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地上に眠る蒼穹~Celeste blue~  作者: ZAKI
第1部 スラム編
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第16章 告白(7)

 感情を押し殺した告白に、翼は耳を疑った。


「――え?」


「事故のあと、おまえが真相を探っていたことを俺は知っている。おまえの書いた記事は、決して大きくはなかったが、すぐに俺の目に留まった。これを利用しない手はないと思った。なにより、記事の書き手と俺の見つめる方向性とが合致していた。

 俺は、ただちにユニヴァーサル・タイムズの上層部に働きかけた。だが、おまえの書いた記事は、当然のことながらグレンフォードの目にも留まっていた。俺の動きはすかさず察知され、先手を打たれてしまった。おまえの身柄は結局、シュナウザー――アドルフ・グレンフォードの手に委ねられ、その後の展開は、おまえも知ってのとおりだ」



 長い長い独白を終え、ルシファーは口を閉ざした。


 なにを、どこから考えればいいだろう。


 翼は、足もとの砂の上に視線を落とした。大地をオレンジ色に染め上げる光の源を探して視線を移動すれば、そこに、残照となってなお鮮やかな輝きを放つ落暉らっきの姿がある。

 たなびく雲を黄金に縁取ふちどり、空を、海を、大地を美しく染める光――

 オレンジから赤、赤から薄紫、薄紫から群青。天空はどこまでも高く澄明で、美しい天然の色彩そのままにグラデーションを描き上げる。

 途切れることなく繰り返し囁く、優しい海の鼓動が耳に心地いい。


 パンしてゆっくり目線を戻せば、幼子のように頼りなく、小さく映る友の姿がそこにあった。翼は穏やかな微笑を浮かべた。



「ありがとう……」


 砂の上に力なく落とされた手に自分の手を重ね、翼はゆっくりと力をこめた。


「ありがとう、ルシファー。僕を地上ここに呼んでくれて。君の相棒に、選んでくれて」

「翼……」


 おとなしく手を握られている相手の顔を見て、翼は笑った。


「最初の取材申込のときに強くねつけたあれは、僕を試すための芝居だったんだね」


 唐突に問われ、ルシファーは途端にばつが悪そうな表情を浮かべた。


「本当に手を組める相手かどうか、最後に見極めておく必要があった」

 答えを聞いて、翼は穏やかに頷いた。

「うん、わかる。小さな記事ひとつで信頼を置くには、危険すぎる賭だもんね。あれであっさり手を引くようなら、それまでの人間。そう思われて、当然だったと思う」

「だが、おまえは、決して諦めなかった」

「諦めるなんて、とてもできなかったんだよ。だって出逢ってしまったのは、君だったんだから」


 はじめは、たんなる興味だった。

 生と死が入り乱れたあの戦乱のさなかに、強烈に刻みこまれた凄絶せいぜつな印象。それが、どうしても頭から離れなかった。そして、取材を進めていくうちに気になりはじめた。社会から逸脱した者たちが集まるスラムという場所で、ひとりの人間が、あんなにも崇高なものとして神聖化される。それはいったい、どんな意味を持つのか、と。


「一般社会に適応し得なかった人間の行き着く場所で、皆、なにを思い、なにを求めて生きているんだろう。そういう世界で生き抜くために必要なものは、なんなのだろう。それをね、この目で確かめたいと思った」


 翼は訥々(とつとつ)と語った。


「捨ててきたものが大きいぶんだけ、それを満たすために求めるもの、すがるものもとてつもなく大きく、強くなる。その対象が君だった」


 熱に浮かされるように口々に語られたのは、少年たちにとって絶対唯一の覇王の姿。


「《ルシファー》の存在は絶対で、決して侵すことはできない。それが取材をはじめたころに話を聞くことができたみんなの共通認識で、その認識を持てること自体が彼らの誇りでもあった」

「地盤固めに必要な立ち位置を確立するために、そう思わせるよう振る舞った。それだけのことだ」

「うん。でもね、君が《ルシファー》としての地位を確立することで、多くの絶望や失意が、生きるための希望と自信に繋がっていったことは間違いないと思う」


 翼の言葉に、ルシファーはかすかに目を瞠った。


「《ルシファー》を語るみんなの熱狂に、はじめはとても興味を引かれた。みんなが君に期待するもの。そしてその中で君が果たす役割にどんな意味があるのか。それを探ることで、スラムの構造が見えてくるような気がした。でも、違ってた。この取材は、そもそもの出だしから、根本的な部分が間違ってたんだ」

「据えるべき視点に誤りがあったってことか?」

「そう。僕は、はじめから大きな間違いを犯してた。凶悪な犯罪が多発する危険地帯。一般の人間には足を踏み入れることができない禁域。そういう場所に住む人たちも、自分とおなじ感情を持つ、血の通った人間だっていうことを忘れてたんだ」


