第15章 もたらされた機密(4)
軍との交戦は、組織から離反した一部隊がスラム側に加わることによって、互角以上の戦力を有する結果となった――はずであった。
「おい、そこ!」
壁に身を寄せ、周囲の気配を窺っていた元公安特殊部隊第13部隊長カシム・ザイアッド軍曹は、背後から飛んできた鋭い声にギクリと首を竦ませた。おそるおそる振り返れば、そこには予想に違わず、最大にして最悪の天敵が両腕を組んで仁王立ちになってこちらを睨んでいた。ザイアッドは内心で舌打ちすると、瞬時に卑屈な態度で阿るような作り笑いを浮かべた。
「んまあ、だれかと思えば《没法子》のボスじゃないのお。いやあ、こんなとこで会うなんてじつに奇遇だねえ。いや、世の中は狭い。ほんと奇遇奇遇、あっはっはっ」
「そうだなあ、あんたの部下をはじめ、みんな命懸けで公安の連中と死闘繰り広げてるってときに、部隊長ともあろうお人が独りだけ、こおーんな戦線からはずれた場所にいるなんて、どー考えたっておかしいよなあ」
チクチクと突き刺さる厭味に、ザイアッドの作り笑いがヒクヒクとひきつる。狼は、容赦なく男に詰め寄った。
「で、どこ行く気だったんだ?」
「い、いやその、ちょっとご不浄へ……」
「へえええ、ご不浄! あっそう。そりゃまた、随分と遠くまで用足しに行くつもりだったんだなあ」
「あっ、このガキッ!」
こっそり待機させておいたはずのバイクの鍵を目の前でチラつかされて、ザイアッドは度を失った。
「やっぱりな、そんなこったろうと思ったぜ。どうも様子がおかしいと思って目ェ光らしてりゃよ」
「坊主、悪いこた言わねえ、そいつをおとなしくこっちへよこしな」
「い・や・だ・ね。凄んでみせたって俺には効かねえよ。おおかた交戦中の仲間見捨てて、テメエだけシヴァのヤロウと娯しむ気だったんだろうぜ」
「人聞きの悪いことゆうなっ! ほんのちょこっと様子見に行ってこようとしただけじゃねえか!」
思わず怒鳴り返してから、ザイアッドはあわてて口を押さえた。
「ほら見ろっ、やっぱ抜け出す気だったんじゃねえかっ!」
「いや、だからそれは……」
「笑って誤魔化せると思うなよ。絶対行かせねえからな。とっとと戻りやがれ」
「かてーことゆーなよお。俺とおまえの仲じゃねえか。ほんの小1時間、いや、四半時で戻る。見逃してくれ」
「甘ったれた声出すな、気色悪ィ。そうまでして野郎のケツ追いかけまわしてえか」
「こらこら、少年、誤解を招くような言いかたはよしなさい。君の品性が疑われるよ。私は決してそのような人間では――」
「ケッ、なに寝とぼけたこと抜かしてやがる。貴様なんぞに品性がどうこう言われたかねえよ。ご託並べてる暇があんなら、底意地のワリイかつての上官のひとりもぶっとばしてみせろってんだ」
「いや、だからそれは、用事が済んだらまとめて片付けるってことで」
そろそろと近づいて鍵を取り上げようとしたザイアッドの目の前で、狼はパッと手を放した。重力の法則にしたがって落下した鍵は、そのままうまい具合に足もとの下水溝の穴の中に吸いこまれた。そして、遙か底のほうで小さな水音をたて、それっきり静かになった。
「さ、未練がなくなったところで、いっちょ闘争心に火ィ点けてみっか」
「こっ、こいつ~~~っ!」
あと一歩というところで脱走を阻まれたザイアッドは、がっくりとその場に膝をついた。
「男のくせに、過ぎたこといつまでもくよくよすんじゃねえよ。あんたのかわいい部下も待ってることだし、早く戻ろうぜ」
さわやかに促して、狼は元気に歩き出す。そのあとを、ザイアッドは重い足取りでしぶしぶ、本当にしかたなく、イヤイヤついていった。
「言っとくけど、これで俺が諦めたと思うなよ。こう見えても俺は、すごく、ほんとにものすごぉく、諦めが悪いんだからな。30分で戻ってくるって言ってるうちに見逃しといたほうがよかったって、そのうち絶対後悔することになるぞ。それでもいいんだな」
「どうぞご勝手に。そうすりゃまた、首根っこに縄つけて連れ戻すまでのことよ。そっちこそ、俺の目盗んで簡単に抜け出せると思うなよ」
「かっわいくねえ。やだやだ、なんだってこう狭量なんだろうね。こちとら、なにも一生暇くれっつってるわけじゃねえのによ。味方が死線彷徨ってるわけじゃなし、優勢のあいだに、ちっとくれえ抜けたってかまやしねえじゃねえかよ。用件さえ済みゃ、いくらでも挽回してやるってんだ」
いつまでも往生際が悪いうえに、不平たらたらのザイアッドを、《没法子》のボスは呆れ顔で見返した。これではどちらが大人で、どちらが子供かわからない。両手を腰に当て、狼はやれやれと溜息をついた。
