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地上に眠る蒼穹~Celeste blue~  作者: ZAKI
第1部 スラム編
9/202

第2章 フリーカメラマン(3)

 レオナ・イグレシアスはその後、内務省管轄の警衛当局と事件処理そのものを取り扱った警察局を訪れ、事情の詳細と翼の容態についての説明を受けた。


 現れた人物の予想外の迫力に、よほど圧倒されたのだろう。公人たちはそろって相手の顔色を窺いながら、ご都合主義的な言い訳を重ねるという愚を犯した。説明を受ける側が、そのあまりの不明瞭さと不甲斐なさに不快を募らせたことは言うまでもない。結果、地上勤務を拝命してこの場にいるえ抜きのエリート官僚らは、取材旅行にやってきただけの民間人ひとりにそろって無能のレッテルを貼られ、容赦なくその不手際を譴責けんせき、糾弾されることとなった。


 官の対応のことごとくが業腹ごうはらだったほうにしてみれば、溜まりに溜まった憤懣がそれでおさまるはずもない。その足で入院中の相方を見舞った赤毛の女傑は、頼りない青年の顔を見るなり抑えてきた怒りを爆発させた。ゲイリー事務官は、その時点でとうに接待及び案内役を解任されていた。



「まったく信じられないよ、ほんとに! 仕事柄あちこちでいろんな噂耳にするけど、あんたみたいな大バカヤロウの話なんざ、ついぞ聞いたこともないっ。あんだけ口を酸っぱくして注意しておいたってのに、着いてものの5分もしないうちにそのざまとはね。その耳は飾りかっ。にわとり以下だよ、にわとり以下! まったく、これだからお育ちのいい坊ちゃんてのは……。これからあんたの面倒をひと月も見なきゃならないかと思うと、あたしゃつくづくうんざりするねっ」


 官をまえにしたときの威厳など完全に吹き飛ばし、女カメラマンは赤毛を逆立てて感情も露わに噛みついた。

 叱責を受ける翼は、言われることがいちいちもっともであるうえ、真実、自分の身をおもんぱかっての罵言であることをよくよく痛感していたため、なにを言われても素直に受け止め、らぬ心配をかけてしまったことを心から詫びた。


 気の置けない間柄で、互いに「レオ」「翼」と呼び合う彼らであるが、実際のところ、ふたりがコンビを組んだのは今回がはじめてのことである。しかも、つい半月ほどまえに社を通じて引き合わされたばかりで、双方ともに、それが初対面だった。


 スケジュールの詳細が確定したあとも、取材に同行するカメラマンは容易には見つからなかった。会社側は、人選に相当難儀したという。翼の命ぜられた任務が、如何に危険であるかの証左といえよう。最終的に、社の意向と条件に適う人材として、フリーで活躍するカメラマンに白羽の矢が立てられた。その人物こそが、レオナ・イグレシアスだったのである。

 腕はたしかだが、多少癖のある人物である。当初、上からそのようにだけ聞かされていた翼は、実際に現れた人物を目の当たりにして、その強烈なキャラクターに唖然としたものだった。


 指定時間に20分ほど遅れて社会部へやってきたその人物は、シルバーメタルのフルフェイスのヘルメットを片手に、同色の革のつなぎとブーツという、良識ある社会人というにはいささか突飛な出で立ちでその場の注目を攫った。そしてさらに、その性別が女性であることで全員の度肝を抜いた。

 威風堂々たる存在感に皮肉と諧謔かいぎゃくを含んだ印象的なグレーの瞳。ミーティング・ルームに場所を移動してふたりになったはいいが、翼はすっかり気迫負けして会話の糸口を見つけ出せず、途方に暮れた。



「173、57、68」


 不意にそんな言葉で沈黙を破られ、我に返った翼は面くらって顔を上げた。途端に、おそらくはずっと自分を観察していただろう、やや無遠慮な視線とぶつかった。一瞬たじろいだ翼は、おそるおそるき返した。


「……あの、なにか?」

「べつに。身長と体重とウエスト、大体そんなとこかと思って」

「あ、はあ……」


 話の趣旨がうまく呑みこず、翼は間の抜けた表情で相手を見返した。


「男にしちゃ華奢きゃしゃすぎるね。もっとも、こっちは担ぎやすくていいけど」

「担ぐ? 担ぐってなにをですか?」

「もちろん、おたくを」

「だれが!?」

「あたしが――って、あれ? もしかして聞いてない?」


 心底驚愕した翼に、今度はレオナ・イグレシアスのほうが拍子抜けしたようだった。数瞬押し黙った後、彼女はやれやれと溜息をつくと、乱暴に髪の毛を掻き乱して面倒くさそうに言った。


「つまりさ、ガキのころの夢は格闘家だったんだ」

「あ、はあ……」

「だけど、いまのご時世、そんなんじゃ飯は食ってけないし、じゃあ、なにがやりたいかっていうと、ほかに興味が持てるのは写真ぐらいしかなかった。だからこの道を選んだわけなんだけど、フリーでそれなりに稼ごうと思ったら、結構ヤバい橋も渡らなきゃならなくてね。だったらいっそのこと、もともと自信のあった腕っぷしのほうも磨いちまえってことで、武道を極めたカメラマンを目指したわけ。その辺の写真撮るしか能のない、軟弱な奴らみたいなんじゃなくてさ。で、現在に至ったと」

