23.前夜
フォルテとラグナのおかげで、アウグストの城に張られた結界はなんとか攻略できそうだった。
城内にはそれで入れそうだが、正門の様子を見てきただけですでにこれだけのイレギュラーが起きてるんだ。中にはいるとどれだけのことが起きるのか想像もつかない。
とはいえ、たぶんかなりの危険があるだろうことくらいは想像できる。
だが、アウグストさえ倒せば、人間界と魔界の戦争は回避されるんだ。
つまりこれが最終決戦。多少の無理を押してでもやらなければならない。
幸いフォルテの準備には2、3日かかるという。
それまでのあいだに満足がいくまで準備してほしい。
俺の言葉に、みんなが真剣な表情でうなずいた。
さて、そうはいったものの、俺は俺で重要な準備があった。
確認といった方がいいかな。
俺は今、周囲に誰もいなさそうな人気のない場所にまでやってきた。
街の門を通らずに、ゲートを使って近くの森にまで来たんだ。
このあたりなら誰もこなさそうだったからな。
魔物に襲われる可能性はあるが、そうしたらまたゲートで逃げればいい。
襲われる危険性よりも、これから行うことを誰かに見られる危険性のほうが大きかったんだ。
これから行うことは、前々から、もしかしたらできるのではないかと思っていたことだ。
だけどそれを確認するのが怖かった。成功してしまうと、俺は避けられない重要な決断を迫られるからだ。
だから今までは先延ばしにしてきた。
しかし今回の件で、魔界の恐ろしさをあらためて知った。
すでに俺の小説の展開を大きく超えている。いつどんなことが起こるかわからない。いつ死んでもおかしくないんだ。
だから逃げ続けるわけにはいかなかった。
緊張しながらとあるスキルを発動する。
高鳴る心臓とは裏腹に、実験はあっさりと成功した。
あまりにも簡単すぎて、俺はしばらく目の前の光景が信じられなかったほどだ。
それは本来ならできてはいけないはずのことだった。
小説内でも一度も行わなかった。
しかし行わなかっただけで、できないとはいってない。
それに設定を突き詰めて考えれば、できなければおかしいことでもあった。
これが俺の書いた小説ならば、都合の悪いことは適当な理屈をでっち上げて起こらないようにできるが、この世界は現実だ。
都合が悪かろうがなんだろうが、設定上可能ならそれは成功してしまう。
リンゴを手から離せば、どんなに都合が悪くても地面に落ちてしまうように、そのスキルを使えばスキルの効果通りの結果が起こる。
本来なら通るはずの道筋がワープ一発で全部ショートカットできてしまったり、魔王が主人公にも倒せないほど強くなったりと、都合が悪くても容赦なく起こる。それがこの世界なんだ。
チート過ぎるスキルは、その存在だけで世界を大きく変えてしまう。これはそういう話だ。
実験は成功した。
してしまった。
ならば受け入れるしかない。
目の前の光景を現実だと受け入れて、俺は最善の選択を考えなければならなかった。
暗くなる前に俺は街へと戻ってきた。
夕食はサウスの宿屋でとった。
みんないつも通りだったけど、どことなく固い緊張のようなものを感じたのは、単に俺が気にしすぎているだけなんだろうか。
「どうしたのよユーマ。全然食べてないじゃない」
シェーラに指摘されて初めて気づいたが、みんなほとんど食べ終わっている中、俺だけが半分以上残していた。
「え、ああ。そうだな。やっぱ緊張してるのかもな」
「食わなきゃ戦えねえぞ。死んでも食え」
「死んだら食えねえよ……」
「ユーマ君、野菜は残しちゃダメだよ」
「……なんか魔界の野菜って苦くないか?」
「気のせいよ。栄養は重要なんだから、ちゃんと残さず食べなさい」
「うち自慢の料理だから味わって食べてくれよ」
サウスがクールな表情で勧めてくる。
俺はフォークの先に刺さったゴボウとピーマンの合いの子みたいな魔界特有の野菜を見つめた。
サウスの料理がまずい訳じゃない。むしろ美味い。野菜がこんなに美味いのかと驚いたほどだ。ちょっと苦いけど、それはそれでアクセントになっててちょうどいい。
この食事風景だって今まで何度も過ごしてきたものであり、今ではすっかり当たり前になったけど、異世界にくる前の俺の人生ではこんなにも楽しい食事なんて一度もなかった。
幸せというと違うかもしれないが、これがいわゆるかけがえのない日常というものだということは、なんとなく理解していた。
失って初めて気がつくとか、こんな毎日がずっと続けばいいなとか、そういわれるようなタイプのものなんだろう。
今日を含めて残り二日しかない。
今この瞬間を大切にしなければならない。
それでも、これからのことを考えると、どうしても食事がのどを通らなかった。
月も真上を通り過ぎるほどの深夜。
魔界には時計なんてないから正確な時間はわからないが、かなり夜も遅くなっているだろう。
