30.幼なじみ
シェーラが去ってしばらくした頃、再び誰かの足音が聞こえてきた。
足音は扉の前で止まると、ためらうようにゆっくりと扉を開いた。
入ってきた小柄な人影が、俺の姿を見て息をのむ。
「ユーマ、君……」
「やっぱアヤメか。色々迷惑をかけたんだってな。ありがとう」
礼を言うと、アヤメの瞳に次々と涙が浮かんだ。
「お、おい、いきなりどうしたんだよ」
「だってユーマ君、ずっと目を覚まさなくて、みんなも助からないって言ってて、このまま起きなかったらどうしようって、怖くて、わたし、ずっと、ずっと……」
そのまま両手で顔を覆い、ボロボロと泣き出した。
「よかった……ユーマ君、本当によかったよぉ……!」
俺は重い体を引きずって立ち上がると、しゃがみ込んだまま嗚咽をもらす小さな体を抱きしめた。
「悪かった。アヤメにも心配をかけたみたいだな」
「ユーマ君がいなくなるなんて、わたし、やだよぉ……!」
俺の腕にすがりつき、声を上げて泣き続ける。
アヤメがこんなに感情をむき出しにするなんて珍しい。
どちらかといえば引っ込み思案で、自分を主張してくることはあまりない性格だ。
それがこれだけ泣きじゃくるんだから、そうとうに心配させてしまったんだろう。
シェーラといいアヤメといい、本当にもう今回のようなことはやめるようにしよう。
やがて泣きやんだアヤメが腕の中で身じろぎする。
「あ、あの、ユーマ君、わたし、その……」
見下ろすと頭しか見えないが、耳まで真っ赤になっているのがわかった。
自分の置かれている状況に気がついたらしい。
腕を離すと、慌てて離れた。
「ご、ごめんね、いきなり、こんな……」
「いや、悪いのは俺のほうだ。それに、なんというか……ありがとう」
「ユーマ君こそ、なんでお礼を言うの」
「いや、なんとなく、そんな気がしたからな」
俺のために泣いてくれてありがとう、とはさすがに恥ずかしくていえなかった。
照れくさくて目も合わせられないでいると、やがてアヤメがくすくすと笑みをこぼす。
「変なユーマ君」
「うっせ」
ぶっきらぼうに言い捨ててベッドに戻る。
でも、よかった。
アヤメが笑ってくれて。
女の子の涙なんてやっぱり見たくないもんな。
ベッドに腰掛けるようにして座ると、少し離れた位置にアヤメも腰を下ろした。
「アヤメの魔法のおかげで助かったんだってな。ありがとう。なんか俺一度死んだらしいけど……やっぱアヤメの魔法はすごいな。魂が消滅した状態からでも生き返るなんて」
あらためてお礼をいうと、アヤメは慌てたように両手を振った。
「ううん、そんなことないよ。わたしなんてそれくらいしかできないし。ユーマ君のほうこそすごかったよ。わたしなんて何回も助けてもらえたし」
「じゃあお互い様ってことだな」
「うん。そうだね」
いつもの控えめな笑みを浮かべる。
やっぱアヤメの笑顔は落ち着くな。
「ところで、ダインのほうはどうなんだ」
生きていたとはいえ、全身ボロボロだったはずだ。
小説通りならアンデッドドラゴンの最後の一撃で命を落とすことになる。
アヤメは小さくうなずいた。
「大丈夫だよ。命に別状はないみたい」
「そうか。よかった」
安堵の息がもれる。
たぶん大丈夫だろう、と思っていたとはいえ、万が一ってこともあるからな。
「容態のほうはどうなんだ? 結構な重傷だったと思ったけど」
「えっとね、確か全身打撲と全身複雑骨折で、内蔵の一部も破裂してて、大量失血で体重が二割くらい落ちたって」
「それでなんで命に別状がないんだ」
どう考えても致命傷だろう。
「でもお姉ちゃんは寝てれば治るっていってて、骨折も次の日にはほとんど治ってたし」
あいつはもう人間じゃないな。
いくら身体強化スキルで強化しまくってるとはいえ、そろそろヒト科であることを疑うレベルだ。
オーガとかの親戚なんじゃないのか。
「さすがにそれはないと思うけど……」
困ったように苦笑する。
さすがのアヤメでも否定はできないようだった。
「残りのケガも魔法で治ったけど体力までは戻らないから、まだ安静にしてないといけないし」
よかった。さすがにそこはまだ人間だったか。
「素振りが一日千回しかできないって不満そうだったよ」
あいつは一度安静の意味を調べ直す必要があるな。
「ま、とにかく無事でよかったよ」
あんなんでも一応は仲間だ。それが俺の小説のせいで死ぬなんて、やっぱり辛い。
色々ありすぎて小説の展開を超えるどころかまったく違う話になってしまったが、最終的にはダインも死なないし、俺の命も助かった。
未来は変わったんだ。
俺は力が抜けたように後ろのベッドへと倒れた。
そんな俺にアヤメが優しくほほえむ。
「お疲れ様、ユーマ君」
「ああ、まったくな。やっと終わったよ」
色々なことが起こりすぎて正直訳がわからないが、とにかくは一件落着だ。
ベッドに寝転んだまま目を閉じた。
アヤメも俺もなにも言わなかったが、静かな空気がなんだか心地いい。
なんだか向こうにいた頃を思い出すな。
俺とアヤメはよく一緒にいたが、どこかに遊びに出かけることはなかった。
ほとんどが図書室や俺の部屋で小説を読んだり書いたりしていただけだ。
アヤメも自分の本を読んだり、宿題を済ませたりしているだけ。
たまに小説の相談に乗ってもらうこともあったが、だいたいはお互いに好きなことをしているだけで会話らしい会話もなかった。
でも、それを気まずいと思ったこともなかった。
昔からずっとそんな感じだったからな。特にアヤメは控え目な性格だから、よけいに無理に話そうとはしなかったんだろう。
そばにアヤメがいるだけでなんだか落ち着くというか、しっくりくるというか、それがもう当たり前だったんだな。
「ねえユーマ君」
「んー、なんだ」
「大したことじゃないんだけど……なんかこういう感じ、懐かしいね」
俺は声を上げて笑った。
「ちょうどまったく同じことを思ってたよ」
アヤメも小さく笑みを返す。
「二人してなにも話さないのが懐かしいって、変な感じだね」
「どんだけ引きこもりなんだよって話だよな」
でもまあそれが俺たちらしいといえばそうなのか。
そのまましばらく静かな時間を過ごしていた。
こっちの世界には時計なんてないから、よけいにゆっくりに感じられる。
そのあいだ、アヤメはじっと正面を見続けていた。
俺の位置からでは背中しか見えないが、わずかに見える口元は固く引き結ばれ、両手はひざの上で落ち着きなく動いていた。
「なにか聞きたいことでもあるのか?」
「えっ?」
驚いたように声が聞こえる。
「ど、どうして?」
「いや、なんかそんな風に見えたからな」
モジモジと組んだ手を動かすのは、なにかを思い悩んでいるときのくせだ。
「やっぱりユーマ君にはわかっちゃうんだね」
「俺とアヤメの仲だからな」
「……うん」
うなずくその横顔は、なんだか寂しそうにも見えた。
「あのね。ひとつ聞きたい、というか、確認したいことがあったの」
「なんだ?」
それでもアヤメはしばらくためらったあと、意を決したように少し早口になってたずねてきた。
「ユーマ君は、現代に戻りたいって思う?」