「はあ……」


 いきなりそんなことを説明されても、翼にはなんのことだか皆目かいもく見当もつかない。曖昧に相槌を打つと、相手はますます面倒くさそうに顔を蹙めた。


「だから、そういう人間とコンビ組まされたってことは、その相方――つまりこっちは、ただのカメラマンてだけじゃなくて用心棒でもあるわけだよ、おたくの。わかる? ボディガード。会社もバカじゃないからね。一応社員であるあんたの身の安全のために、あたしっていう保障をつけといたってわけ。だからなんかあったとき、あたしはおたくをまもるし、いざというときには担いで逃げると。ま、そういうこと」


 勝手に結論づけられても、はじめて聞かされるほうにしてみれば、そう簡単に納得できるものではない。あっさり説明された内容がことのほか深刻であったため、翼はようやく表情をあらためた。


「ミズ・イグレシアス、つまりあなたは、今回の仕事のほかに、僕の身の安全も護らなくてはいけないわけですか?」

「まあ、なんかあったときはってことだけど。なに? おたく、もしかして、女に護られるなんて冗談じゃないってタイプ?」

「いえ、そうじゃありません。ただ、それでなくても危険な仕事ですから、そんな負担まで背負うこともないんじゃないかと」

「そのぶんギャラがいいからね。そのくらいはしかたない」

「でも、危険すぎます」

「なるほど。ようするに、女に務まる仕事じゃないと」


 率直に返されて、翼はしどろもどろになりながら、やっとのことで言葉を選んだ。


「いえ、そういうことではなくてですね。あの、べつに男とか女とか、差別するつもりはないんです。僕とあなたとでは、どちらが体力、運動機能面で優れているかといえば、それはもう、あえて比べるまでもないことくらい、自分でも判断はできますから。ただ、なんていうかその、僕は自分でも情けなくなるほど運動神経が鈍くて腕っぷしも弱いんで、おそらく、あなたが考えている以上にあなたの足手まといになると思うんです。そうなると、その、自分のことはしょうがないとしても、あなたに必要以上に負担をかけて巻きこんだ挙げ句、とばっちりがいく可能性も充分予想されるわけでして……」

「なるほど、トロくさいという自覚はあるわけだ」

「は、はあ。それはまあ、一応、それなりに……」


 翼はいくぶん頬を赤らめて認めた。


「いいことだ。己の力量を知ってるってことは、それ以上のムチャをしないってことだからね。人間、だれしも向き不向きがある。できないことは最初からしないほうがいい」


 断言するとともに女カメラマンは頷き、不意に真っ正面から翼を見据えた。


「で、ひとつ訊いておきたいんだけど、もし、そういう万一のことがあった場合、自分が助かるとしたら、相棒と仕事、おたくならどっちを優先させる?」


 核心を突くその質問に、翼は一瞬言葉を詰まらせた。

 はらくくって今回の取材に臨む翼には、むろん考えるまでもなく、はじめから回答は出ている。ただし、パートナーとの関係を考慮に入れるなら、正直に答えるべきではないのだろう。だが、躊躇ためらった末、彼は結局、素直な心情を口にした。


「……仕事、を」


「それは会社のため?」

「いえ、あえて言うなら、僕自身のちっぽけなプライドと自己満足のためです」


 結局、そのひと言が、ふたりの距離を縮めるきっかけとなった。

 おもしろそうに、しかし鋭い眼差しで翼を観察していたレオナ・イグレシアスは、瞬間押し黙り、直後、豪快に吹き出して愉快そうにバンバンとテーブルを叩いた。カップの中のコーヒーが飛び散って、テーブルの上に点々と焦げ茶色の染みをつくった。


「いいね、気に入った! 見た目は軟弱そうだが、芯は一本入ってる。それも、とびっきり頑丈でぶっといやつが。ほんとは気に入らない奴だったら引き受けないつもりだったんだ。社命でしかたなく、なんてふざけた奴ァ願い下げだと思ってた。でも、あんたが相棒ならいいね。こっちから名乗りをあげさせてもらおうか」

「え、あの……」

「なに、心配ない。おたくひとり護るくらい、あたしにはなんでもないことだ。大船に乗ったつもりで任せときな」

「ミ、ミズ……」

「あー、なしなし、そんなかたっくるしい呼びかた。第一ガラじゃないだろ。レオでいいレオで。仲間内では、その呼び名でとおしてる」

「レオ?」

「そう、『獅子レオ』。たてがみみたいだろ?」


 磊落らいらくな相棒は、自慢げにおさまりの悪い、燃えるような赤毛を指し示した。そして、


「ここだけの話だけど、もうひとつの由来は、素手でライオンを倒したことがあるからなんだ。野生保護区から脱走したヤツが、いきなり襲いかかってきたんで、思わずバーンとね。もちろん失神程度だったけどさ。ちまたでは結構有名な話なんだけど、聞いたことなかったかい?」


 硬直する翼などおかまいなしで、茶目っ気たっぷりに笑った。


 以降、彼らは良好な関係を築いている。

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