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地上に眠る蒼穹~Celeste blue~  作者: ZAKI
第1部 スラム編
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第12章 堕ちた光(3)

 少しまえに皆でクッキーを焼いた調理場には、作り置きの料理が用意されていた。

 基本的には食べたい者が適当に立ち寄って、その辺にある容器や皿に好きなものを勝手によそい、勝手に食べる、というスタイルだが、それでも一応、大雑把にではあるものの、配膳を担当する者や、使った食器類などを片付ける役割というのが分担されているようだった。


 中途半端な時間だったものの、調理場には今日の配膳担当らしい少年ふたりが詰めていた。翼たちが行くと、彼らは無造作に数種類の皿やコップを載せたトレイをよこす。それを受け取った3人は、そのまま隣室の食堂へと移動した。


 食堂内にはすでに、10名ほどの先客の姿があった。彼らは適度に分散し、あるいは2、3人でかたまるなどして、思い思いに食事をしたり、ゲームや談話に興じたりしていた。

 翼たちが入っていくと、数名がチラリと顔を上げる。しかし、すぐに関心を失くしたように視線をはずして、それぞれの世界に戻っていった。


 翼たちは適当な場を見つけて腰を下ろした。食堂といっても別段、専用の椅子やテーブルが置いてあるわけではない。どこかから掻き集めてきた不揃いな一式を、必要に応じて自分たちで適当な場所にセットするか、あるいは剥き出しのコンクリートの上に空箱や雑誌の束などを重ねて置いて、その上に腰掛けるのである。翼やレオの部屋などには、粗末ながらもベッドや机などが配備されているが、それはあくまで、彼らがルシファーの賓客として遇されているからにほかならなかった。


 ルシファーの影響力は大きい。


 そのボスが、ふらりと食堂に現れた。部屋の隅に転がっていた、簡易式の折りたたみ椅子やマットをひろげて翼たちが腰を落ち着けるのと、ほぼ同時のことであった。


 食堂の空気が途端、見事なまでに一変した。

 彼はほかへの関心をいっさい向けなかったが、登場だけで少年たちの態度があらたまるそのさまを、翼は感嘆の思いで見つめた。


 ルシファーは、少年たちが畏敬をこめて注目する中、悠然と翼たちの許へ歩み寄ってきた。


「俺も、一緒してかまわないか?」

「ああ、うん。もちろん」


 翼が快く応じると、彼は左隣の床にじかに胡座あぐらをかくようにして座った。それを見た配下の少年のひとりが、すぐさま自分の座っていた椅子をボスに献上しようと部屋の奥から飛んできた。だが、ルシファーは気のない様子で必要がないと片手を振り、少年を下がらせた。


「なんか、ひさしぶりだね。随分忙しいみたいだけど、少し落ち着いた?」

「ああ。まあな」

「あまり無理しすぎて、躰壊さないようにね」

「ああ」


 気怠けだるげに応える彼が、煙草をくわえる以外に手ぶらなのは、すぐに彼のぶんの食事をだれかが運んでくるからなのだろう。自然、翼たちも彼の食事がそろうまで待つことになる。ルシファーは、それに対してもとくになにも言わず、ただ黙って煙草を吹かしていた。


 ほどなく彼の食事を運んできたのは、シヴァであった。グループナンバー・ツーの出現に、食堂の空気がまたしても気まずく固まった。しかし青年は、その気配をやはり完全に無視して奥にいるボスのところまでやってくると、食事の載ったトレイをそのまえに静かに置いた。


 パン、シチュー、サラダ、フルーツジュース。メニューは翼たちのそれとまったくおなじだが、トレイの上には、ほかにコーヒーと灰皿も添えられていた。ルシファーは半分ほど吸った煙草を灰皿の上で揉み消すと、コーヒーをひと口飲んでパンに手を伸ばした。

 賄いが必要なメニューでは決してない。にもかかわらず、シヴァがその場に留まって、ルシファーの後方に随従するように控え、背後の壁に腕を組んでもたれたのを翼は奇妙に思った。だがルシファーは、そのことに対してもやはり、なにも言わなかった。


 しかたなく、なんとなしに妙な雰囲気のまま、翼たちも食事をはじめる。レオが、先程から難しい顔をしている理由が、翼にはよくわからなかった。



「そういや最近、取材のほうはどうだ?」


 いくばくもなく、ルシファーが口を開いた。翼は途端に、ほっと胸を撫でおろした。その声と態度が、先程までのそれとはガラリと変わり、くだけたものになっていたからである。張りつめた空気も、瞬く間に霧消する。直前の妙な雰囲気は、ずっと部屋に詰めていた疲労ゆえの素っ気なさ、あるいは懸案事項に対する考えごとの延長にあったのかもしれないと、翼は緊張をゆるめた。


