間が続いたあと、やがてヤシャドラが腕を下ろした。
同時に空中に描かれていた魔法陣も霧散した。
俺は思わず驚いてしまう。
ここは小説では戦いになる場面だ。
しかしヤシャドラは腕を下ろした。
考えてみれば、アメリアは戦争を回避するためにここまで来たんだから、いきなり戦いなんて見過ごすはずがない。
説得するに決まっているよな。
ヤシャドラも本心では争いを好まない。
あるいはアメリアの説得に耳を傾けるか、と思ったが、やがて小さく首を振った。
「覚悟は本物のようだが、僕には関係のない話だ。ここを通るというのなら、全力で阻止させてもらう」
「どうしてですか。貴男は戦いを好まないと聞きました。戦争を止めるために手を貸してはくれませんか」
「いっただろう。僕には関係ない。人間も、魔族も、本来僕らには関わりないんだ。殺し合うというなら勝手にすればいい」
「ならばここを通してもかまわないのでは」
「それは、できない」
表情は変わらないが、声にはかずかな震えがあった。
それは迷っているからなのだろうか。
いずれにしろ、アメリアの言葉が響いているのは確かだ。
しかしヤシャドラは腕を再び持ち上げた。
指先で魔力が踊り、陣を描く。
「待ってください! あと少しだけでいいのです、時間をくれませんか?」
「どういう意味だ?」
「ここを通せないのは、妹さんを人質に取られているからですか?」
「なに?」
はじめてヤシャドラの顔がゆがんだ。
見開いた目で食い入るようにアメリアを見ている。
「貴男の妹さんなら、私の仲間が探しています。もうすぐ助けてくれるでしょう。そうなれば私たちが戦う理由もなくなるはずです」
「本当だぜ」
俺もアメリアのとなりに並んで言葉をつなげる。
「ラグナっていう、ちょっと説明が難しい仲間がいるんだが、そいつがおまえの妹の場所を見つけたといっていた。もうしばらくすれば連れてくるだろう」
これでヤシャドラは戦う理由がなくなる。
よけいな戦いは回避できて、影狼族が命を懸ける必要もなくなる。
そう思ったのだが、俺の話を聞いたとたんにヤシャドラの表情が一変した。
いったいどうしたんだ、なんて聞くまでもない。
見れば誰でもわかってしまう。
それは、怒りの表情だった。
「貴様等までフィーを狙うのかっ!!!」
魔力が走り、巨大な魔法陣が一瞬で完成した。
現れた二匹のワイバーンが俺たちめがけて疾走する。
早い。
広いとはいえ地下深くの洞窟の中を、羽ばたくことなく突進してくる。
俺が剣を構えるよりも先に、二つの人影が両脇から飛び出していった。
「<フレアトルネード>!」
「<一刀両断撃>!」
炎の渦がワイバーンを飲み込んで焼き尽くし、残ったもう一匹は真正面から放たれた強引な斬撃で真っ二つにされた。
「今更ワイバーンごときじゃ準備運動にもならないわよ」
「やっとオレ好みの展開になってきたじゃねえか!」
ダインが吼えると、地面を蹴った。
さっきのワイバーンも早かったが、ダインはその比じゃない。
蹴ったと思った次の瞬間にはもうヤシャドラの目の前にいた。
巨大な「竜殺し」を振りかぶり、容赦なくブン殴る。
ワイバーンすら一撃で倒すチートじみた一撃は、しかしヤシャドラの体をすり抜けて空振りした。
「あ? 手応えがねえぞ」
「僕は影狼族だ。あらゆる攻撃が効かない。どれだけ腕力があるのか知らないが、剣なんて当たるわけないだろう」
「だったらこれはどうかしら!?」
突然ヤシャドラに向かって赤い光が収束していく。
次の瞬間、巨大な爆発が洞窟内を揺るがした。
密室空間である洞窟内で大規模魔法なんて使ったら俺たちまで巻き添えになるはずだが、膨れ上がった爆炎はその途中で勢いを止め、爆発の中心点に向かって一気に収束していった。
「リバース・エキスプロージョン!」
凝縮された炎が、燃えるような光を放って消滅する。
光が消えた後に残されていたのは、丸くくり抜かれたように消滅した天井と床、そしてその空中に浮いたように佇む少年の姿だった。
「無駄だよ。この世に存在するあらゆる物は僕に干渉できない。剣でも、魔法でも、それは同じだ」
ヤシャドラが手を掲げる。
「だけど、お前たちのその力は強力すぎる。危険だ。悪いけどここで消えてもらう」
突然、指先から大量の水があふれ出して俺たちを壁に押しつけた。