14.密約
ユリウスの目がすうっと冷たくなった。
その視線を受ける俺の背筋まで冷たくなる。
これは、殺気だ。
思った瞬間、机に座っていたはずのユリウスが俺の目の前に踏み込んでいた。
いったいいつ、どうやって移動したのかまったく見えなかった。
俺に見えたのは、手にしたレイピアの鋭利な切っ先だけ。
ユリウスはそれを躊躇なく俺の喉元へ突き刺した。
──ッギィィィン!!
突き出したレイピアの切っ先が、赤い結界に阻まれて止まる。
「……完璧に不意をついたと思ったんだがな」
レイピアを突き立てた姿勢のまま、ユリウスが薄い笑みを浮かべる。
俺もまた無言で笑みを形作ると、指先でレイピアの先端をわきへとそらす。
ユリウスは素直に腕を引き、レイピアを鞘へと戻した。
「さすがに魔王軍幹部を倒すだけはあるってことか。人は見かけによらんというが、俺のかなう相手じゃなさそうだな」
机に戻って座り直す。
その様子を確認して、俺は内心でほっとため息をついた。
……っうおおおおおおお!
めっちゃこええええええええええええええええええええええ!
絶対死んだと思ったわ!!
無言でクールぶってるけど、驚きで声出ないだけだからねこれ!
足とかめっちゃ震えそうだし。
超踏ん張ってなんとかこらえてるんだよ。
いきなり急所を突き刺すとかさあ。人としてどうかと思う。
ほんとなんなのマジで。
あんたのほうが絶対暗殺者に向いてるわ。
「その実力と情報収集能力は並大抵のものじゃない。どこの組織のものだ」
ユリウスはまだ勘違いをしてるらしい。
俺は内心の焦りを落ち着かせてから答える。
「どこでもないよ。いっとくが本当だ。背後を調べるのはかまわないが、時間の無駄だから早々に打ち切ってくれよ」
ユリウスは黙ったまま、値踏みするように俺を見ている。
「ついでだからもうひとつ教えておく。大臣はちかじか内乱を決行する」
「……その情報はまだ俺もつかんでいないが」
「正確には、大臣にとって最大のチャンスが訪れる、といったほうが正しいな。今日から三日後、王女様がお忍びで王宮を離れるからな」
「初耳だぞ、それは」
そうだろうな。
俺も少し前に頼まれたばかりだからな。
「あんたは大臣への牽制のつもりで俺を呼んだのかもしれないが、王女様にも王女様なりの考えがあったってことだよ」
「王女様はどこへ行かれるおつもりだ」
うーん。これは少し悩むな。
素直に教えてもいいものなのか。
ここは小説にはない場面だ。
教えることでユリウスがどう動くのか、俺も予測できない。
国のためを真に思うなら、王女が危険な地へ向かうことには反対するだろう。
しかしそれが国のためを思ってのことだとわかれば、手を貸してくれるかもしれない。
……考えてもわかることじゃないな。
少し様子を見よう。
「悪いが王女様との約束でな。詳細は教えられない」
「……危険なのか」
わざわざ俺に護衛を依頼するんだから、危険じゃないといったって説得力はないか。
「正直にいってめっちゃ危険だ。しかし止めるわけにもいかなくてな。なので護衛を引き受けることになった」
そもそも、護衛を断ったって一人でいくと言い出しかねないしな。
「近衛隊の隊長殿は知っているのか?」
「同行することになっている」
「そうか。あの人も承諾しているなら、王女様の決意は固いということか……」
嘆息気味につぶやく。
一度決めたら決して曲げない頑固な性格は、ユリウスもよく知ってるようだな。
まったく。誰に似たんだか。
「ところで、王女様はなにをしに行くんだ? 詳細はいえないまでも、だいたいのところくらいは把握しておきたい」
それはきっと本心なんだろう。
俺は人の心を読むのに長けているなんてまったく思わないけど、そんな俺でも、心から王女様を心配していることが伝わってくる。
だからこそ、正直に言ったら卒倒するんじゃないかなあ……。
うーん。
まあいいか。情報共有は大事だしな。
言っちゃおう。
「魔界に行く」
「は?」
「魔界に行って魔王と面会し、戦争をやめるよう説得しにいく」
「………………はあ?」
さすがのユリウスも間抜けな顔になった。
そのまましばらく沈黙し、ややあって絞り出すように声を響かせる。
「魔界に行って、魔王と面会し、戦争をやめるよう説得しにいく? そういったのか?」
「一字一句間違いない」
うなずくと、ユリウスは唖然としたまま、しばらく固まっていた。
「なんというか……、本当に、あのお方は……」
嘆きつつも、その顔は笑みを浮かべている。
やることは無茶苦茶で危険極まりないが、国のためなら自らの命も省みないのがアメリア王女様だ。
その下につく騎士たち、特に近衛隊隊長なんかは毎日振り回されているんだが、私腹を肥やすのに必死な大臣なんかよりかはよっぽど仕えがいがあるだろう。
そんな王女様だからこそ騎士たちは忠誠を誓っているし、国民も彼女を慕っている。
その思いが、王女の死をきっかけにして全面戦争へと発展してしまうんだ。
守らなければならない。
彼女も、彼女を愛する騎士たちも、みんな。