「うん、まあまあかな」

「そうか。そのうち草案ができたら、俺にも見せろよ」

「もちろん。ある程度まとまったら、そうするよ。でも、《ルシファー》に読んでもらうとなると、やっぱり緊張しちゃうね。せっかく協力してこの程度かって失望されないように、しっかり書かないと」

「変に気負わなくていい。そのままのおまえが出てる文章がいちばんだ」

「そう? 君にそう言ってもらえると、なんか張り合いが出てくるよ」


 翼は照れ笑いを浮かべながらパンをちぎると、シチューに浸けようとした。


「なあ、おまえのほうのが美味ウマそうじゃないか? そのシチュー」


 唐突なセリフに、翼の手が止まった。その翼の皿を指さして、あくまで生真面目な顔でルシファーが言う。青年は目を瞬かせて、ふたつの皿を見比べた。


「え、違わないんじゃない? だって、みんなおなじものだよ?」

「そおかあ? でも、なんかそっちのほうが美味そうに見えるけどなあ」

「えー、そんなことないって。変わらないよ。っていうか、こっちはもう、冷めかけてるよ?」


 翼は繰り返したが、ルシファーはなおも「うーん」と唸ってふたつをじっくりと見比べ、「いいや、やっぱりそっちのほうが美味そうだ」と言い張った。


「肉の量が断然違うだろ。コーンも多いし、なによりニンジンが少ない」

「ニンジン、嫌いだったっけ?」

「猫舌なんだよ」

「答えになってないよ、それ」


 翼はとうとう笑い出してしまった。むきになるそのさまがやけに子供っぽく、大人びたいつもの彼の意外な、そのくせ年齢相応の一面を見た気がして嬉しかった。

 笑いながら深皿を差し出すと、ルシファーは喜んでそれを受け取り、かわりに自分のぶんを翼によこした。彼らの輪に加わっていたジャスパーの仔犬が、つられたようにルシファーのほうへ動き出す。前回、クッキーをもらったことを憶えていたのだろう。ルシファーは、自分のわきにチョコンと座って尻尾を振る仔犬の咽喉のどをくすぐった。


「ほらな、おまえもこっちのほうが美味いって思うよなあ?」


 言って、如何にも満足そうに皿の中身をかき混ぜると、ホワイトクリームを野菜ごとスプーンですくう。そのまま口に運ぶものと思って見ていると、流れるような動作は、ごく自然に途中で静止した。


「そういえば、躰のほうはもういいのか、ジャスパー」


 ごく、さりげない口調だった。ずっと黙りこくっていた少年は、瞬間、傍目はためにもそれとわかるほどにビクリと身を竦ませた。

 フォークを持つ手が小刻みに慄え、サラダの盛りつけられた皿に当たってカチャカチャと大きな音をたてた。もともとボスのまえに出ると、ひときわ緊張しがちなほうではあったが、今日のような反応ははじめてだった。


「ジャスパー?」


 蒼白になった少年のただならぬ様子に驚いて、翼は声をかけた。


「どうしたの? どっか気分でも悪い?」


 部屋に戻って休んでは、そう勧める翼の言葉に、少年は無言で、それでもきっぱりと首を横に振った。


「でも……」


 翼は眉を曇らせた。ジャスパーは顔を伏せたまま、じっと俯いていた。

 原因がわからずオロオロとする翼の隣で、少年は顔を硬張こわばらせ、異様なほど小刻みに全身を慄わせた。その口から、軽い咳が漏れた。


「ジャスパー、やっぱり部屋に戻ろう。無理しないで。ね?」


 痩せて骨張った背中をさすりながら、翼は声をかけた。だが、少年は頑なに俯いたまま、その場から動こうとしなかった。蒼褪あおざめた表情が、ますます硬張り、怯えた色を見せる。


「お、なんだ? おまえも欲しいのか?」


 信じられないことに、原因を作った張本人であるルシファーは、我関せずといった具合で犬と戯れていた。小さな子供が目の前で具合が悪そうにしているというのに、なぜこうも平然と見て見ないふりをしていられるのか。腹立たしく思ったが、翼はひとまず、呑気なやりとりを無視して、少年の体調を優先することにした。しかし、ルシファーの言葉を耳にした途端、少年の顔色と様子が目に見えて変わった。

 咳が止まり、翼を押しのけるようにしてジャスパーは身を乗り出す。恐怖に瞠いた瞳が、ルシファーと仔犬とを凝視した。


 少年の目の前で、ルシファーは仔犬の頭を撫で、パンをちぎってシチューに浸け、それを仔犬に与えようとした。その瞬間――



「だめぇぇぇーっ!!」



 絶叫を放って、ジャスパーは飛びかかるような勢いでボスと仔犬とのあいだに割って入った。

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