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地上に眠る蒼穹~Celeste blue~  作者: ZAKI
第1部 スラム編
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第21章 工場排水路(1)

 ひとりの少年が、薄暗い路地を歩いていた。

 口許を引き結んだ表情は硬く、緊張に蒼褪あおざめていた。

 黙々と歩きつづけるその周囲を、ただ、静寂のみが取り囲んでいる。かたい決意を両眼に湛え、隘路あいろを抜けた先に、思いのほか開けた空間がひろがった。

 かつて、倉庫として使われていたらしき建物。少年は、意を決して内部に足を踏み入れた。


「ゾルフィン」


 近づいた少年の呼びかけに対し、複数の取り巻きに周囲をかためさせた人物が物騒な視線を向けてきた。わずかに怯んだものの、少年はなんとか踏みとどまり、相手を睨み返した。

 反抗的なその態度に、ゾルフィンは嗜虐しぎゃくを漂わせる笑みをニタリと口唇くちびるに張りつかせた。


「どうかしたか、同士?」


 悪意を音にしたら、こんな感じだろうと思わせる声音こわねだった。だが、少年も必死だった。


「話が違う」

「話? そりゃなんのことだ? おまえとなにか、話をしたか?」


 ボスに迎合する笑い声が、たちまち周囲からあがった。


「人質はすぐに返してくれる約束だったはずだ。あいつをどこへやった?」

「さっきからなに言ってるんだ、同士? 言ってる意味が全然わからねえな。俺がおまえと、なにか約束したか? 人質ってのは、いったいなんのことだ?」


 ゾルフィンは、あくまでとぼけた様子ですぐ横にいた側近に「なあ?」と同意を求めた。側近の少年も、当然のことながらボスの味方につき、しらを切る。弱者をいたぶる彼らの瞳に、残忍な光が宿っていた。


「相手は重傷を負った怪我人だぞ! ムチャな真似したら、すぐに死んじまうかもしれねえっ。頼むゾルフィン、あいつを返してくれ。あんたの目的はシヴァだったはずだろ? だったら、もういいじゃねえか。あいつはとっくに用済みのはずだろ?」


 くいさがる少年を見つめるゾルフィンの双眸に、不意に凶暴の二字が閃いた。


「ごちゃごちゃごちゃごちゃとうるせえんだよっ!」


 手にしていた缶を、ゾルフィンは少年の顔面めがけて思いきり投げつけた。咄嗟に腕で庇ったものの、飲みかけの発泡酒が少年の顔にかかり、少年から注意力と視界を奪った。ゾルフィンはすかさず間合いを詰めて少年を殴り飛ばすと、倒れたところへ幾度も加減なしの蹴りをぶちこんだ。


「なにが約束だ。ガキの戯言たわごとじゃあるめえし、てめえと指きりしたおぼえなんざ、これっぽっちもねえんだよ。第一、肝腎のシヴァってのはどこにいんだよ、ええっ!? ちゃっかりおまえらお仲間のところへ戻っちまってるんじゃねえのか? それでよく、そんな口が利けるな。約束が聞いて呆れるってもんじゃねえのか、おい」

「そ、んなの、は、オレの責任じゃねえだ、ろ。あいつをしっかり、捕まえておけなかった、あんたの力不足……グハッ!」


 鋭く飛んできた爪先が胸にくいこみ、少年は口から鮮血を撒き散らして、床に転がったまま躰を深く折り曲げた。


「いい根性だ。この状況で俺に楯突く貴様の度胸だけは認めてやろう」


 冷ややかに少年を見下ろして、ゾルフィンは言い放った。


「だがな、俺はいま、ちょっとばかり虫の居どころが悪くてよ。てめえの無礼千万を笑ってゆるしてやる気にゃ到底なれねえのよ。シヴァのヤロウを取り逃がしたのは俺の力不足だと言ったな? ああ、そうだ。まったくもってそのとおりだよ。所詮、俺が甘ちゃんだったのさ。『あのヤロウ』を俺は少々見くびってた。奴に先にとどめを刺しておかなかったのは、俺のミスだ。とんだ誤算だったのさ。奴があの場に現れるとは思いもしなかった。あんなに早く動けるとは、思っちゃいなかったからな」


