第16章 告白(6)
「俺のいた研究所に、あるとき、瀕死の重傷患者が運びこまれてきたことがあった。医療設備すら満足に整っていない、ただの研究施設に物々しく搬送されたうえ、患者は、自殺未遂を起こしたのだという。病院でもないのに、わざわざ時間を割いて死にたいという奴の治療にあたる必要がどこにある。俺はそう思ったが、それを見過ごしにできないお人好しがいた。患者が、俺とそう変わらぬ年頃の少年だったせいもあったんだろう」
ルシファーは、そこでなにかを思い出したように低く笑った。そのお人好しが、彼の養い親であるジョン・カーティスであったことは想像に難くない。だが、翼は口を挟むことを差し控えた。
「懸命の蘇生措置を施した甲斐あってか、患者はなんとか一命をとりとめた。それが、エリス・マリエール・グレンフォード。数年前に事故死したとされる、グレンフォード家の末子だった」
ああ……。
翼は心中で、ひそかに得心とも嘆息ともつかぬ呟きを漏らした。
抱いてきた思いは、これで確実に、真実であったことが判明した。だが、それもまた、秘められた真実の中の、表層の一部分にすぎなかった。
「死んだはずのグレンフォード家の末子が生きていた。話は、それだけでは終わらなかった。エリスは、ウィンストン・グレンフォードとその妻イザベラとのあいだにできた子供ではなく、グレンフォード家の六男とイザベラとのあいだにできた、不義の子供だった」
思わぬ告白に、翼は瞠目した。
「まさか。それってつまり……」
「本妻の死後、しばらくの後に後妻におさまった女と妾腹の庶子。直接の血の繋がりがないとはいえ、戸籍上の関係は母と子だ。だが、実際、ふたりの年齢は2歳も離れてはいなかった。18歳の美しい継母と16歳の息子。男と女の関係を結ぶには充分すぎる年齢だ。夫であり父であるウィンストンは、ふたりの関係を知りながらも、その不貞を黙認した。なぜならイザベラが、ほどなく懐妊したことがあきらかになったからだ」
それは、子供の生まれない血筋に起こった、悖徳の奇蹟だったといえる。
「グレンフォードの後継は、下に行くにつれ、ウィンストンの望んだいわゆる『完成型』に近づいていく。イザベラの懐妊は、まさにその証明となったわけだ。これによってウィンストンは、もともと目をかけていたこの六男を、世嫡の座に据えることを決定する。生まれてきた子供は、もちろん己の実子として認知し、兄姉たちの末席に加えた。それがエリスだった」
「体面、だけでそうしたわけじゃないね? 奥さんと息子を庇ったってこと?」
「表面的にはそうなるな。だが、実際のところ、自分の血脈が受け継がれてさえいれば、だれの子供であろうとたいした問題ではなかったようだ。そのころ、奴はすでに、別の夢想に取り憑かれていた。すなわち、『選ばれし種族のための《王国》の形成』。
かつて、おなじような妄想に心を奪われた挙げ句、非人道を極める大量虐殺を行って滅び去った馬鹿が歴史上に幾人も存在した。ウィンストン・グレンフォードもまた、その狂人たちの仲間入りをしようとしていた。そしてその馬鹿げた妄執を受け継ごうとしている男の名が、皮肉にもアドルフときている」
最後の言葉に、翼はハッと息を呑んだ。
「ともかく、その話を別にしたところで、グレンフォード一族が『より優秀で完全な個体』の完成を目指して人体実験を繰り返し、法を犯しつづけてきたことに変わりはない。しかも、最終的には人類社会との隔絶を図って、『選ばれた種族』とやらによる独自の社会体制を作り上げるつもりでいる。あろうことか、奴らが自分たちの理想郷に選んだのが、この地上ときている。『王国』の建設は、すでに7年もまえから着工されている」
「この地上に?」
「そうだ。自殺を図ったエリスの出現によって、さまざまな疑惑が浮上する結果となったが、それは連中にとって、もっとも漏洩してはならない一族の秘密に繋がることだった」
――そのことを知ってしまったジョン・カーティスは、真っ向から反対論を唱えたために抹殺された。つまりは、そういうことなのだろう。
繋がりはじめたキーワード。
養父であった学者の死により、事態の急迫を察知した彼は、生まれ育った研究施設を関係者ごとみずからの手で壊滅させ、行方をくらました。そして水面下で、神をも怖れぬ一族の目論見を暴き、立ち向かうための準備を押し進めてきた。その期間、3年。それが、永い時間なのか、あっというまの日々だったのか、翼には推し量ることすらできなかった。
「メイフェアの偶発的事故も、ほぼおなじ理由に由来する。もっとも、研究員の多くは、そんな事実に気づきもしなかっただろうがな」
ルシファーの言葉に、翼は奥歯を噛みしめた。
純粋に、ひたむきに研究の途を歩んでいた幼馴染み。自分の仕事を誇りとし、輝いていた彼の未来は、あの一瞬で絶たれてしまった。なにひとつ、真実を知らされることもないまま。
「メイフェアの中に、俺と気脈を通じている研究者がいたんだ。秘密を知ってしまったせいで闇に葬られた、ある学者の知人だった。だが、万一の事態に備えて、自分が口封じをされたあとにも事がうまく運ぶよう、研究所のメイン・コンピュータに仕掛けをしておいたことが逆に仇になった。一般の研究員多数の生命を犠牲にする大惨事を引き起こした挙げ句、メイフェア生化学研究所は運営不可能となって閉鎖。エリスや俺自身の身の危険も、さらに目の前まで迫りつつあった」
そして彼は、最初の研究施設のとき同様、研究所内の記録をすべて写しとり、メイン・プログラムをバックアップ・システムごと抹消した後、施設そのものの機能を停止させた。その際、グレンフォードの息がかかっていた研究員たちは皆、彼の手によって始末されている――
ルシファーはサングラスをはずすと、青紫の瞳をまっすぐ翼に向けた。
「翼、おまえを地上に呼び寄せたのは俺だ」




