32.魔法
「ところでユーマ君、体調はどう?」
「うーん、まあまあってところかな。まだちょっと体がだるい感じがする」
「ついさっきまで寝たきりだったんだから、無理しないでね」
「そうだな。わるい」
「ううん。いいよ。体力を回復させる魔法もあるから、ちょっと待ってて」
アヤメが目を閉じて集中すると、手のひらに白い光が現れた。
見ているだけで心地よくなる、優しい光だ。
回復魔法を受けながらふと思い出したことがあってアヤメにたずねた。
「そういえば聞きたいことがあったんだけどいいか」
「うん。わたしに答えられることなら」
「じつは取得可能スキル一覧にいくつか新しいスキルが増えてたんだけど……」
俺は冒険者カードを取り出して、スキル一覧を表示させた。
【上級回復魔法 ハイヒールLV.38】
【蘇生魔法 リザレクションLV.25】
【奇跡 天使の涙LV.-】
【初級回復魔法 エンジェルヒールLV.5】
下の方に回復魔法がずらっと並んでいる。
俺が倒れたときにかけてもらった魔法だろう。
その中のひとつを指さす。
「こいつだ。【奇跡 天使の涙】。こんな魔法は知らないし、レベルも表示されないんだが、バグってるわけじゃないらしい。アヤメはなにか知ってるか?」
小さな頭が控えめに振られる。
「わたしも聞いたことないよ。ごめんね」
「アヤメが謝ることじゃないだろ。詳細を見てもよくわからなくてな」
カードを操作して詳細情報を表示する。
【奇跡 天使の涙LV.-
神の加護を受けた聖女のみが行使出来る奇跡。術者の涙が触れることで効果を発揮し、あらゆる状態異常を治し、失われた魂をも回復させる。生涯にわたって愛すると誓った相手にのみ発動する】
「てっきりアヤメが使った魔法だと思ったんだがな。スキル一覧に載ってるから誰かが俺に使ったのはまちがいないと思うんだが、アヤメじゃないとしたら……」
「…………………………」
となりに座るアヤメが、顔だけじゃなく全身真っ赤になって固まっていた。
「アヤメ、どうした?」
「……えっ!? どどど、どうって、なにが!?」
なぜかめっちゃ動揺してた。
「いや、なんか、様子が変っていうか、大丈夫か?」
「う、うんっ、大丈夫、わたしなにも知らない! きっと司祭様か誰かがかけてくれたんだと思うよ! うん!」
「お、おう。そうだな」
やけに勢い込んで断定してくる。
アヤメが使った魔法じゃないとしたらそういうことになるが……なんかこんなに焦るなんてアヤメらしくないな。
「やっぱりなにか知って……」
「と、とにかく、回復魔法をかけるからじっとしてて!」
強引に話を打ち切られてしまった。
再開したアヤメの回復魔法を受ける。
優しい光を受けていると、じんわりと体力が回復してくるのがわかった。
「あー、やっぱこの感覚は気持ちいいな」
うまくいえないが、温泉にでもつかってる気分だろうか。
ふと、アヤメがなにかを思い出したように顔を上げた。
「あ、そうだ」
「どうした?」
「えっとね、あの、この魔法は体力を回復させるんだけど、その、もっといい方法があるというか……」
なぜかしどろもどろになりながらつぶやく。
「このまま普通に使うこともできるんだけど、効果としては体力を回復させるっていうか、わたしの体力をわけてあげるっていうほうが近くてね、できれば距離が近い程良くて、一番いいのは直接触れることで……」
耳まで真っ赤になりながら、少し早口になって説明する。
ていうか、それって、つまり……。
「だから、恥ずかしいけど……肌と肌を……直接重ねたほうが、その……」
言葉が消え入るように途切れる。
ごくり、と喉が鳴った。
お互いベッドに腰掛けたまま、目を合わせられない。
痛いほどの沈黙が流れている。鼓動の音だけが鳴り響いていた。
ぎしり、と軋んだ音がする。
ひと一人分の距離をあけて座っていたアヤメが、俺のほうに近寄ってきた。
「ねえ、いい……かな?」
「お、おおおお、おう! ももももちろんだぜ!」
声が裏返ってしまった。
ていうか、いいのか?
ほんとうに?
だって、肌と肌を重ねるって……つまり、そういうコトをするってことだろ?
だいたいアヤメには好きな人がいるって話をしたばかりで……。
「……え?」
ひょっとして、そういうことなのか?
アヤメが好きなのは、その、つまり……俺なのか?
心臓がバクバクと鳴りひびく。
全身が熱くてたまらない。
見慣れたはずの幼なじみの顔が、びっくりするくらいかわいく見えた。
ずっと一緒に育ってきて、全然意識しなかったけど、アヤメだって女の子だ。
好きだといわれれば心が動く。
俺にはシェーラがいるけど、だからといってここでアヤメを振り払うなんて出来るはずがない。
……覚悟を決めろ俺。
アヤメがこんなに勇気を出しているのに、男の俺がなにもしないなんて情けない。
俺は服の裾に手をかけると、一気に脱いだ。
「え……? ええっ!? ユーマ君、どうして脱ぐの!?」
アヤメが驚いた声を上げる。
「どうすればいいのかはまだわからない。俺に出来るのは、アヤメだけに恥ずかしい思いをさせないようにするだけだ」
「えっと、あの、どういう……」
「さあ、アヤメも脱ぐんだ」
「……………………え?」
ぼんっ、と音を立てるくらい真っ赤になった。
「な、なななななな、なんでっ!?」
「なんでって……そん、するんだろ……肌と肌で、その、アレすることを……」
「あの、その、よくわからないけど、大丈夫だよ。そのままでも……」
「え? そうなの?」
こういうことはてっきりお互い裸でするものだと思ってた。
経験なんてないからわからないけど。
アヤメは真っ赤な顔で俺のすぐそばにまで近づくと、小さな手で俺の手をそっとはさみこんだ。
「こうすればいいだけだから……」
あたたかな手のひらが包み込み、肌と肌が直接重ねられた。
………………。
で、ですよねー! そうに決まってますよねー!