 言って、翼は己の愚かしさに呆れるように苦笑した。


「僕は、自分が社会に適応してこれたという、ただそれだけのことに、優越意識を持っていたのかもしれない。家庭に恵まれなかった。生育歴に問題があった。挫折や失敗、絶望から立ち上がれなかった――さまざまな事情を抱えて、でも結局、その苦難を乗り越える努力をせず、普通に生きることを諦めて、社会の規範に背を向け、自分がしたいことをしたいようにできる場所を選んで逃避した。それが、スラムを構成する君たちの集まりで、僕はそこに集積する『問題点』を、一段上の場所から暴こうとしてた」

「社会正義の名のもとに問題提起を呼びかけるなら、それで充分だろう」

「そうかもしれない。でも、それが正しいとは僕は思わない。たまたま恵まれた環境の中で、順調に生きてくることができたっていうだけのことを鼻にかけるような意識で見下して見たものが、歪みのない真実をとらえられるとは思わないから」

「ありのままを伝えて、それが正しいことになるとはかぎらない」

「わかってる。君に受け容れてもらって、スラムの中で過ごすようになってから、僕はだんだん、自分がなにをテーマにして記事をまとめようとしているのかわからなくなってた。たぶんそれは、そういう無意識の部分と現実との乖離が、違和感になって現れてたんだと思う。だけどいま、自分のすべきことがようやく見えてきた気がする」


 翼は、確信をこめて断言した。


「問題は、スラムなんかじゃなかった。《メガロポリス》に住む人間そのものの意識のりかたにこそ、病巣びょうそうはひそんでるんだよ。こうして外の世界に出てみて、はじめてわかった。本当の姿から目を背けつづけてきた人類ぼくたちは、どうしようもないほどに病んでる」


 頭の中にまとまりつつある考えを口にする翼の胸裡に、レストランでのシュナウザーの言葉が思い起こされた。



 ――人間は、《メガロポリス》という、みずからが造った檻の中に率先して閉じこめられ、それに気づきもせず安逸な日常を享楽している。そんなふうに感じているのは、私だけだろうか―――



「ウィンストン・グレンフォードの暴走は、その最たるものなんだと思う。だけど、その後継者であるシュナウザー局長の望む未来は、たぶんおなじじゃない。彼が目指すのはきっと、一族のための王国じゃなく、人類そのものが地上へ還ること。彼の夢は、君や僕にこそ、より近いんだと思う」

「だが、それでも俺は、奴とは決して相容あいいれることはできない」


 ルシファーの言葉に、翼も頷いた。


「目指すものが一緒でも、君と彼とでは、そこに至る過程の段階ですでに大きな差異が生じてしまっている。地上で生きることができる、新しい種族なんて必要ない。地球との共存という観点から考えていかなければ、人はきっと、またおなじ過ちを繰り返す」

「おまえの言うことが、たぶん正しい」


 ルシファーは首肯した。



「――いつか、生態系にたずさわる研究所を開きたいと思ってる」


 それは、人類が自然に歩み寄り、地球との共存を図るためにルシファーが思い描く、ひとつの夢。たしかな希望へと繋がる、未来への展望だった。


「名前も、もう決めてある。《タンズリー研究所》」

「タンズリーっていうと、たしか、『生態系』っていう造語を提唱した学者だっけ?」

「アーサー・ジョージ・タンズリー。20世紀前半に活躍した旧英国の植物生態学者だ。イギリス生態学会の初代会長で、生態系の概念を提唱した。さすがに博学だな」

「とんでもない。君とはレベルが全然違うよ。僕の場合は、以前に話した幼馴染みの影響で雑学程度にかじっただけだから。かろうじて記憶の隅にひっかかってただけ。自分でも、少し興味のある分野だったしね。だけど、これからはもっと本格的に勉強していくことにするよ」


 言って、翼は立ち上がると波打ちぎわまで歩いていった。そして振り返って笑った。


「一緒に戦おう、ルシファー。いつか遠い未来に、僕らの子供たちが、本当の蒼穹そらの蒼さをその目で見ることができるように」


 ルシファーは微笑を返す。天空の輝きをそのままに映す瞳は、だが、次の瞬間凍りついた。

 波音を割いて、とがった機械音が数度鼓膜を刺激した。同時に数条の光が翼の躰を刺し貫く。残照を浴びながら、その肢躰がグラリと揺れた。




「翼ーっ!!」




 スローモーションのようにひどくゆっくりと、翼は足もとから波にさらわれ、海に吸いこまれていった。

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