第20章 戦闘開始(4)
自室のコンピュータで作業をしていたルシファーは、来客の旨を告げられて、《セレスト・ブルー》の格納スペースへと足を運んだ。
「よう、ルシファー。どてっ腹に風穴空けたってわりにゃ、存外元気そうじゃねえか」
スラムの覇王に向かって磊落に笑ったのは、《黒い羊》のボス、ラフであった。
「残念ながら、腹の銃創は未貫通だ。風通しは甚だ悪いが、おかげでこの程度で済んでるよ」
ルシファーは鷹揚に受け応えて、ラフの背後に視線を移した。
「で、首尾はどうだ?」
「それを俺に訊くか? そいつは魚に泳ぎかた、鳥に飛びかた、女に口ゲンカのしかたを教えるようなもんだぜ」
ラフは自信満々に応じて、1歩わきへ退いた。
現れたのは、目映いほどに青く輝く、しなやかで優美な車体。
1週間ほどまえ、《旧世界》の外で乗り捨てたはずの、ルシファーの愛車であった。
「ま、じつのところ、今回ばかりは結構苦労したけどな」
無言で近づいて、新車同様に生まれ変わった愛車のボディに触れたルシファーに、ラフは片目を閉じた。
「こいつを捜し出して作業場に運びこんで、あんたの注文どおりにマシンを復活させるまでにたったの一昼夜。我ながら、神の領域に達したんじゃねえかと寒気すらおぼえる超人ぶりだったぜ」
「ああ、予想以上のできだ。俺が憶えてるかぎり、車体の破損だけでもかなりのものだったはずだ」
「たしかにな。見つけ出したときゃ、ボロボロ通り越して殆ど廃車、みすぼらしいもいいとこだったぜ。ま、そんなもんは部品さえ取っ換えちまえば、どうとでもなるがな。本体のCPUがかろうじて復元可能な状態で活きてたのが倖いしたな。でなきゃ、さすがの俺も、微調整に手間取ったろうよ。天下の《ルシファー》仕様の単車ともなると、調整が微妙すぎていけねえ。あんたの技術に、充分応えるだけの性能が要求されるからな」
「それほどご大層なもんでもなかろう」
「路地や間道を時速150キロ、ノー・ブレーキで平然とぶっとばす怪物がか?」
ラフのツッコミを、ルシファーは涼しい顔で受け流した。
「で、そっちの手筈はあらかた整ってるのか?」
「これでほぼスタンバイOKだ。スラム内のセキュリティは、すべて解除した」
ルシファーのセリフに、《黒い羊》のリーダーは、称讃の中に2割方の警戒を滲ませた表情で口笛を吹いた。
「よくまあ、そういう恐ろしげなことをサラッと言ってくれるもんだ。あんた側でよかったと、つくづく実感させられるぜ。外部操作であっさりそんなマネされたんじゃ、とてもじゃねえが太刀打ちできねえ」
「安心しろ、味方のセキュリティは維持させてある」
「なお油断がならねえな。おっかねえ、おっかねえ」
軽口に本音をまぎらせて、ラフは首を竦めた。
「小リスはまだ見つからねえんだろ?」
「小リス?」
「あのジャーナリストさ。小リスみてえにチマっこくて元気がいいだろ」
説明されて、ルシファーは「ああ」と苦笑した。
「翼はまだ行方知れずだ」
「《自由放任》の手下ども俺に押しつけて、ジュールのヤロウが一昨日からドロンパしたっきりだが、それもあいつ絡みか?」
「奴にはいま、ちょっとした調べものをしてもらっている」
「それはそれは」
ラフは軽く肩を竦めた。表情の中に、不要領な説明に対する非難を暗にこめつつも、殊更深く追及する気はないようだった。
「いい仕上がりだ」
ルシファーも詳細を語ろうとはせず、満足げに生まれ変わった愛車に触れてエンジンをかけた。
「言っとくがな、こいつは俺がいままで手がけたマシンの中でも最高の傑作品だ。はっきりいって、レース用にチューンナップされたバイクなんざ目じゃねえ。こいつに比べりゃ、子供のおもちゃ同然だ。制御装置、速度、安全装置、耐久性、そのどれをとっても非合法に入手した備品とシステムを搭載して、限界ギリギリまで設定してある。あんたのライディング・テクニックがあってはじめて本領を発揮できる――ひらたく言や、あんた以外のだれにも乗りこなせねえ、厄介で危険な代物だ。それだけに、あんたにとっちゃ、これまで以上に最高の相棒になるだろうがな」
滔々と述べたあとで、ラフは表情と口調を一転させた。
「だがな、これだけは言っとくぜ。あんたの注文どおり、遠隔操作機能に加えて超加速機能と消音装置もシステムに組みこんだが、あとのふたつに関しちゃ、両方いっぺんに作動させるのは厳禁だ。それから、消音機能を作動させたまま、長時間フルスロットルでエンジン全開にして驀進するのもなしにしてくれ。時速200キロ以上出したら15分、それが限度だ。それを超えると、動力部に負担がかかりすぎてメイン・システムがイカレちまう。駆動部、心臓部より先に、間違いなくCPUがパーになる。そうなりゃお手上げだ」
「わかった」
必要なデータを入力しながら、ルシファーは頷いた。
その態度をおざなりと思ったのか、一瞬口を噤んだ天才メカニックは、がっしとばかりに相手の腕を掴んで乱暴に引き寄せ、迫力満点に凄みを利かせて念を押した。
「いいか、ほんとのほんとにやるなよ。絶対だぞ。でなきゃ、生命の保障はできねえかんな」
「わ、わかった」
さすがのルシファーも、これにはたじたじになって両手を挙げた。と、ちょうどそこへタイミングよく、データを読みこませたばかりのバイクの通信機が通知音を鳴らした。
通信画面に視線を走らせたルシファーの双瞳に光がよぎる。
「ラフ、戦闘開始だ」
不敵に言い放って、ルシファーはその場でパネルを操作した。
ボスの呼び出しに応じて画面に現れたのは、グループのナンバー・スリー、金髪のデリンジャーだった。
「はあい、あなたの心の恋人デルちゃんをお呼びかしら? ボス……と、あら珍しい、ラフじゃない」
「よお、デリンジャー。相変わらずオカマそうだな」
「しっつれーね、なにその言い種。簀巻にして、男に飢えたオールドミスの池に放りこんじゃうわよ!」
《黒い羊》のボスの暴言に、デリンジャーは気合十分で応戦して相手を喜ばせた。
「デル、ビッグ・サムと一緒に《東風門》方面の一角に仕掛けをしたのはだれかわかるか?」
「《東風門》の一角? あの港湾北第1ブロックの南寄りにある廃工場周辺のこと?」
「そうだ」
「それだったら、《ブラッディー・サイクロン》のディックだったと思うけど。ほら、あの豆台風みたいな子」
言われて、ルシファーは得心したように頷いた。
「いますぐ奴に呼び出しをかけろ。30分以内だ。デル、おまえはこれから転送する市街図をスクリーンに表示させてそのままディックと待機。あとでこっちから連絡する。他のメンバーは、万一の敵襲に備えて警戒にあたらせとけ。采配はおまえに任せる。それから、なんかあってもシヴァには声をかけるなよ。あいつはいま、別件で動いてる。作業を中断させたくない」
「了解」
通信が切れると、ラフは思わせぶりにルシファーに笑いかけた。
「段取りは、こないだの打ち合わせどおりってことでいいんだな?」
「ああ、思いっきり派手に暴れてくれ」
「OK、ボス。任せときな」
肉食獣を思わせる獰猛な気配を漂わせて、ラフは応諾した。




