27.夜
「うふふ。それじゃあごゆっくり~」
アヤメのお母さんが含みのある笑みを残して案内したアヤメの部屋には、一組の布団と二つ並べられた枕が用意されていた。
俺とアヤメは部屋の入り口でそろって立ち尽くす。
「えっと、その……と、とりあえず中に入ろっか?」
「お、おう。そうだな」
アヤメのうわずった声に、俺まで緊張して答えてしまう。
こう見えても幼い頃から一緒だからな。アヤメの部屋に入ることはこれまで何度もあった。今更緊張する理由なんてない。ないったらない。
そう言い聞かせても、心臓の音は鳴り止むどころかますます早さを増すばかりだ。
床に敷かれた布団を意図的に大きく避けて歩き、奥の机に向かう。
といっても特に座る場所もなく、所在なげに立ち尽くす俺たち。
だって、なんというか……さすがに気まずすぎるだろ……。
あのおばさんもなんてことしてくれてんだよ。
俺は半引きこもりのコミュ症だし、アヤメだって本来は人見知りなんだ。
突然こんなシチュエーションに放り込まれてもどうしていいやらわからない。
ただおろおろと周囲を見回すばかり。
その拍子にふとアヤメと目があった。
暗闇の中でもわかるほどに真っ赤な顔。瞳は揺らめくようにうるみ、吸い込まれそうなほどに深い。
思わず見とれて目が離せなくなる。
恥ずかしがりのアヤメでさえ、正面から見つめ合ったまま動かなかった。
何かを期待するようにじっと見つめてくる。
気がつくと俺の足は一歩アヤメへと近づいていた。
暗闇の中にほっそりとしたシルエットが浮かぶ。
アヤメの体は、いわゆる女の子としての魅力には乏しいのかもしれない。それでも、そこにいるのは紛れもなく女の子だった。
俺のよく知っているはずの女の子なのに、まるでまったく知らない女の子のようにも感じる。
「アヤメって、よく見るとかわいいよな」
「ふえっ!? そ、そうかな……。私なんか、全然、そんなことないと思うけど……」
うつむいてもごもごと声にならない言葉を口にする。
いつもなら言えないような言葉も、今はなぜだか簡単に口からこぼれてしまう。
薄暗い室内のおかげでアヤメの顔がよく見えないから、その分だけ恥ずかしさを感じにくいのかもしれないな。
それはきっと俺だけではないんだろう。
アヤメもまた、いつもとはちがう反応を見せた。
「でも、ユーマ君にかわいいっていってもらえたのはじめてだから、うれしいな」
「そうだったか?」
「そうだよ。髪型を変えても、お母さんのお化粧を借りても、いっつも気づいてくれないんだもん」
少しだけすねたように、でもどこかうれしそうなアヤメ。
こんな表情は初めてだ。
不意に沈黙が訪れた。
アヤメは動かずに、ただじっと俺を待っている。
「ユーマ、くん……」
吐息のようにか細い声。
そこにかすかな熱のようなものを感じたのは俺の気のせいだろうか。
俺たちの距離はもう目の前だ。ほんの少し手を伸ばすだけで小さな体に手が触れる。
両肩をなでるように手を乗せると、一度だけビクリと震えた。
緊張のせいか体が固い。しかし徐々に力が抜けていった。
なにか言葉にできない雰囲気が俺たちの気持ちを後押ししている。
この気持ちはなんなんだろう。
暗い室内で二人きり。部屋の時計はとっくに十二時を回っている。よい子はもう眠る時間だ。
でも用意された布団はひとつしかない。
俺には、そしてきっとアヤメにも、そんな気持ちはないだろう。
俺たちは似たもの同士だ。だから考えてることはすぐにわかる。言葉にしなくても顔だけで、顔を見なくても態度だけで、考えていることはだいたいわかってしまうんだ。
俺が今感じていることを、アヤメも感じているはずだ。
それでも何もいわないのは、俺の言葉を待っているからだ。
人見知りで恥ずかしがり屋の彼女が、自分の気持ちを正直に打ち明けることはできないだろう。
自分の気持ちを押し殺してでも他人の気持ちを優先してくれる。
そんなアヤメなら、俺が強引に何かをしようとしても、きっと抵抗しないだろう。
自分の心を上手に隠して、いつものような笑みでうなずいてくれるはずだ。
どんなことを頼んでも、きっとアヤメは受け入れてくれる。
俺はアヤメがそういう女の子だと知っている。
自分の意見を押し隠す子だからこそ、アヤメの意志を誰よりも大切にしたい。
そしてアヤメは俺が知っていることを知っているから、俺が言い出すのを待ってくれている。
俺たちはやっぱり似た者同士なんだ。
「アヤメ、いいか?」
短く問いかける。
それ以上の言葉は必要なかった。
永遠にも似た一瞬のあと、幼なじみの顔が小さく動いた。
「……………………うん」
うなずいて顔を上げる。
その表情はやわらかく微笑んでいた。
「いいよ。ユーマ君となら」
本当は緊張しているのが強ばった腕からも伝わってくる。
それでもその顔はなんの不安もないように笑んでいた。
腕にそっと力を込める。
アヤメは抵抗しなかった。
羽毛にふれるような優しさでそっと布団の上に横たえる。
少し震えているのは寒さのせいだからだろうか。それとも別の何かだろうか。
乱れた髪をそっとなでて直してやると、俺はアヤメの上に覆い被さるように移動して、掛け布団をかけてやった。
「……………………え?」
「今夜は寒いからな。ちゃんと温かくして寝ろよ」
「ゆ、ユーマ君は……?」
「心配しなくても俺は予備の布団を使うから大丈夫。その布団はアヤメが使ってくれ。俺は部屋の隅で寝てるから」
布団はひとつしかないんだから、一人しか寝られないに決まっている。
それはアヤメもわかっていたはずだ。
だから俺に譲ろうと言い出すに決まっていたが、さすがの俺も女の子を置いて自分だけ寝るなんてわけにはいかない。だからアヤメに譲ることにしたんだ。
すぐにうなずいてくれたのも、きっと俺の気持ちをわかってくれたからだろう。
似た者同士だからな。このくらい視線を合わせるだけで伝わってしまう。
よかったよかったと心の中でうなずいていたら、アヤメがぽつりとつぶやいた。
「ゆ……」
「ゆ?」
「ユーマ君のバカーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
叫び声と共に枕が俺の顔面に投げつけられる。
このあとめちゃくちゃ怒られました。なんでだ。