第20章 戦闘開始(3)
「狼、《玄武》と《甘い生活》がやられた」
司令部に入った通信を受けて、刹が静かに告げた。腕を組んでモニターを睨んでいた狼の眉間に、深い皺が寄る。
「――被害は?」
「戦闘にあたっていた37名中20名が負傷、死亡者は6名。敵の損害は、1割程度のようだ。公安は掃討戦を見送って、港湾南第5ブロックから第3ブロックの南東まで一時撤退した模様。どうする? 《フェアリー・テイル》あたりにでも増援を命じて、残存メンバーに追撃させるか?」
「いや、もう遅い。それより、自力で戻れない負傷者の収容にあたらせろ。それと第5ブロックのチャイナタウン、D1からG3にかけて、バリケードの修繕とトラップを仕掛けなおす」
「わかった、《紅蓮》と《ビスマルク》にそれぞれあたらせる」
刹は、すぐさま通信を介して配下に指示を出した。
室内を、重苦しい空気が覆う。居合わせた側近の少年たちは、不安げにそれぞれのボスの様子を窺っていた。
「これで49人が鬼籍入り、か。とすると、すでに2割近い被害が出たことになるな」
眉間に深い皺を刻んだまま、狼は唸った。
軍との本格的な交戦が始まって、およそ2週間。
海辺での一件から、刹が翼を保護する役目は保留となり、1週間前から《夜叉》も戦闘に加わっている。《没法子》、《夜叉》双方の麾下が集まり、戦力は300名近くまで増強された。そしてそのぶん、敵と衝突した際の火花は熾烈で、被害も甚大となった。
地形、戦力、攻撃力、指揮系統等のデータの詳細。
数度にわたる小競り合いから必要な情報を入手した軍は、それらをもとに作戦を立てなおし、新たに戦力補充・部隊再編制を行ったうえでスラム側に総攻撃を仕掛けてきた。
戦闘能力、技術、統制力、兵力、武器の性能。いずれの点においても、特殊訓練を積んだプロの組織集団と素人及び元軍在籍者の混成集団とでは格段の差異が生じてしまう。戦闘が長引くにつれ、狼たちは徐々に劣勢に追いこまれていた。
ゾルフィンとの決戦を控えたこの時期、《セレスト・ブルー》の拠点がある港湾北第7ブロックへの軍の侵攻は、なんとしてでもくい止めなければならなかった。
「おい、どうするよ」
険しい表情でモニターを凝視したまま、狼はすぐ後方の人物に意見を求めた。ところが。
「いやあ、ロイスダールもやっぱプロだったんだなあ。マジギレすると、結構やるやる」
状況にそぐわぬ暢気な発言に、スラム側の総指揮にあたっている《没法子》のボスは、とうとう堪忍袋の緒を引きちぎられた。般若のような形相で発言者を顧みたそのこめかみに、いくつもの青筋が浮き上がった。
「感心してる場合かっ! なんだってこんなときにアホ面さげて余裕ぶっこいてやがる!! 貴様の元上官だろがっ。頭のネジゆるめきって見物人決めこんでねえで、核弾頭の1発もぶっ放してみやがれっ、この腐れ軍人!」
配下の少年たちは、その剣幕に畏れをなして首を竦めた。『腐れ軍人』の部下たちも、恐れ知らずの罵言に、自分たちの上官がいつキレるかと、ひやひやしながらなりゆきを見守っている。が、罵声を浴びせかけられた当の本人は、さして気にもとめず、飄然と聞き流して銜え煙草でそっくりかえっていた。
「物騒だな。そんなんやめたがいいぞ、碌なもんじゃねえ。百害あって一利なしだ。内容そのものは地球環境によくねえし、イライラはお肌によくねえしよ」
「やかましいっ、だれが元凶だっ! 肌の心配なんぞしてる場合じゃねえ!」
「まあそうカッカしなさんなって。怒鳴ったところで戦況が変わるわけでもあるまい」
「ほーお、そう言って落ち着き払ってるからには、むろん妙案があるんだろうな?」
「ありゃ苦労はしねえわな」
「この……っ」
「ストーップ!」
寝不足の目を血走らせ、狼が拳を振り上げたところで、傍らにいた《夜叉》のトップが見かねてふたりのあいだに割って入った。
「落ち着け、バカ。おまえが興奮してどうする」
なだめながら目配せをして、居合わせた者たちを下がらせる。全員が退室して3人だけになると、刹は狼の胸のまえに出していた腕を下ろし、抑止を解いた。怒気を殺がれて、狼もまた椅子に座りなおす。そして、深々と大息を漏らした。
「気持ちはわかるが、あまり感情的になるな。かえって皆の不安を煽るばかりだ」
「わーってるよ」
相棒に諌められて、狼は投げやりな調子で返事をした。
「だいたい、あんたが悪ィんだぞ。わざと挑発なんかすんだからよ」
振られて、ザイアッドはニヤリと笑った。
「ストレス溜めこんでちゃ躰に毒だぜ。ただでさえ神経すり減らしてんだからよ。ひとりで全部抱えこんでると、視野狭窄に陥るぞ」
「余計なお世話だ。だれのせいだよ、ったく。増援頼みにセレスト行かせたってのに、カラ手で戻ってきやがって」
「しかたねえだろお、向こうは向こうで、人質とられただのなんだのってえらい騒ぎんなってて、相談持ちかけられるような雰囲気じゃなかったんだからよお」