「魔界に行くということは、冥府の谷へ向かうということか。あそこは危険な魔物も多い。大臣たちが暗殺者をし向けてくる可能性もある。ああ、それで王宮とは関係のないお前たちに頼んだというわけか」
なにこの人、有能すぎ。
今の情報だけでそこまでわかっちゃうんですか。
「まあそういうわけなんで、王女様は俺が全力で守る。なのであんたは王女様が留守のあいだ、王都を守っててくれ」
「いわれるまでもない。そのためにこうして毎日忙しいんだからな。とはいえ大臣も慎重でな。なかなか尻尾をつかませない」
「だろうと思ってな。多少なら手助けできるぞ」
ユリウスがニヤリと口元をゆがめた。
「なるほど。それが本題ってわけか」
戦争はなんとしても回避しなくてはならないが、俺一人じゃできることに限界がある。信用できる奴に手伝ってもらわないと無理だ。
王宮編なんて面倒なことはやりたくないしな。
そういうとき作者ってのは便利だ。
誰が味方で誰が敵なのか全部知ってるし、なにが目的で弱みはなんなのかもだいたいのところは把握してる。
小説内で設定してないと無理だけどな。
でもまあ動きやすいことに変わりはない。
「味方はするが、こっちも忙しくてな。手を貸せるのは一度だけだ。なにをしてほしい。大臣の家の見取り図を取ってくるか、邪魔な衛兵を排除するか、取引現場を押さえるか?」
「まだ誰にも言ってない計画まで知ってるってか。心でも読めるのか?」
「先の展開を知ってるだけだよ」
「未来を読める勇者様か。そりゃ頼もしい味方だな」
ユリウスが低く笑う。
「ひとつだけだったな。だったらこいつを頼む」
少しは悩むのかと思ったのだが、意外にもすぐに告げてきた。
「影狼族を始末してくれ」
今度は俺が驚く番だった。
「……知ってたのか」
「その反応からするともそっちも知ってたのか。ほんと、恐ろしいな」
大臣は魔族と連絡を取り合っている。
その連絡役が影狼族であり、『最弱のジャーギーン』と呼ばれる魔王軍四天王の一人だ。
あらゆる物質をすり抜け、魔術結界すら通ることのできる能力を持っているため、どんなところにも忍び込めるし、それを防ぐことは不可能だ。
「影狼のことまで知ってるなら、ついでにこれも教えようか。そのジャーギーンを裏から操っているのが魔王軍四天王の一人『死霊術師のアウグスト』だ。やつの目的は戦争を起こし、大量の死者を生み出すこと。死霊術師にとって死体と魂ほど欲しいものはないからな」
「はは、もう正しいのかどうかすらもわからないな」
「信じなくてもいいよ。俺だってさすがにここまでくると自信があるわけじゃない」
俺が書いた小説の設定ではそうなってるが、なにかしら変わってたり付け加えられている可能性も高いからな。
「それで、なんで影狼族を狙うんだ」
「できない、とはいわないんだな」
「魔界に向かう以上、避けては通れないからな」
「ははっ、それもそうだな」
あらゆる物質、魔力障壁を通り抜ける影狼族だが、ひとつだけ例外がある。
それが、人間界と魔界とを隔てている結界だ。
これだけはさすがの影狼族も通れない。
そのため結界の力が薄まる冥府の谷を利用してこちら側にやってきている。
だからこそ冥府の谷は重要なポイントだ。強力な魔物を周囲に放ち、ジャーギーン自らも守っている。
その冥府の谷を使って魔界に向かう以上、影狼族との接触は避けられないんだ。
「影狼族を狙う理由だったな。大臣は魔族と定期的に連絡を取っている。それが突然こなくなったらどうなる? しかも最近若造が周りをうりょちょろと嗅ぎ回ってるときてる」
「なるほど。慌てるだろうな」
「証拠を隠滅しにかかるはずだ。そこを押さえる。決定的証拠ってやつだな。利権のために大臣についてるやつも、裏で魔族とつながってたと知ればかばいようがない」
なるほどそれはえげつない。
しかも一撃で大臣を追い落とすことができる。
国家転覆罪、なんてレベルじゃないからな。
「まずは目先の敵を排除する。汚職だなんだというのはそのあとで一掃すればいい」
「そうすれば次の大臣は晴れてフォーエンタール家になるってわけだ」
「いや、俺は大臣にはなれない」
「そうなのか?」
小説では王都のその後までは描かなかったからユリウスがなるとは決まっていないが、流れから言えばこの人がなってもおかしくないと思うんだけど。
「汚れ仕事に手を出しすぎた。フォーエンタール家は俺の代で終わりだよ」
あっさりとした口調だった。
フォーエンタール家は、一代二代で成り上がった貴族とはわけが違う
系譜をたどれば王族にも連なる本物の血筋だ。
何百年と続いた伝統を自らの手で終わらせることは、死ぬよりもつらいことなんじゃないだろうか。
それをユリウスは平然と受け入れていた。
「血筋だと何だのなんて、王都の平和に比べたら毛ほどの価値もない。それに心配しなくても、タダで死ぬつもりはないさ。裏でつながってる悪い奴らも道連れにしてやるよ」
「正義の味方も大変だな」
しみじみと漏らす俺に、ユリウスが口の端を笑みに変える。
「お互いにな」
「……。それもそうか」
なにしろ俺はこれから、魔王軍四天王の一人と戦わないといけないんだからな。