第11章 蠢く気配(3)
「俺はあんたがなに考えてんだかさっぱりわかんねえよ、ルシファー」
詳細を告げたあとで、狼は軽い苛立ちと批判をこめた口調で言い募った。刹は、とくに意見するでなく、緘黙してなりゆきを見守っている。しかし、彼が狼の側に同調していることは、一見して瞭らかであった。
軍との交戦中、彼らはスラムのはずれにひそむ、ある人物の姿を目撃していた。
殲滅させたはずの《メサイア》のサブ・リーダー、ゾルフィン。
手に負えぬ残虐性を振り翳し、暴力のみをもってグループを支配していた飾り物のボスの陰で、真にその手下どもをとりまとめ、組織を掌握していた人物である。そのゾルフィンが、己を中心とする組織を立ち上げ、動き出していた。目的は、言わずと知れたこと。以前より目の敵にしてきたルシファーの打倒にほかならなった。
ひそかに手をまわして敵の情報を入手した狼と刹は、その報告にそろって訪れ、味方側が現状で抱えてる問題を直諫しに来たのである。
「たしかに翼は悪い奴じゃねえよ? だが所詮、ただの部外者じゃねえか。それどころか、いまとなっちゃ、完全なお荷物そのものだ」
狼は声高に断言した。
「武器が使えるわけでもねえ、俺らに有利になる情報ひとつ持ってるわけでもねえ。多少なりと役に立つどころか、逆にこっちがいちいち気にかけて護ってやんなきゃならねえ、ずぶのトーシロときてる。あれに比べりゃ、スラムで生まれた赤ん坊のほうがまだマシに闘えるだろうよ。あんなのいつまでも抱えてたんじゃ、あんたもなにかと身動きがとりづれえんじゃねのか? これからが本腰入れなきゃならねえ、本マジの正念場だってのによ。なんだってさっさと厄介払いしちまわねえで、いつまでもお客扱いして大事にもてなしてんだよ。全然いつものあんたらしくねえだろ。それともなにか? 俺たちには思いつけねえような、ご大層な使い途でもあって、それで手放さずに手もとに置いてるってのか?」
狼の口調は、感情の昂ぶりに比してきつくなってゆく。ルシファーは気難しげな表情を浮かべて、まだ火を点けていない煙草を指のあいだで弄んでいた。
「抜かりのねえあんたのこった。いつもみたいに、俺らがぶったまげるような妙案がその頭ん中にいくつもあるのかもしれねえ。だがな、新見翼の件に関しちゃ、あんたを100パーセント信じる気にはなれねえんだよ。らしくもなく、あんたが情に流されて、あのブンヤを庇ってるようにしか俺には見えねえ」
「――バカなことを言うな。あいつを庇って俺になんの得がある」
「だから、まさにいま、そいつを指摘してんじゃねえか。あいつは今後、あんたにとって、強いては俺ら全員、組織全体にとっての害にしかならねえんじゃねえのか、ってな。それもとてつもなく、致命的にでかい……」
「あいつにそこまでの影響力などあるわけがなかろう。杞憂もいいところだ、狼」
狼はカッとして怒鳴りかけ、幾度か口を開閉させた後に、不意に脱力して肩を落とした。
「勘弁してくれよ、ルシファー。なんだってそんなにイカレちまったんだ。頼むからこれ以上失望させないでくれ。それとも俺があんたを一方的に買いかぶりすぎてたのか?」
ルシファーの双眸に、はじめて怒気が閃いた。狼はわずかに鼻白んだ。
「おまえにそこまで言われるおぼえはねえな、狼。俺がいままでなにか失態を演じて、取り返しのつかない決定的なヘマをやったか?」
「……いいや」
「ならば俺の指示に、ほんのわずかなミスでもあったか?」
「いいや、ルシファー」
「俺のすることに手抜きがあったか? おまえたちの不安を煽るような、心もとない言動が一度でもあったか?」
「いいや、ルシファーッ!」
狼は大きくかぶりを振った。
「いいや、全然そんなこたあねえ。あんたはなにひとつヘマなんぞしちゃいないさ、ルシファー。あんたは完璧だ。いっそ厭味なくらいにあんたのするこた完全だよ。非の打ちどころもねえ。けど、ならなんだって、あいつをさっさと追い出しちまわねえ? 戦力にもならなきゃ情報源としても役立たねえ。戦場で生き抜く知恵すらろくすっぽ持ってねえ。そんな奴ァここじゃ足手まといだ。なかでも、あんたの足をめいっぱい引っ張ってくれるだろう。だがな、それじゃ俺たちが困るんだよ。総大将のあんたを喪うわけにはいかねえ。俺たちにはあんたが必要だ。だから一刻も早く足枷をぶった切っちまってくれと、こうして頼んでいる」