「チッ、このエエカッコしいが」
「おまえだって人のこと言えるか。そのまえ行ったとき、やっぱりなにも言わねえで引き返してきたくせに」
「あれは……っ! 肝腎のルシファーが大怪我してて、とてもまともに話せる状況じゃなかったから……」
不毛な言い合いに虚しさをおぼえ、狼は言葉尻を濁して首を振った。
「いまさら済んじまったこと、とやかく言ったってはじまらねえ。もちっと建設的な方向で話を進めようぜ」
「賢明だ」
狼の意見に刹が賛意を表した。
「とにかく、いま、いっとう深刻な問題は、これ以上の援軍を味方から期待できそうにねえってことだ。ラフやジュールは、別件で動いてんだったな?」
「という話だ。《北風門》からの敵の侵入に備えているはずだ」
「……これだけ戦力に差があるうえ、兵隊の数も400近くそろえてる軍に比べりゃ圧倒的に足りねえ。兵力不足をうまく補う方向で、なんとか公安と互角に張り合える戦略を考え出さねえと」
《シリウス》の全滅は、ルシファーにとってだけでなく、狼たちにとっても大きな痛手となっていた。せめてビッグ・サムだけでも健在であったなら。言っても詮ないこととわかっていながら、その存在の亡失が悔やまれてならなかった。できるなら、ビッグ・サムの助勢をこそ請いたいと狼は望んでいたのだ。その戦力と工作技術に関して、狼は、ビッグ・サムに絶大なる信頼と敬意を寄せていた。こんな早い段階で、彼があっさり舞台を下りてしまうなど、想像すらしていなかったのだ。
口に出さずとも、焦慮というかたちでザイアッドに感情をぶつける狼の心中が察せられるだけに、刹の思いは複雑だった。
「《シリウス》直属の配下だけでも戦闘員として動員してみるか? 《ブラッディー・サイクロン》、《波濤》、《無敵艦隊》、《ギブリ》、《自己愛》……。百単位そこそこは集まると思うが」
「──いや、やめておこう。俺ひとりじゃ、おそらく奴らを御しきれねえ。その点、ルシファーとじゃ器が違う。第13部隊とだって、いきなり仲良くやれと言われたところで、奴らも折り合いをつけるのは難しいだろう。規模だけでかくなっても、統制に欠くようじゃ話にならねえ」
「ならば、どうする?」
たたみかけるように問われ、狼は一瞬口を噤んだ。が、その表情を見るかぎり、言葉に窮したわけではないらしかった。
「ロイスダールってのは、どんな男だ?」
刹への回答を保留にしたまま、今度はみずからが設問する側にまわって元部下に情報提供を促した。ザイアッドは、即座にそれに応じた。
「戦いっぷり見りゃ、おおかたの予測はつくだろうが、神経の細けえただの小心者よ。実戦指揮ひとつとっても、まず理論から入る頭でっかちの理屈屋だ。時代遅れの旧式の脳構造してるくせ、自意識とプライドだけはやたら過剰。頭が固いぶん、応用は利かねえな」
元上官に関する悪口なら、いくらでも出てくると言わんばかりに、にべなくこきおろす。そして、最後にこう付け加えた。
「ま、どっちにしろ俺の敵じゃねえな。気がちいせえ、器がちいせえ、××××がちいせえ。三拍子そろっちゃ、オス失格だぜ」
カカカと豪快に笑う男を、狼は呆れ果てた表情で見つめた。
「──そのセリフ、シヴァのまえで言えたら褒めてやるよ」
一拍置いて狼がそう口にすると、ザイアッドはたちまち大きく噎せかえって派手に咳きこんだ。
「なっ、なんでそこであいつの名前が出てくるっ!?」
「べつに」
肩を竦めてそっけなく返したのち、狼は態度をあらためて本題に引き戻した。
「で、結局あんたは、奴のそういう性質を逆手にとって、形勢をひっくりかえそうと企んでると。そういうことでいいんだな?」
「なんの話だ?」
「とぼけんなよ、俺の眼、誤魔化せると思うな。ここ何日か、あんたの部下の中で姿を消したきり見かけねえ顔が二、三ある。あんたが俺らにも内密で動いた証拠だ」
「あらら、やっぱ気づいてたか」
男はあっさり降参すると、事実を認めた。
「で? 当然、勝算はあるんだろうな?」
「ま、そこそこに。そっちは気にせず、いままでどおりやっててくれ」
「期待してるぜ」
たいして気のない様子で応じてから、狼は傍らの相棒に向きなおった。
「刹、こっちも少し戦法変えてみるか」
「そのほうがいいだろう。連中が正攻法を好むなら、その裏をかいてみるのも手かもしれない」
「そうなるな。いまイキてる機動力をフルで展開させるとなると、それぞれの役割分担を変える必要が出てくるんじゃないか?」
「いくつかパターンを出してみることにしよう」
今後の方針に関するやりとりを刹と打ち合わせながら、途中、狼は声のみを後方の男に投げかけた。
「おっさん、うるせえこた言わねえが、ある程度駒が出揃ったら、きっちり俺らにも説明しろよ」
「ガッテン承知之助」
信頼度の薄れる応答で場の締まった空気を台なしにしてから、男は座を立った。




