8 とりあえず死なせて下さい
更紗はベットの上でがばりと身を起こした。
(今何時!?一大事〜じゃなくてっ!)
確か今日は異世界に行く日では無かったのか。すわ遅刻か!?といつも時計を掛けている壁を見ると、思わずあれ、と言ってしまった。
いつもそこにあったはずの時計がない。というか、壁も無い。あるのは窓である。そこでやっと更紗は今自分が異世界にいることに気がついた。
「あー!焦って損した〜」
と、ぺたー、と布団に突っ伏すが、その数秒後、更紗はがばりと身を起こした。
「って、ああ!なんで私こんなとこで何を!?」
混乱のあまり、日本語がおかしくなってしまった。情けない。
そんなことはさておいて、自分はさっきまで応接室で話を聞いていたはずた。何故部屋のベットで寝ていたのだろう。まさかもう夜だったということは無い。外も明るいし、先ほど見つけた時計も12時を示していた。
「ど、どうしよ〜……ん?」
鼻を掻いた指先に何かが触れた。ティッシュの様なものが鼻に突き刺さっていて、それを引き抜くと淡い血の香りがする。
(鼻血…?)
鼻に突き刺さっていたティッシュは先が細くねじられており、少しだか血も着いていたのだ。
これを鼻血と疑わずして何を以て鼻血と言う。
とりあえず更紗は新たに血が流れて来ないことを確認し、何かメモ書きは無いかと部屋を捜索し始めた。
「はいここが大浴場。天然のかけ流し温泉だから、好きな時間に、好きなだけ入ってね。でも、始めに誰も入っていないことを確認してから!」
朔莎は朝顔の宮の中を説明して歩いていた。それにしてもツッコミ不在というのは恐ろしい。更紗がいたなら、なんで学生寮なのに天然のかけ流し温泉があるのかと問い詰めただろう。
ちなみに瑠璃、玻璃、祐仁の誰もツッコミを入れない。
瑠璃、玻璃の2人は前々から話を聞いていたので何ら違和感もなくその事実を受け入れることが出来た。それにこの2人は人見知りである。姉の朔莎の友人であっても、そんな他人の祐仁の前でツッコミは出来ないのである。
祐仁は基本的に動じない性格である。少しおかしいな、と思ってもまあいいかと流すのが彼なのだ。さらに朔莎のいる時には何があってもおかしくはないという意識が彼にスルースキルをもたらしていた。
「それじゃぁ…」
と、朔莎が切り出すと同時にピンポーン、と玄関のチャイムが鳴った。朔莎の顔が何故かさっと青くなる。
「ああああああっ!ああもうっ!ちょっとみんな待っててね、お客さんが来たから!」
とだけ言い残して、朔莎は玄関の方へ走っていった。
更紗は歩いていた。ただし左手を壁に当てて。
始め、先に館内を案内してるから探して来てね、と書いてあるメモ書きを見た時は殺意さえ湧いたものの、一旦捜索を始めるとそれは意外にも楽しく彼女は本来の目的を忘れ、朝顔の宮探検に精を出していた。
(しっかし…この地図は何なんだろう…)
更紗は右手に持った「朝顔の宮簡易地図」をちらりと見た。初めはトイレと玄関しか書いていなかったそれも、更紗の探検の成果でおおよその部屋や階段の位置が確認出来たようだ。
(なんでトイレと玄関だけしか書いてなかったんだよ…)
どちらも大切なものだか!行く経路が無いとたどり着けないと思うのは更紗だけではないと思う。
(いや、ひょっとしたら術的なあれでなんとかする奴かな…)
と、更紗が行く宛もない思考をぐるぐると巡らせていた時だった。ピンポーン、と目の前の扉が間抜けな音を立てたのだ。
「…あれ?」
なんでチャイムが聞こえんの…?
彼女の調査が正しければ、そこは温室の扉のはずなのに…
と、硬直していた更紗だか、はっと我に帰り、地図を修正しはじめた。
「えっと、朝来た時はここに応接間があって……」
ピピピピピピピピピピピピピンポーン
ちょと待て、うるさい。
更紗は余りにもチャイムがうるさいので一旦扉を開けて注意することにした。
(あ、でも開けていいのかな…一応他人の家だけど…)
一瞬迷ったが、ガラッと玄関を手が勝手に開けてしまったんだから今更遅い。
「やあ、朔莎…っと」
ところが、玄関にただずむ彼の姿を見た途端、更紗の心臓は嫌な音をたて始めた。
(いやだ、いやだいやだいやだいやだいやだいや━━)
嫌悪とも、恐怖ともつかない感覚が更紗を支配する。
「君、大丈夫?…あぁ、そうか」
彼が笑みを深める。
嫌でどうしようもなく目に入れたくないのに自然と観察してしまうのは更紗の癖だった。
(銀髪に、赤みがかった黒い目、身長は170より少し、上…?)
理性と感情と本能がせめぎ合う。
思考があちこちに飛んで定まらない。
( …気持ちが、悪い)
「君が、もう1人の━━━」
とにかくこの場から離れたかった。
「星━━」
「望月さん、そんなにチャイム鳴らさなくても分かりますから」
更紗は自分でもすっと呼吸が楽になるのを感じた。何故かは分からないが、状況的に見て朔莎のおかげと見て良さそうだ。ありがとう!月華━━━じゃなくて、朔莎さん?妹ちゃんもいるからなぁ…と、またどめどなく現実逃避をしていた更紗だか、それにも限界がある。
更紗は改めて目の前から斜め右に移動した青年を見た。しかし更紗はその事により腰を抜かすことになる。
「朔莎、つれないじゃないか。僕がこんなにも君のことを思って……」
「それなら爆ぜろこの変態」
かっと、更紗の顔が赤くなった。
こっ!こっ!この声は!我が親友の大好きな声優さんの声ではないか!銀髪のめっさ強くて変態な物語の鍵となるとんでもない吸血鬼…!
(はっ!しかも髪色かぶってるし!変態らしいし!)
キャラ被ってるよ…ッ!!と更紗は危うく意識を飛ばしかけた。
その時、ふらっと傾いた更紗の体を誰かが支えてくれた。