狼は懸命に訴えた。
「あいつは俺たちとは全然生きる世界が違う。あんたがあいつの身を案じてるならなおのこと、あいつが本来いるべき平和な世界へ帰してやりゃいいだろ。訃報が流れたあとだろうがなんだろうが、あんたなら、そんなこた造作もねえはずだ。違うか、ルシファー? そんなわかりきったことすら気づかねえふりして、いつまでもぐずぐずしてんのは全然らしくねえって言ってんだよ」
「――あいつひとり抱えこむことさえ難しい。それほど俺は、おまえたちの目に無能と映っているのか?」
「そうじゃねえよ。そんな話じゃねえだろ、俺がしてんのは。あんたがそこまで頑なになること自体、すでにおかしいんじゃねえか。頼むからしっかりしてくれよ。あいつにはもう、あんたが当初意図してたような人質としての価値はねえんだよ。いつものあんたなら、用なしとなった時点でとっくに切り捨ててるはずだろ。なぜ今回にかぎりそうしねえ? その理由をきっちり説明するか、でなきゃ、俺たちの言い分を容れてくれと言っている」
気づまりな沈黙が流れた。
狼も、そして刹も、息を詰めてルシファーの答えを待った。
ルシファーは、掌で弄んでいた煙草に火を点け、静かに紫煙を吐き出すと、やがて重い口を開いた。
「翼はもうしばらく俺の傍に置いておく。だが、その理由について説明するつもりはない」
「ルシファーッ、俺たちゃあんたに命運を委ねてんだぞっ!」
非難も露わに狼は声を荒らげたが、ルシファーはとりあわなかった。
「これは俺の問題だ。おまえたちにいちいち説明する必要もなければ、理解を求める理由もない。余計なことだ、口出しをするな」
「こ…っの、わからずやっ!!」
怒声とともに、狼は椅子を蹴って立ち上がった。無体な仕打ちに、椅子が大きく傾いで抗議の声をあげる。狼は、激情をもてあますように拳を握りしめ、肩で息をしながら相手を見据えて立ち尽くした。だが、ルシファーは動じなかった。
「――ルシファー、俺たちはなにもわざわざ、あんたと仲間割れをしにやってきたわけじゃない」
ややあって口を開いたのは、静黙してやりとりを見守っていた刹だった。
「もともとあんたは、心中にある戦略の詳細を事細かに語るような人じゃない。それは俺たちもよくよく解っている。これまで俺たちは、それを不服とすることもなく黙って従ってきた。皆、あんたに全幅の信頼を寄せてきたからだ。だが、今回の一件については、だれしもが多かれ少なかれ疑念を抱いている。きつい言いかたをしたが、狼や俺のそれは、不満というほどのことではない。それでもやはり、どこかで納得しかねている。
あんたの決定はここでは絶対だ、ルシファー。表立って異議を唱える者はない。だが、皆、たしかに動揺している。あまりにも多くの部外者を、あまりにも無造作に我々の世界へ立ち入らせてしまったからだ」
ルシファーは、無反応をとおして紫煙の流れを見つめていた。
「ルシファー、はっきり言っておくが、俺たちはあんたの僕じゃない。たしかにあんたの存在がこのスラムに秩序をもたらし、あんたが俺たちの頂点に立って全体を統括していることはまぎれもない事実だ。だが、あんたのためだけに俺たちが存在してるわけじゃない。俺たちは必要があってそれぞれに集団を成し、互いがうまく生きていくために最低限のルールを守ってこれまでなんとかやってきた。あんただって、結局はその一員にすぎない。俺たちは縦の関係にあっても、主従の立場にはない。いわば、運命共同体だ」
激した狼の感情が鎮まりつつあることをそれとなく確認して、刹は仁王立ちになっている相棒の腕に手を添え、促した。狼は、おとなしくそれに従って椅子に座りなおした。
「俺たちは俺たちの世界を護るために、もっとも優秀な統率者であるあんたに従う。だから、先刻も狼が言ったように、そのあんたを喪うわけにはどうしてもいかない。そして当然、こんなことで仲間割れをするわけにもいかない。
あんたにはあんたの考えがあるのかもしれない。だがルシファー、直面している危難のなににもまして、あの記者の存在は危険だ」
「――無力な一般人たかがひとりに、なにをそんなに惧れる必要がある?」
「無力だからこそ怖いと言っている」
