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地上に眠る蒼穹~Celeste blue~  作者: ZAKI
第1部 スラム編
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第16章 告白(3)

「驚いた、連絡もなしに突然現れるんだもん」


 翼が素直な感想を口にすると、ルシファーは色の濃いサングラス越しに翼を見返した。

 目もとが隠れたことで、整った鼻梁やバランスのとれた口唇、シャープな顎のラインなどが引き立ち、際立った美貌がさらに強調されて見えた。

 年齢以上に大人びた雰囲気が、なおさらにミステリアスな空気を作り出している。見る者に感歎の念を抱かせる、完璧な造形美だった。


「迷惑だったか?」

「うううん、全然。誘ってくれて嬉しいよ」


 言って、翼は眩しげに周囲の景色を見渡した。


 蒼く、どこまでも高く澄んでひろがる蒼穹そら。太陽の光を受け、少しずつその輝きと色を変じながら果てしなくつづく海。


 翼はいま、ルシファーに伴われ、《旧世界ガイア》の外へ出ていた。


 とくになにも告げることなく翼を後ろに乗せ、バイクを走らせたルシファーの胸中では、はじめから目的地は定まっていたのだろう。ドームの内壁に沿って、彼がハンドルを握る愛車はまっすぐ北へと進路をとった。


 やがて眼前に立ちはだかったのは、《旧世界》北西部に設けられた巨大な出入り口、《北風門ボレアス》。

 その威容に驚いた翼は、思わず身を硬くした。ゲートを目にした瞬間、胸にひろがったのは、期待よりも遙かに大きな不安だった。いつか行ってみたい。望んだはずの外の世界を目の前にして、心が萎縮した。それほど、その佇まいは重苦しい威圧感を漂わせていた。


 翼の抱いた不安と緊張を、ルシファーが気づかなかったはずもない。だが彼は、迷うことなく愛車をゲートに進入させた。

 すべては、一瞬の出来事だった。


 ゲートをくぐったバイクは、そのまま一気にトンネルを疾駆すると、わずか数秒で《旧世界》の外へと飛び出した。



 闇から光へ――



 その瞬間の昂揚を、翼はいつまでも忘れることはないだろう。

 閉塞された空間から解放された刹那、世界に光が弾けて溢れかえり、自分を取り巻く空気が一変した。まるで、足もとの地面が突如消え去って、空中に放り出されたかのような心もとなさに襲われる。ゲートを目にしたときとは真逆の不安。同時に、自分でも理由のわからない、大声で叫び出したくなるような歓喜が胸の奥深くから湧き上がった。

 呑まれそうになる激しすぎる感情の奔流に、翼は眩暈めまいをおぼえた。


 茫漠ぼうばくとひろがる荒れ果てた大地と瓦礫がれきの山々。無秩序に群生する、見たこともない植物の数々。それらの風景を後方へ流しながら、バイクは走りつづけた。

 やがて、その視界が開けた先に、白い砂浜と紺碧の海が美しい対照を成して現れた。



「すごいね、これが外の世界――『地球』なんだ」


 熱に浮かされたような瞳で、翼はその景観に見入った。


「こんな世界目の当たりにしちゃったら、人間が造ったものなんて、なんてちっぽけなんだろうって思えてくる。なんだか、胸がいっぱいになっちゃうよ」

「いつか、《旧世界》の外へ出てみたいって言ってただろ」

「うん、すごく見てみたかった。ありがとう、憶えててくれたんだね」


 バイクを停めて砂浜に降り立ったふたりは、海から吹いてくる風に身を晒した。潮の香りが強く鼻孔をくすぐる。浜辺に打ち寄せる波を、翼は飽くことなくいつまでも眺め、その不思議な鼓動に耳を傾けていた。


「――《メガロポリス》の天井は、ドームも地下都市も、それ自体が巨大なスクリーンになって空の映像を24時間映し出してる。施設を利用すれば、海水浴もダイビングも登山もロック・クライミングも、なんだって本物と大差ない疑似体験ができるようになってる。波の音だって聴いたことがあるし、潮の香りだってどんなものかぐらいは知ってた。でも、それは全部、本物じゃない。すべて人間が造り出した、架空の産物なんだ」


 語りながら、翼は思い知った。そうだ、あれはすべてニセモノなのだ、と。


「僕は、いまのいままで、それでいいんだと思ってた。生まれたときからずっとそれがあたりまえの環境の中にいたから、少しも、ほんとにこれっぽっちも、疑問にさえ思わなかった。

 かつての人類の生活の場が地上にあったことも、人がそこで、どんな営みを繰り返していたのかも、歴史の教科書で学んで、当時の記録映像も観て、わかってるつもりだった。図書館を利用すれば、どの時代の書物だって自由に読むことができる。映画だって興味さえあればいくらでも観ることができる。音楽だって聴けるし、情報だって必要なだけ引き出せる。

