第19章 永遠(とわ)の祈り(2)
男たちの急追は巧緻を極めた。
獲物を狙う肉食獣のように、彼らは正確に青年らを追いつめていった。その精巧さは、ゾルフィンなどの比ではなかった。
防戦に徹しながら、どこをどう逃げたのか。
出口のない迷路に迷いこんだように、現在地すら把握できずにいた3人は、いつしか見覚えのある風景の中にまぎれこんでいた。
あとわずか。この区画さえ突っ切れば、ゾルフィンの勢力圏を脱することができる。希望が見えたその瞬間に、数発の銃弾がビッグ・サムの躰を貫いていた。
「サムッ!」
「ボス!」
肩と脇腹を撃ち抜かれてよろめき、壁に腕をついたビッグ・サムは、その場でぐっと苦痛を堪えると、自分の足で立ちなおした。
「ビッグ・サム……!」
「大丈夫、大丈夫です」
安心させるように言って体勢をなおし、ふたたびシヴァを庇いながら走り出そうとする。が、いくらも進まぬうちに、ビッグ・サムは足を縺れさせて大きくよろめいた。
弾になんらかの薬が仕込まれていたのか、彼の躰は瞬く間に痺れて、足がうまく動かなくなった。苦しげにもう一度壁に躰を預けたビッグ・サムは、心配そうに自分を瞶める青年に微笑いかけた。
「申し訳ありません、前言を撤回します。もう、これ以上は無理のようです」
「サム……ッ」
「私のことは気にせず、ふたりで行ってください。一時的に奴らをくい止めるぐらいのことはしてみせます」
その言葉に、シヴァは怯えたようにかぶりを振った。
「ルシファーがあなたの身を案じています。人質のこともあるでしょう。あなたは、奴らに捕らえられたりしてはいけない。どんなことをしてでも逃げ延びなくては」
だが、それでもシヴァはかぶりを振るばかりで、ビッグ・サムの言葉を聞き容れようとはしなかった。
「ラムゼイ」
ビッグ・サムの視線が、信頼する副官へと移る。その意図を酌みとって、ラムゼイがつらい選択肢を選びとろうとしたとき、ふたたび銃弾が彼らを狙った。
咄嗟に自分の躰でビッグ・サムを庇おうとしたシヴァの太股に、灼熱の痛みが走る。応戦したビッグ・サムの弾が敵方の3名、ラムゼイの弾がおなじく1名を射殺した。
「エリス様!」
「大丈夫だ、かすっただけ……」
応えて、なおも自分から離れようとしないシヴァを見たビッグ・サムは、意を決してその躰を担ぎ上げた。
「サムッ!?」
ラムゼイを従えて手近の廃屋のビルに逃げこんだビッグ・サムは、階段付近に掲示された、錆びついた館内の案内図に目を走らせ、迷わず階段を駆け上がった。
どこにこれほどの膂力と精神力が残っていたというのか。薬の影響など、まるでなかったかのようにしっかりとした力強い足取りで非常階段を上りつづけたビッグ・サムは、4階に到着したところで進路を変えた。廊下を走るまにも、向かいのビルからの狙撃が絶えず彼らを脅かす。射程範囲からシヴァを庇いながら、それでもビッグ・サムは、後方の追っ手を少しでも引き離すため、走る速度をゆるめなかった。
彼がようやくその足を止め、シヴァを下ろしたのは、別館へとつづく連絡通路の手前であった。
「ビッグ・サム……」
不安な面持ちで自分を見上げる、透きとおるような美貌を見つめ、彼は微笑んだ。
「生きて、ください」
言って、両サイドの防火扉を素早く閉じると、錠をかけた状態でドアノブを破砕する。別館へつづく路が完全に遮断されたところで、ビッグ・サムは防火扉の一角に設置された唯一の非常扉を開け、ラムゼイに目配せした。
「別館に出たら階下へ降りろ。旧地下街を抜けて地上へ出られるルートが1本だけある」
低く耳打ちしたボスの言葉に、ラムゼイは無言で頷いた。すぐ背後まで、複数の足音が迫っていた。ラムゼイが器用にその巨躯を、狭い扉の向こうへと滑らせる。それを見届けて、ビッグ・サムはシヴァを顧みた。
「どうか、ご無事で」
囁いて、抵抗しようとしたその痩身を無理やり扉の中へと押しこみ、ラムゼイに任せると、ビッグ・サムは躊躇うことなく鉄の扉をも閉じて施錠した。
「ビッグ・サム!!」
叫んで、青年は力まかせに扉を叩いたが、思いのほか頑丈な鉄扉はびくともしなかった。
「さあ、早く」
ラムゼイがその腕を掴んでその場から引き離そうとする。それをふりきって、なおも扉に縋ろうとするシヴァの鼓膜を、凄まじい裂音が乱打した。
乱射された銃弾が防火扉にぶつかり、弾かれた音。
数発が、分厚い鉄扉をも穿って、別館側の床にまで飛び散った。
ビクッと身を慄わせたシヴァの顔から、一気に血の気が引いた。
「ビッグ・サ……──ダグラス…ッ、……ダグラスッ!」
絶叫を放って、シヴァは半狂乱の態で扉に取り縋った。その躰をラムゼイが強引に引き剥がす。シヴァは、それでも夢中になって扉へ手を伸ばした。
「ダグラスッ!!」
「だめだっ、あんたは絶対に生き延びるんだ! ボスの命懸けの思いを無駄にするな!!」
吼えるように言って、ラムゼイは力ずくで青年をその場から連れ去った。
気配が、次第に背後から遠ざかってゆく。
驟雨のように銃弾を浴びてなお、扉を守護して仁王立ちになり、敵を威圧していた男は、その気配が完全に消えたとき、満足げな表情を浮かべて謐かに瞳を閉じた。
その全身から、幾筋もの血液が流れ落ちては足もとに血溜まりをつくって面積をひろげてゆく。
だらりと垂れ下がった手から銃が滑り落ち、重い、金属的な音をたてた。同時に、男に銃口を向けていた黒服十数名のうち、3分の2が床にどさりと沈みこんだ。
冷たい畏怖に襟首を掴まれて、数瞬、殺戮者たちは戦意を沮喪する。
流れる沈黙。
男はやがて、ゆっくりとその膝を折った───




