28.二人
なぜかアヤメは機嫌を損ねて布団に潜り込んでしまった。
しかたなく俺は予備の布団を押入から持ってくる。
何度も遊びに来ているせいでアヤメの家の中には詳しいからな。予備の布団の場所くらいなら知っている。
といってもかけ布団しかないため、壁に背をもたれて目を閉じることにした。
夜も遅いはずだが眠気はあまり訪れない。
考えなければいけないことはたくさんある。それに、せっかく日本に来たんだ。今のうちにやっておくべきこともあるだろう。
そうやって思案を巡らせていると、暗闇の中で何かの動く気配がした。
目を開けると、布団の中に潜っていたアヤメが頭半分だけ外に出ていた。
俺と目が合うと、申し訳なさそうに目元まで潜ってしまう。
「あの、……さっきは怒ってごめんね」
どうやらそんなことを気にしてたらしい。
俺は笑って返した。
「気にしなくていいよ。むしろアヤメは怒ることが少なすぎるんだ。嫌なことはもっと嫌だといった方がいいぞ」
「じゃあ、そっちに行ってもいい?」
「それはかまわないけど……」
なにがじゃあなのかわからないが、とりあえず俺はうなずく。
アヤメは布団から起きあがると、俺のとなりに座った。
「どうしたんだ」
「ユーマ君が外にいるのに、私だけ布団の中にいるわけにはいかないから」
「そんなの気にしなくてもいいだろ。ここはアヤメの家なんだから、アヤメを優先するのは当然だろ」
そういったのだが、アヤメは静かに首を振った。
普段は気が弱くて人見知りなのに、こういう変なところで頑固なんだよな。
俺は小さくため息をついた。
「わかったよ。でも寒いから中に入ってたほうがいいぞ」
俺がかぶっていた掛け布団をアヤメの肩に掛ける。
ひとつの布団を俺とアヤメの二人で分け合うような形だ。
「うん。ありがとう」
せっかく布団があるのに、肩を寄せ合って座ってたら意味ないかもしれないな。
でもこれが俺たちらしいなと思ったら、なんだか笑みがこぼれてきた。
「どうしたのユーマ君。なんか楽しそう」
「楽しいっていうか、俺たちっていつもこんな感じだよなと思ってな」
いつも一緒にいて兄妹みたいだなといわれたことがある。
それが一番しっくりくるなと自分でも思う。
「そうかな。いつもこんな感じだったら、きっとドキドキしすぎて倒れちゃうよ」
「はは。そうかもな」
「でも……」
アヤメが肩を寄せてくる。
軽い体重が俺の二の腕に軽く触れた。
「いつもこうだったら、うれしいな」
「そうなのか?」
「うん。そうなの」
そういうものかね。
とはいえなんとなくわかる気もする。
アヤメと二人きりのときは、いつも穏やかな気持ちになれる。
居心地がいいっていうのかな。
沈黙も苦にならないし、お互いたくさん話をするほうでもない。話をしたいときだけすればいいし、そういうときはどちらも嫌がることなくちゃんと相手の言葉に耳を傾ける。
だから気兼ねなく話せるし、それだけ気を許してるってことだろう。
一緒にいて楽しいっていうのともちがう、もっと気楽な感じだ。
それは家族なのかな。やっぱり。
「ねえユーマ君、覚えてる? 前にもこんなことがあったの」
「あー、もしかしてあれか。家の鍵をなくして入れなくなったときか」
「そうそう。ユーマ君がいきなり家に泊めてくれっていうから、あのときはびっくりしちゃったよ」
あれはまだ小学生の頃だったかな。
そのころから親は家を留守にしがちだったため常に鍵をもつようにしてたんだが、そのときは家の中に忘れちまったんだよな。
となりの家に遊びに行く感覚で泊めてくれなんていっちまったけど、今考えれば確かにいきなりすぎたよな。
「あのときは突然で悪かったな」
「気にしなくていいよ。あのときは私も両親が出張に出かけてて一人で怖かったから、ユーマ君が来てくれてうれしかったんだ」
「ああ、そうだったな。二人で料理をしたりしたよな」
「全然できなかったけどね」
俺はそれまで料理なんてしたことなかったし、アヤメも親の手伝いしかしたことなかったから、一から作る経験なんてなかったんだ。
「料理は失敗しちゃったけど、でも、美味しかったよね」
「そうだな。楽しかったな。おかげで小説のシーンにも使えたしな」
「そうだったね。あそこは人気もあって私もうれしかったな」
料理に失敗した話なんかはそのまま使ったところ、キャラクターたちが生き生きしてて読んでて楽しかったです、なんていわれたりもした。