あっぶねー! 思いっきり勘違いするところだったわー!
アヤメは恥ずかしそうにうつむいたまま、両手で魔法をかけ続けている。
なにか温かいものが俺の中に流れてくるのがわかるが、それ以上に心臓が鳴り響いて止まらない。
俺もアヤメもなにも言わない。
というか、時間が経つほどに冷静になった頭がさっきの行為を思い出して、なんというかもう……
「……」
「……」
「……」
「……」
「……ねえ、ユーマ君」
「……」
「さっきはなんで服を……」
「わーっしょーいっ!」
全力のしゃちほこジャンプでベッドからダイブした。
「なんか今すごい体勢だったよ!?」
アクロバティック海老反り体勢のまま床に落ちると、勢いよく頭を床にたたきつけて土下座した。
「すいませんエッチなことだとかんちがいしてました」
「ええっ? えっと、……なんで、そんな……」
「いや、だって、肌と肌を重ねるっていうから、てっきり……」
「……………………ぁ」
ぼんっ! ひゅるるる……こてん。
ゆでだこになったアヤメがその場で倒れた。
「ち、ちがっ……わたし、そんな意味じゃ……っ!」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
真っ赤な顔で涙目になる女の子と、半裸のまま土下座する俺。
情けないことこの上ないな。
アヤメは枕を抱きかかえて顔を隠したまま、なにも言わなくなってしまった。
……き、気まずい。アヤメと二人きりでこんな空気になるなんて。
やがて沈黙を破ったのは、アヤメのほうだった。
「その……ユーマ君は、つまり、あの……」
真っ赤な顔を埋めたまま、ちらりとのぞいた瞳が俺を見つめた。
「わたしとえっちなことしたいって思ったの……?」
……こ、これに答えろというのかッ!?
とはいえ完全に悪いのは俺だしごまかそうにもつまりはそういうことなんだから今さら言い訳出来るはずもないというかそのあの……
「……………………………………………………………………………………はい、思いました」
「………………そ、そう…………なんだ……………………」
「……」
「……」
「……」
「……」
うん。俺もうすぐ恥ずか死ぬわ。
針のむしろのような時間のあと、アヤメが押し殺したようにささやいた。
「ユーマ君。こっちにきて」
「………………はい」
いったいどんなおしかりが来るのだろうか。
往復ビンタの5,6発は覚悟しなければなるまい。
粛々と近づいた俺は、アヤメの前でしゃがみ込む。
幼なじみの顔はうつむいていて見えない。
感情のわからないまま小さな両手が伸ばされ……俺の手を包むように触れた。
「治療の続き、しないと……」
「……怒ってるんじゃないのか?」
思わずもれたつぶやきに、ふるふると首が振られる。
「そんなことないよ。わたしの言い方が悪かったし、それに、男の人はみんなそうなんでしょ……?」
「お、おう」
よくわからない生返事をする俺。
しかたないだろう。他にいったいなんて答えればいいというんだ。
「そういえば、こういうのって初めてだね」
「そりゃそうだろ。治癒魔法なんて使ったことある訳ないんだからな」
むしろ初めてじゃないほうがおかしい。
だがアヤメは首を振った。
「そうじゃなくて……こうやって、手をつなぐの……」
うつむいたままだから顔はわからないが、耳まで赤くなっているのが見える。
そのまま、ぽつりと小さくつぶやく。
「……やっぱり、……だよ。諦めるなんてできない……」
うまく聞き取れなかったが、やがて顔を上げるとまっすぐに俺を見た。
「ユーマ君、決めたよ。わたしはやっぱり現代に帰りたい」
「……そうか」
そうだよな。それが普通だよな。
それでもやっぱりショックを感じてしまう。
「こっちの世界も楽しいけど、わたしはやっぱり元の世界のほうがいい。一緒に本を読んだり、学校に行ったり、……手をつないでデートしたり……、そういう毎日がわたしは好きだったから」
アヤメの好きな人は、きっと向こうにいるんだろう。
そりゃそうだよな。こっちには俺とアヤメしか来ていないんだから。
「ユーマ君は、残るんだよね?」
「たぶん、そうなるだろうな」
まだまだ先のことだからはっきりと決めてるわけではないが、たぶんそうなるだろう。
つまりいつかは別れるということだ。
「それはちょっと寂しいね」
まるで心を読んだようなタイミングでいってくる。
「だから帰るときは、ユーマ君にも必ず一緒に帰りたいっていわせるからね」
寂しいというアヤメの顔は、たけど今まで見た中で一番輝いていた。
クリスマスですが通常更新です。