 なんの話をしているのか、少年にはまるで理解できなかった。だがゾルフィンは、はじめからそんなことに関心を払っていなかった。


 ――フィリス・マリン。

 かつて、自分が《メサイア》などというちっぽけなグループのナンバー・ツーでしかなかったころに知り合った、内務省の高官。



「おまえにチャンスをくれてやろう」


 あからさまな蔑みのこもった態度で、野良犬に施しでも与えるように男は多額の金を放り投げてよこした。まるで、残飯でもばらまくかのように。ならば自分も、利用できるうちは最大限に利用してやろうと思った。


 腐りきった世界。生きる価値すらないクズの寄せ集め。粗暴さのみで雑魚ざこ連中を従え、少し持ち上げてやっただけで天下をとった気になっていた、『ボス』という名の愚鈍の権化。


 暗愚の極みともいうべき連中のみが溢れかえる掃きだめで、うんざりする日々の中、ただ独り、孤高を気取って目映い耀きを放つ目障りな存在があった。

 腐敗と荒廃が蔓延する澱んだ空気に犯されることのない光輝が、どうしようもなく癇に障った。


 ルシファー――


 あの目障りな光を地に引きずり下ろし、泥濘でいねいにまみれる屈辱の中で、鼻持ちならないプライドを引き裂いてやりたい。


 残忍な衝動は、すぐさま憎悪となって膨れ上がり、それは明確な目標となった。

 目的を遂げるため、必要な権力を手に入れ、のしあがっていくうえで、マリンはじつに都合のいい金蔓かねづるだった。これまでは。だがもう、その必要はない。それどころか、邪魔にすらなってきたところだった。そしてそれは、向こうでもおなじ認識だったに違いない。利害関係を断ち切る意思を行動によって示したのは、あの男のほうだったのだから。それも、充分な取引価値があると見込んで手に入れた人質を、横合いからかっさらうという、もっとも卑怯な手段によって――



「頼むゾルフィン、人質を返してくれ……」


 床を這いずって、なんとか取りすがろうとする少年の頭を、ゾルフィンは無情に蹴って踏みつけた。


「しつけえヤロウだな。そんなん俺の知ったこっちゃねえって言ってんだよっ。てめえ、頭がよえーんじゃねえのか? バカのひとつおぼえみてえに人質、人質ってよ。そのまえに、テメエの生命の心配したほうがいいんじゃねえのか。なあ、おい」


 頭を踏みつける足にぐいぐいと力をこめられて、少年は呻いた。


「いいか、何遍も言うようだが、俺はしこたまムカッ腹立ててんだよ。そんなにあのガキが大事なんだったら、はじめっから取引の材料なんぞに使うんじゃねえっ。俺だってな、あんとき、あのクソいまいましいキツネ野郎が裏切りさえしなきゃ、いまごろ予定どおりにルシファーの無様な屍体眺めて、勝利の祝杯あげてたはずだったんだよ! 俺は人生最大のしくじりを死ぬほど後悔して、はらわたが煮えくり返ってどうにもならねえんだよっ! フィリス・マリン、あの政府の公僕いぬだけは絶対に生かしちゃおかねえっ」


「なるほど、詰めが甘いのは相変わらずだな、ゾルフィン」


 嘲弄を含んだ張りのある美声に、ゾルフィンは蛇のような目をすっとすがめた。その足もとめがけて閃光が貫く。間一髪でそれをかわしたゾルフィンは、あらためて倉庫の入り口に立つ人物に凶悪な視線を向けた。


「汚ねえ足を、俺の手下からとっととどけろ」

「ルシファー…ッ! てめえ、どうやってここにっ」

「ボスッ!?」


 ゾルフィン以上に、みずからのボスの出現に驚愕した少年だったが、ルシファーはあくまで平静そのものだった。

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