第16章 告白(4)
ふたりのあいだに流れた沈黙の隙間を、途絶えることのない波の音が埋めていく。沈黙は、長くはつづかなかった。
「――俺は、グレンフォードが《旧世界》に所有する研究施設のひとつで生まれ育った」
海を見つめながら、ルシファーはポツポツと語りはじめた。やはり、情報提供者は彼ではなかった。思うと同時に、翼は後ろめたさと緊張をおぼえた。
「学校へ行ったこともなければ、おなじ年頃の子供と遊んだこともない。研究所内に、子供は俺ひとりしか存在しなかったからだ。子供のころの俺の遊び相手は、もっぱら施設内に勤務する学者たちと、あとはコンピュータ。幅広い分野の学者がそろっていたから、専門的な知識は、学ぶつもりがなくても自然に身についていた」
彼の舌を巻くほどの該博ぶりは、その成育歴に由来していたのだ。
「いまはもう、その研究所も存在しない。だが、そこで日々行われていた研究は、人道を無視した違法行為だった。法に触れることは、はじめから重々承知のうえだったんだろう。財閥の関連施設といっても、表向きは別会社の持ち物で、政府の調査が入ったところで、グレンフォードの名はいっさいおもてに出ないよう仕組まれていた。偽の組織系列を複雑に関連づけて、巧妙に黒幕を隠したメイフェアの場合とまったくおなじだ」
「どうして……」
「――『デザイナー・チャイルド』って単語は、聞いたことあるか?」
覚悟はしていたものの、核心に触れる言葉を唐突に突きつけられて、翼はドキリとした。
デザイナー・チャイルド――
それこそが昨夜、翼の端末に送られてきた、ルシファーの出生に関わる情報の主軸を形成する最重要単語だった。
「あ、うん、まあ……。そんなに詳しくは知らないけど、多少は。受精卵の時点で遺伝子配列を人為的に操作して、個体能力を自在に引き上げるっていう――」
内心の焦りがおもてに出ないよう気を配りながら、翼は事前に得た知識から回答を引き出した。その答えに、美貌の友人は従容として頷く。そして付け加えた。
「大体の意味は合ってる。ついでに言うなら、その個体の持つ疾患遺伝子を事前に取り除くことはもちろん、瞳や頭髪の色、外貌、性格すら自在に調整できる」
――そしてその、人体実験の集大成こそが、目の前にいるこの友なのだ。
《No.13》――それが、研究所での彼の呼び名だった。
優秀であたりまえ。能力があってあたりまえ。完璧であたりまえ。
文書は告げた。研究者たちから見れば、彼は施設で飼育する実験動物のラットやハツカネズミと大差なかったのだ、と。その呼び名が示すとおり、彼が13番目に施設で誕生した子供であるならば、そのまえに12人、彼とおなじ宿命を背負った子供たちがいたはずなのだ。だが、彼は言った。施設での子供は自分ひとりだった、と。
成功か失敗。実験にはそのふたつしか結果はない。
名前など、必要がなかったのだ。
生まれたときからずっと狭い施設の中だけで生きてきて、与えられた課題を与えられた時間内に機械的にこなすだけの日々。研究所の中だけが彼の生きる世界のすべてで、彼は、そこから抜け出すことさえ想像もしなかったに違いない。
ある程度の能力が備わってくると、研究スタッフの一員にも加えられ、外に、別の世界が在ることさえ意識にのぼらせ、関心を寄せることもなかった。ある時期までは――
「俺のいた研究施設で人体実験も含めて日夜繰り返されていたのは、そのデザイナー・チャイルドに関する研究だった。研究所には、そのための精子と卵子が冷凍保存され、受精卵を育てるための人工子宮までが完備されていた」
「でも、デザイナー・チャイルドの生殖研究は、試験管ベビーであるなしに関わらず、1世紀以上もまえに法律上禁止になったはずだね?」
「正確には、いまから114年前になる」
ルシファーは淀みなく答えた。
いまから114年前、ある法律が制定され、それは異例の早さで施行された。
D C 禁止法――
その発端は、この特異な法律が施行される、さらに200年ほど昔に遡る。
遺伝子工学最高の技術と叡智が生み出した超人たち、デザイナー・チャイルド。
理論自体はすでに、それより数世紀もまえから専門家たちのあいだで認知されていた研究である。しかし、倫理・道義的観点、人権及び人種問題、反対派の唱えるさまざまな学説や技術的側面から生じる問題等、あらゆる局面で軋轢や障害が次々と立ちはだかり、研究は遅々として進まなかった。そのすべてをクリアし、さらなる改良を加えて新たなる生命誕生の実現化に漕ぎつけるまで、長い歳月を要さなければならなかった。
新国家暦134年、デザイナー・チャイルドは、そのようにして人類の歴史に登場する。
美しく強健で、才能に溢れた新人類たちを、人々は讃歎と期待をもって歓迎した。
DCたちは、当初、オリジナルDNA所有者――すなわち遺伝子操作を加えられていない人々との線引きを明確にするため、特殊コード化した生体記録を政府所有の研究機関に登録されることによって市民権を与えられた。しかし、その技術がより高度に発達すると、やがてそれは、一部の富裕層のあいだで、より優れた子供を持つための特権的技術として流行するようになった。その傾向が徐々にひろがり、一般化していくと、一般の人々とDCとの識別は、次第に薄れるようになっていった。
人類との平和的共存によって、DCの突出した能力は社会に還元され、人類は、より豊かな発展を遂げた。
だが、その栄光は長くはつづかなかった。
その特異な遺伝子配列ゆえに、DCは世代を重ねるごとに生殖能力に異常をきたすようになる。そしてそれは、瞬く間に兆候の域を越え、明確な機能不全となって顕現化していった。
原因は不明。
三世代目あたりから生じはじめたこの問題は、七世代目には決定的となり、最終的には、一般の人々とのあいだに子供を儲けることが困難となった。おなじDC間においても、出生率は確実に減少し、妊娠の確率も下降の一途をたどる一方となる。逆に、障害を持って生まれる子供の増加や原因不明のまま突然死する症例が相次ぎ、医学界を中心とする関係機関は大混乱に陥った。
このままでは、地上の環境問題に取り組む以前に、人類滅亡の日を迎えかねない――無責任なマスコミの蒙昧極まる報道内容に翻弄され、事態は人権侵害のみならず、優生保護法違反、種の存続問題にまで発展した。政府は可及的速やかなる対応を迫られ、最終的に、集団ヒステリーを起こしかけた民心の鎮静を図るため、DCに関するいっさいの研究、技術使用を禁ずる新法を制定、断行するに至ったのである。
以後、DCの人口率は衰退の途をたどる。現在、その存在は、その血を引く者も含め、全人口の0・01パーセントにも満たず、20万人から30万人に1人程度と言われている。
新法施行は、新国家暦337年のことである――