街中が静まりかえっていて誰も起きている気配を感じない。
そんな中でも俺が一人部屋の中で起きていたのは、ある人物を呼んでいたからだ。
大した明かりもないため薄暗い部屋の中に、やがてノックの音が聞こえた。
大きな音でまわりに迷惑をかけないよう配慮された、控えめなノック音だ。
「起きてるぞ」
声をかけると、扉がゆっくりと開く。
おっかなびっくりに顔をのぞかせたのは、昔から見慣れたアヤメの顔だった。
「えっと、こんばんわユーマ君」
一日中一緒にいて今更こんばんわなんていうような間柄でもないと思うのだが、そういうところがいかにもアヤメらしくて俺は少し笑ってしまった。
きっと緊張してるんだろう。
なにしろ俺がいきなり呼び出したからな。
なので俺はなるべくいつも通りの感じになるように声をかけた。
「ああ、こんばんわ。とりあえず中に入ってくれ」
「う、うん。それじゃあお邪魔します……」
姿を現したアヤメはいつもの薄汚れたローブ姿ではなくて、普通のシャツにスカート姿だった。
薄暗いためはっきりと見えるわけではないが、控えめなアヤメにしてはだいぶオシャレな服装といえるだろう。
初めて見る格好だ。もしかしたら寝間着用なのかもな。
「かわいい服着てるな」
俺が言うと、アヤメがびっくりしたように足を止めた。
それからやがてゆっくりと微笑みを浮かべる。
「ありがとう。ユーマ君にほめられるとうれしいな」
「いつもはローブ姿だったからな。とりあえず適当なところに座ってくれ」
「うん」
アヤメは俺から少し離れたベッドのはしにちょこんと座った。
そろえた膝の上に両手を乗せて、ぎゅっと握りしめている。
そうした緊張した姿を見ると、俺まで緊張してきた。
覚悟を決めたつもりだったのに、それでものどが渇いて言葉にならなくなる。
お互い無言の時間が続く中で、やがてアヤメが口を開く。
「えっと、それで、あの、大事な話って……?」
「ああ。そうだな」
緊張をほぐすため、軽く深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
「これは、本当はまだ話すつもりはなかったんだ。俺自身が怖くていえなかった。
でも、俺たちはもうすぐアウグストの城に向かうだろう。
門番だけであの強さだ。中にどんな奴が待ちかまえているかわからないし、アウグスト自身もかなりの強さを持っているかもしれない。だから、俺も無事で帰れるという保証はない」
「そんなこと……」
アヤメが言い掛けたが、俺はそれを遮った。
「いや、わかってる。俺だって死ぬつもりはない。でも、それは絶対じゃない。だから、もしもの場合に備えて、アヤメに大切なことを伝えないといけない。死んじまってからじゃ後悔もできないからな」
「大切なこと……?」
「本当はずっと前から気づいてたんだ。でもいえなかった。怖かったんだ。いうと今の生活を、アヤメを失ってしまう気がして」
「………………」
俺はアヤメの顔を見れずに、正面を向いたまま話していた。
アヤメの顔を見るのが怖い。
この期に及んでもまだ俺は勇気がもてなかった。
しばらく部屋の中に無言が続いていた。
時間が経てば経つほど決意がしぼんでいく。
別にいわなくてもいいじゃないか。このまま今の関係を続ければいい。なにもしなければなにも起こらないんだ。辛いことも悲しいことも、何ひとつ起こらない。黙っているのが一番楽なんだよ。
悪魔が逃げる理由を次々にささやく。
それを否定する理由を俺はなにひとつ持たなかった。
元々話すつもりはなかったんだ。だったら今日じゃなくてもいい。明日でもいいじゃないか。無理に今話さなくても、チャンスはまだいくらでも……。
「大丈夫だよ」
暗闇の中に優しい声が響く。
「ユーマ君がいうことなら私は何でもちゃんと聞くから。だから、大丈夫だよ」
となりを見なくても表情がわかるような、そんな声だった。
アヤメだって緊張してるはずなのに、それを押し殺して、大丈夫といってくれた。
それだけ俺を信じてくれてるということだ。
そういえば昔からアヤメには助けられっぱなしだったな。
小説に厳しい批評が送られて辛くなってるときや、ブクマ数が全然伸びなくてへこんでる時なんかに、俺を励ましてくれたのはいつもアヤメだった。
「そうだよな。逃げたってしかたないもんな」
臆病なアヤメがここまでいってくれてるんだ。
ここで勇気を出さなかったら男じゃない。
ダメならそのときはもうそのときだろう。
となりのアヤメを振り返る。
アヤメもまた俺のことをじっと見つめていた。
俺は覚悟を決めて口を開く。
「驚かないで聞いてほしい」
こくり、と真剣な顔がうなずく。
俺は一度深呼吸をして、気持ちを落ち着かせてから告げた。
「日本に帰る方法が見つかったんだ」