「あのな、俺たちゃ遊んでるわけじゃねえんだぞ? ひとりひとりが好き勝手な真似して、それで通用する相手か? もともと属してた組織だ、そんくれえ、あんただってわかんだろうがよ。一見ふざけちゃいても、あんたなりに抱えてるもんもいろいろあんだろうよ。そこんとこは俺も、一応理解してるつもりだぜ? けどな、こっちだって大目に見れねえ場合もあるんだよ。それでもそんなに言うんだったら、その用件てのがなんなのか、俺にも納得がいくよう、きっちりこの場で説明してみろよ」
「なっ、なんだよ、そんな妙に冷めた目つきしなくたっていいだろ。そうマジんなんなって。照れんじゃねえか。ガキがあんま、他人のプライバシーに首つっこむもんじゃねえぞ。俺の用事ってな、子供にゃ説明できねえ、大人の用事なんだからよ」
「なにが大人の用事だ。どうせシヴァ絡みの用件なんだろうが、行ったって無駄だよ。いま、ひょっこり抜け出したくらいで済ませられる用件なら、とっくに済んでていいはずじゃねえか。あんなに奴の傍にいる時間があったんだからよ」
痛いところを突かれて、ザイアッドはぐっと詰まった。
「らしくもなくジタバタと足掻いてねえで、いっぺん冷却期間置いちまえよ。それには、対公安戦に神経集中させとくのがいちばんだぜ」
理路整然たる言に反論する気力も失せ、男は肩を落とした。
「――わかったよ、わかりました。今回のところは、おとなしくおまえの指示に従うとするさ。ったく、なんだってこの俺が、こんなガキに説教されなきゃいけねえんだか……」
ぶちぶちと文句を言いながらも、ザイアッドは降参の意を表してみせる。
「しかしおまえさん、見てねえようで案外よく見てるもんだな。たいした観察眼だ。そこんとこだけは真面目に褒めてやるよ。冗談抜きで感心したぜ」
「まがりなりにもグループの頭張ってる身だ。そんぐれえ見抜けねえでどうする。感心されるほどのことでもねえ」
「謙遜、謙遜。いや、しかし待てよ。やっぱ俺ぐらい色香溢れる、魅力的な佳い男ともなると、うちに秘めたる苦悩が自然と滲み出て、隠しきれなくなるのかもしれねえな」
男は恥じるでもなく、真顔で冗談とも本気ともつかぬセリフをしゃあしゃあと口にする。狼は慣れた様子でそれを聞き流した。
「いつまでも阿呆ぬかしてねえで、いいかげん戻るぞ、おっさん」
「おっさん、おっさん言うないっ! そんな呼ばれかたするほど老齢じゃねえぞっ」
「俺が生まれたときに成人してりゃ、充分おっさんだよ」
「馬鹿者、だれがそこまで長生きしとるか! まだまだ現役バリバリでい。おまえとたいして違わねえよ。こないだハタチんなったばっかだからな」
「嘘つけっ! どこの世界にこんな老けた二十歳の若者がいるっ。あんたの生まれ故郷じゃ、四十男を『ハタチ』って呼ぶのかよ」
「だれが四十男かっ、失礼な! 俺はまだ33だ!」
「うひょー、ムッチャクチャ若作り」
まことに緊迫感に欠ける言葉の応酬をしながら、ふたりは前線へと戻っていく。これでいざ敵を目前にしての実戦となると、不思議なほどぴったりと呼吸の合った、見事なコンビネーションを発揮してみせるのだから、当人たちは認めたがらないかもしれないが、案外、相性はばっちりなのかもしれない。
【――いまから3年前、《旧世界》南西部、ダウンタウン地区のある研究施設において、大規模な爆発事故が発生した。当時、37名の職員が研究者としてその施設に勤務していたが、全員の死亡がほどなく確認された。
生存者なし。実験中発生した、なんらかのコンピュータ・システムの誤作動が事故の主たる原因とされている。専門機関による検証終了後、実質的に再運営不能となった研究施設はそのまま閉鎖。以後、現在に至る。
それが、公式文書に残された記録である。
だが、そこに、もっとも重要な事実は記されていない。
研究員の半数以上が、事故発生以前にすでに、何者かによって殺害されていたこと。施設内すべてのコンピュータの全データが抹消されていたこと。そして、この施設において研究対象となっていた、ある実験体の消息――
実験登録ナンバー《DC13》。
当時、15歳の少年であったこの実験体は、現在、スラム地区において、《セレスト・ブルー》という1グループを率いている――】
逗留先を《夜叉》に移されたその数日後、翼の端末に、ある情報がもたらされた。送信者は不明。
それは、《ルシファー》の出生に関わる、極めて重要な極秘文書であった。