そりゃそうだろうな。なにしろ俺とアヤメの経験をそのまま書いたからな。
まるで私たちがほめられてるみたいだね、なんてアヤメと話したりしたものだ。
アヤメとはたくさんの時間を一緒に過ごしてきた仲だ。
それからも色んなことをした。料理もお互いそれなりに作れるようになったしな。
その経験は俺の小説にも何度も生かされている。
小説の相談にもよく乗ってもらっていたしな。
アヤメの意見を聞いて内容が変わることもよくあった。
ああ、それで思い出した。
「そういえば、アヤメに書いてほしいと頼まれて書いたシーンもあったよな」
「あ、あれはその……」
とたんに恥ずかしそうにうつむいてしまう。
その様子を見てついほくそ笑んでしまった。
シーン自体はなんでもないものだった。だから書くのは苦ではなかった。
だけどそのあとで読んでもらったら、私のイメージと少しだけ違う、なんていって山のように修正させられたんだ。
「あのときは、生意気なこといってごめんね……」
「いや、いいよ。アヤメの言うとおりだったし。実際それでおもしろくなったしな」
そういうシーンは少なくない。本文を書いたのは俺だが、シーンを考えたのはアヤメなんだ。
やっぱり自分一人で考えるのは限界があるし、アイディアも似たようなものばかりになっちまう。他の人の意見ってのは重要なんだよな。
そういう意味じゃアヤメは、俺の小説にとって第二の作者ともいえるかもしれないな。
そんなとりとめのない話を俺たちはいつまでも続けていた。
もうとっくに真夜中なのに、眠気は全然訪れない。
そんな話をしてる中で、ふと俺はとあることを思い出した。
「そういえばさ、アヤメは俺のいうことなら何でも聞いてくれるっていったよな」
「え、そ、そうだっけ」
「そうだよ」
それは日本に来る前の夜のこと。
勇気を持てなかった俺に向けて、アヤメがいってくれたんだ。
ユーマ君がいうことなら何でもちゃんと聞くから。だから大丈夫だと。
「何でもいうことを聞いてくれるんだよな?」
「え? あっ」
暗い中でもアヤメの顔が真っ赤になるのがはっきりとわかった。
「あれはその、そういう意味じゃなくって、その……! ユーマ君がてっきり、こく……するのかと思って……」
「こく?」
「あああああ、なんでもない! なんでもないの!」
慌てふためいて否定する。
「そうかー、なんでもかー、なに頼もうかなー」
となりで小さな体がぎゅっと縮こまるのが感じられる。
まあからかうのはこの辺にしておくか。
「それじゃあさ。これからも一緒にいてくれないか。」
「……やだ」
「えっ」
まさか拒否されるとは思ってなくて思わず狼狽してしまった。
「嫌って、なんでだ……? やっぱりあんな危険なところに帰りたくないとか……」
あわてる横で、小さな笑い声が響く。
「ふふ。嘘だよ。ユーマ君が意地悪なことをいうから、お返し」
「ああ、なんだ……。ほっとしたよ」
「でも、そんなに慌ててくれてありがとう。ちょっとうれしかったかな」
「……? なんで慌てるとお礼を言われるんだ?」
「んーん。なんでもない。私がそう思っただけ」
うーん。よくわからん。まあアヤメはあまり冗談を言うほうではないから、きっと本心なんだろうとは思うが。
「そのかわり、私からもひとついいかな」
「ああ、いいぞ。なんでもいってくれ」
「明日はちゃんとユーマ君の家にも行こうね」
「いや、それはちょっと……」
アヤメの提案に俺は難色を示した。
うちはアヤメのところと違って、親子仲は微妙なんだよ。
「でもユーマ君、何でもいっていいっていったよね」
「う……。確かにいったけどさ……」
「お母さんも心配してるよきっと」
「アイツはそんなタマじゃないだろ」
うちの親は色々とアレなんだ。
息子が一ヶ月ぶりに帰ってきても、あら帰ってきたの、なんてさらっといいそうだ。むしろ、あれいなかったんだっけ、とかすらいいそうだ。
俺はそう思うのだが、アヤメは頑としてゆずらなかった。
「そんなことないよ。私はいつもユーマ君のお母さんに、うちの子をよろしくお願いね、なんて言われてたし」
アイツはなにを勝手に頼んでるんだよ……。
「とにかく、明日は一緒にユーマ君の家にも行くからね。約束だよ」
「わかったよ」
根負けして俺が折れると、にっこりと微笑んだ。
「うん。約束ね」
そういうことになってしまった。
やれやれ。明日は気が重いな。