刹は断定した。
「ここへ来るまえに、あんたが受け容れたもう一方の部外者にも偶然会った。なかなかしたたかそうではあったが、あれなら使い途はいくらでもある。だが、あの記者はいけない。あんたはいずれ、あの記者に足もとを掬われる」
ルシファーの眉が、わずかに吊り上がった。
「水の世界で生きるものと陸で生きるものとが、ともに生きてゆくことは不可能だ。無理にその摂理を曲げようとすれば、必ず悲惨な結末になることは目に見えている。そしておそらくそうなった場合、犠牲になるのはルシファー、あんたのほうだ。狼も俺も、そうなることをもっとも惧れている」
刹が口を閉じると、ルシファーは深刻な空気を追い払うかのように苦笑を浮かべた。
「少し、大袈裟すぎやしないか? なにをどう考えればそんな結論になる? 翼のどこに、そんな力があるというんだ。あいつは行きがかり上、俺が一時期身柄を預かったという、ただそれだけの存在だ。なぜそれが、俺の生命をも脅かす脅威として映る?」
「あんたはなんにもわかっちゃいねえ」
黙りこんでいた狼が、苦々しげに低い呟きを漏らした。
「あんたは、あいつのまえで自分がどんな顔をしてるか、少しも気づいてねえのさ。だからそんなことがサラッと言えるんだ」
狼の科白に、ルシファーは眉宇を顰めた。
「俺たちの頂点に君臨する《ルシファー》は、いまだかつて一度たりとも容易に他人を寄せつけるような真似はしなかった。誇り高く、ときには非道なまでに冷酷に徹しきれる靭さを持っていた。だが、いまのあんたは、爪と牙を抜かれた猛獣とおなじだ。すっかりあいつに気を許して、飼い馴らされちまってる。そんなあんたを、俺は見たくなかった。あんたはあいつを手放さないんじゃねえ。手放したくねえのさ。はじめて出逢った、心許せる友ってやつをな」
「――人をバカにするのも大概にしておくんだな」
端麗な口唇から漏れた声は、地を這うように低く凄絶だった。狼と刹は、震撼して思わず息を呑んだ。
「黙って聞いてりゃ、人をお友達ごっこに現を抜かす腑抜け扱いしやがって。ぐだぐだぐだぐだと偉そうに説教をたれた挙げ句の本心はそれか。俺も随分と見くびられたもんだな。え? 狼、刹」
「そっ、それは……」
狼は気圧されたように口籠もった。
「俺はだれかに飼い馴らされたおぼえはねえよ。むろん、あのジャーナリストにもな。あいつは必要があって少しばかり手もとに置いている。用が済めば、《メガロポリス》に帰すさ。だが、まだそうするわけにはいかねえ。理由を説明しないばかりに余計な勘ぐりをしているようだが、無用の心配事だ」
言って、ルシファーはいくぶん語調をやわらげた。
「もっとも、おまえたちの懸念の理由は理解した。今回はそいつに免じて目を瞑ろう」
狼は胸を撫でおろして息をついた。その横で刹が足を組み替え、あらためて口を開いた。
「いずれにせよ、組織内の不満分子が外部からの扇動に唆されて動き出しつつある。あの記者に加えて、こちら側に寝返った軍人どもを引き入れてしまったことは、いささか強引すぎたと言わざるを得ない」
大胆な発言に、狼は肝を冷やした。が、ルシファーも今度は冷静にその言を受け容れた。
「わかっている。だが、それならそれで、おおいに結構なことだ。首魁がはっきりしただけで充分。まとめて叩き潰してくれる」
ゾルフィンを中心とする組織の構成人員は、把握しただけでもおよそ70前後。壊滅した《メサイア》の生き残りであるゾルフィンの取り巻きたちのほか、ルシファーに逆らい、《セレスト・ブルー》と対立して潰されたグループの残党たち。そして、これまでのところ、表立って逆らうことはなかったものの、保身のためにしぶしぶ《セレスト・ブルー》に従属していた面々。
いずれも質のよくない連中ばかりが顔をそろえていた。
――まったくもって結構なことではないか。
ルシファーは、言い知れぬ悦楽に心を酔わせながら悽愴たる笑みを浮かべた。
自分の存在が気に入らなければ、全力で潰しにかかってくればいいのだ。
堂々と反旗を翻し、その力の及ぶかぎり挑んでくるがいい。己に牙を剥いたことを、骨の髄まで染みとおるほど後悔させてくれる。
手向かうものは確実に、そして徹底的に叩きのめす。自分はこれまでの人生を、そうして生きてきたのだから―――