 星の運行、季節の移り変わり、自然災害の発生の仕組みや自然の恵み……。

 みんな知ってるつもりだった。わかってるつもりだった。でもルシファー、僕はいったい、なにをどれだけ知っていたんだろう。こんなふうに本当の空の下で大地を踏みしめて、風を肌に感じながら波の音に耳を傾けて――

 不思議だね。はじめて来た場所で、はじめて目にする光景で、はじめて体験することばかりなのに、ひどく懐かしいことのように感じるのは、どうしてなんだろう。泣きたくなるほど切ない気持ちが心に溢れてくるのは、なぜなんだろうね」


 波打ちぎわを並んで歩きながら、翼は、大きくも小さくもない声でぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。ルシファーは、じっとそれに聞き入っていた。


「僕たちは、いつかまた、地上ここに戻ってくることができるのかな」


 だれに問うでもなく呟いて、翼は海を見つめた。


「風が気持ちいい。空気も澄んでる。ここが、人が生きていけないほどに汚染された世界だなんて、とても信じられないな。海の水だって、こんなにあおくてきれいだ」

「翼っ!」


 何気なく海水を手ですくおうとした途端、翼は強い力で腕を掴まれ、後ろへ引き戻された。


「むやみに触るな。おまえが思うほどには、この世界は清浄じゃない。《首都キャピタル》で生まれ育った免疫力のないおまえなら、なおさら危ない」

「……ごめん」


 厳しい語調で注意され、翼はしゅんと項垂うなだれた。


「人間がこの地を去ったことで、地上は少しずつ、もとの力を回復しつつある。人間と違って、どこかへ逃れることもかなわず、この世界での存続を余儀なくされた生物たちもそれぞれに、その態様を、世代を重ねて変化させることで環境に順応し、細々と棲息している。だが、人間はそうはいかない。生態系を狂わせ、自然を破壊しつくし、生命の営みが困難になるほどに環境を汚染しつくした張本人でありながら、本来の力を失い、疲弊しきった地上をあっさり捨て去った。罪滅ぼしも共存も拒み、自分たちだけの楽園を築き上げ、そこに閉じ籠もることでいっさいの現実から目を背け、造り物の、人為的に調整された快適な環境を享受した。《メガロポリス》に適応した人間の躰は、この地上で生きるには、あまりにも弱すぎる」

「それは、君たちにも言えること?」

「《旧世界ガイア》の所在が地上であったとしても、《メガロポリス》の一部としてその保護下に置かれ、管理されていることに変わりはない。ドーム内もまた、《メガロポリス》の支配を受けている以上、そこで生活している俺たちも、なんら他の人間たちと変わらない」

「じゃあ、君たちが外へ出ていけないのはそのため? だけど、こんなふうに出てくることができるなら、飲み水や食料の確保さえどうにかできれば、ドーム内のスラムにこだわらず、外界に生活の場を設けることも可能じゃない?」


「シュナウザーの入れ知恵か?」


 ズバリ指摘されて、翼は言葉を詰まらせた。


「たしかに食料や水の確保の問題だけで済むなら、それもまた可能だろう。だが、いざ現実に生活するとなれば、実際問題、それだけでは済まないことが多すぎる。いま、何気なく浴びてるこの太陽光ひとつにしてもそうだ。数日、数週間、数カ月。わずかな時間であればさほどの問題はなくとも、長期にわたって強い紫外線を含んだこの光を浴びつづければ、皮膚組織が破壊され、人体に害を及ぼす。大気にしても、汚染度は決して低くない。未知の外敵にだって相応に備えなければならない」

「外敵? 野生の動植物とか?」

「それも含むし、それ以外にも、いくらだって考えられる。翼、おまえ、いままでに虫に刺されたことはあるか?」


 問われて、翼はハッとした。


「人間ひとりを殺すのに猛毒は必要ない。おそらくは、ほとんど無害の蚊1匹に刺されただけで、アレルギー反応を起こして生死を彷徨さまようことになるだろう。俺たちがいま安心して外界を歩きまわれるのは、ゲートを通過した際に、自動的に防護処理を受けたからにほかならない。それも半日で効力は消え失せる。戻るときにふたたびゲートをくぐれば、外界で付着したすべての物質が一瞬のうちに元素単位まで分解されて消毒・除去され、それらが内部に持ちこまれることはない。人類の存続問題にまで関わる最重要事項だけあって、この件に関する《メガロポリス》の姿勢はあくまで徹底している。

 厚い壁を作って、すべてを拒んだのは人間のほうだ。これで、なんの保護もなしに人類おれたちが生きていかれるはずもないだろう。シュナウザーの発言は無責任だ。なにもかもわかったうえで、それでも平気でそんな言葉を口にする。だから俺は、あいつが嫌いなんだ」


 波打ちぎわを離れて、ルシファーは浜辺に腰を下ろした。翼も、それにならって砂の上に座った。

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