第17章 救命措置(1)
レオが《セレスト・ブルー》を訪ねたのは、夜も8時をまわってからのことだった。
はじめ、不審な来訪者の行く手を阻もうとした少年たちは、相手の正体が知れるとすぐに戦意を解き、自由に奥へ通してくれた。その彼女が所在を確認し、真っ先に訪問したのはグループのナンバー・スリー、金髪のデリンジャーの私室であった。
部屋のまえに立ち、開かれたままになっているドアを軽くノックすると、部屋の主は驚いたように客人を迎え入れた。
「まあ、珍しい。元気そうでなによりね。夜這いにきてくれたわけじゃなさそうだけど、こんな時間にどうかして?」
「いや、本当はおたくのボスに用があって来たんだけど、出入り口付近にいた連中に訊いたら不在だって言うんで、あんたなら、なにか知ってるんじゃないかと思ってね」
「ボス? ボスならたしかに昼間から出かけてるけど、あたしも行き先までは知らないわよ。どうして? なにか急ぐ用事? って、ちょっとやだっ、まさか新見ちゃんになにかあったんじゃ……」
「いや、違う違う。そうじゃない。その翼も一緒に出てるんだよ。昼過ぎにルシファーがふらっと訪ねてきたあと、ふたりで出たっきり連絡もないままなんで、ひょっとしたらこっちに来てるんじゃないかと思ってさ。でも、いまの反応からすると、翼も来てないみたいだね」
「来てないわ。だって、全然そんなの知らなかったもの。もう、やだわ。こんな時間まで連絡ひとつよこさないで、大事な預かりものまで連れまわしてるなんて。レオが心配するのも無理ないじゃないねえ。ごめんなさい、いつもはこんな大雑把なことする人じゃないんだけど。今度きつく言っとくから」
「いや、かまわないよ。こっちが変に気ィまわしすぎただけだから。おたくのボスのことなら、あたしも信用してる。どっちにしても、そろそろ戻ってくるだろ」
「そうね、もしかしたら、あなたと入れ違いで送り届けてるかもしれないし。なんだったら、もうしばらく様子見て、今日はセレストに泊まってったら?」
「そうだね。そうさせてもらおうかな」
デリンジャーの提案に同意して、レオはふっと大息を漏らした。
「なんだか珍しく憂鬱そうじゃない。悩みごと?」
「べつに悩みってほどのことでもないんだけどね。翼がちょっとさ」
静かに言って、レオは苦笑した。
「ルシファーと派手にやりあってからこっち、ずっと気落ちしてる。お互い、きちんと話し合うきっかけもないまま《夜叉》に移されちゃったからね」
「ひょっとして、それで新見ちゃんは、ボスに疎まれてると思ってるのかしら?」
「いや、それはないよ。翼はちゃんとルシファーの意図を解ってる。そんな誤解をする奴じゃない」
「ならいいけど」
「……ただ、良くも悪くも、翼はこれまで、あんたたちと深く関わってきたからね。いまさらながら自分の置かれてる立場とか、距離とか、いろんなことを考えざるを得ないみたいだよ」
「悩めるときにたくさん悩んでおくのはいいことだわ。そういうのは決して、無駄にはならないもの」
「うん、まあ、そうかな」
相手の来意の趣旨を酌みとりながら、デリンジャーは「まあ、もっとも」と肩を竦めた。
「精神的に大きなダメージを受けたっていう点では、お互いさまかしらね。うちのボスも、相当堪えたみたいだから」
「ルシファーが?」
意外そうな顔をした赤毛の女傑に、《セレスト・ブルー》のナンバー・スリーはおどけたように眉を上下させた。
「自分たちの世界に閉じ籠もって自己完結してる人間の正しさも存在意義も認めないって全否定されちゃったら、なんにも言えないわよねえ」
「それ、翼が言ったの? ルシファーに?」
「直接じゃないけどね。シヴァと口論になった際に、溜まりに溜まってたものが一気に噴出しちゃったって感じ。ほら、うちのナンバー・ツーって発火剤には打ってつけじゃない? ボスはそのやりとりを、ドア越しに聞いてたのよ」
「ああ、そりゃ、かなりきつかったろうね」
「ええ。でも、そういうのも全部、自分独りで黙って受け止めちゃう人なの。弱音ひとつ零すでなく、いつでも自分の胸におさめて冷静に対処してる。自分のしたことを、すべて背負う覚悟でいるんでしょうね。ほんと、年齢不相応もいいとこ。立派すぎて涙が出ちゃうくらいよ」
おどけて言ってみせたあとで、デリンジャーは不意に、しんみりした口調で呟いた。
「だけど正直、新見ちゃんの反応って、ごく自然なんだと思うわ」
ジャスパーに加えられた制裁が常軌を逸したものであることは、ほかでもない彼ら自身が、いちばん承知しているところだった。
「あたしはあの件について、どうこう言うつもりはないよ」
レオはきっぱりと断言した。そして、言ったあとで、「ただし、是認も肯定もしないけど」と付け加えた。
「あたしにわかってるのは、部外者には決して立ち入れない事情があるってことくらいかな」
「そうね。傍から見ると、容認しがたいことも多いでしょうね。あたしたち自身、すべてを納得してるわけじゃないわ。でも、ボスは確実になにかに向けて動きはじめてる。あの人は、さまざまなものを捨て去ってきたあたしたちにとって、失うことのできない道標なの。自分たちがこの世界で生きていくうえで指標と定めたその唯一の存在が、どこへ向かって突き進もうとしてるのか、なにをしようとしてるのかを見定めるために、皆、彼に従ってる。そしてあの人自身も、それを承知したうえですべてを引き受けてる。抱えてる絶望の闇が深いほど、それを受け止めてくれる存在は絶対で、不可侵となるわ。
《ルシファー》はね、行き場をなくして流離してきた弱き者たちが生きるために、必要不可欠な信仰なの――」
会話が途切れたところで、おもてのほうが騒がしくなった。
「あら、ようやく戻ってきたかしら」
デリンジャーは口調を一転させて立ち上がった。その彼の許へ、数人の少年たちが血相を変えて転がりこんできた。
「デッ、デリンジャーッ! 大変だっ!! 」
「なあに、なんなの騒がしい」
「ボッ、ボボッ、ボスが……っ」
「ボスがなんなの? ちょっと、落ち着きなさいよっ。ちゃんと説明して!」
一喝されて、少年は息を呑みこむ。そして、上擦った声でこう告げた。
「ボスがいま戻って……、あんたを呼んでる。ちっ、血だらけの、とにかくひどいありさまで、いまにもぶっ倒れそうなのに、もうひとりを庇ってて俺たちを寄せつけてくれない。それであんたに、一刻も早く治療を──」
少年の説明を最後まで聞かず、デリンジャーは部屋を飛び出していった。事態の急迫を察して、レオも無言でそのあとにつづいた。




