第11章 蠢く気配(2)
公安特殊部隊との戦闘は、現在、《没法子》と《夜叉》の2グループが全面的に請け負っていた。その日、それぞれのグループのボスである狼と刹がそろってルシファーを訪ねたのは、戦況報告に加え、彼らの口からじかに、ルシファーの耳に入れておかねばならぬ一事があったからにほかならなかった。
「まったく、面倒事ってのはなんだってこう、いっぺんにまとめてやってきやがるんだ」
うんざりしたように不平を鳴らす狼に、《夜叉》のトップは苦笑をもって応じた。ストレートの黒髪をゆるやかに後方でまとめた、涼しい目鼻立ちの沈毅な人物だった。
「しかたないだろう。こっちの都合を考えて、行儀よく順番になんて物事が起こるもんか。かえってまとめてカタがついていいさ」
「あんたは前向きだな、刹」
「後ろ向きになったところで事態は変わらないからな。悲観的なのは俺の性に合わない」
「ご立派なこった。さすが人格者で名高い《夜叉》のトップでいらっしゃる」
「皮肉はよせ。本当に大変なのは俺たちじゃない」
意味を察して、狼は口を噤んだ。
互いに黙ったまま、ふたりは薄暗い廊下を進んだ。
「おーい、小僧ーォ!」
唐突に背後から追ってきた能天気な声が、ふたりの耳に届かなかったはずもない。ただし、それが自分を指してのものだとは、どちらも思わなかった。この界隈で、自分たちを小僧呼ばわりする恐れ知らずが存在するなど、ありえなかったからである。《没法子》のトップも《夜叉》のトップも、当然声を無視した。
「おーい、小僧ってばよ、なんだよ無視すんなよ。ちょっと待てって童、ぼーずぅ!」
無粋な間抜け声は、遠ざかるばかりか、ますますしつこく追ってくる。狼の眉間に、深い皺が寄った。
「刹、あの下品なバカ声は、もしかして俺たちのことを呼んでるのか?」
「の、ようだな。俺たち、というよりは、俺たちのうちのいずれかに向けられているようだが」
涼やかな声が言い終わらぬうちに、狼の肩が乱暴に叩かれた。
「なんだよ、なんだよ、冷てえじゃねえか。さっきからひとが呼んでるってのによお。シカトこいてんじゃねえぞ、坊主」
なれなれしく肩を組まれて、誇り高い《没法子》のボスは、瞋怒も露わに全身の毛を逆立てた。射貫くような険しい視線を、厚かましい道化者に向ける。その瞳に、いっそう不審の色が浮かんだ。
「だれだ、貴様」
「まぁたまたっ、すっとぼけたことぬかしやがって。いくらなんでもそりゃねえだろ」
言いかけた道化者の剽軽な顔つきに、そこではじめて変化があらわれた。
「っと、あれ? 小僧…じゃねえ?」
「どうやらそうみてえだな、おっさん」
「おっさ――」
邪険に振り払われた手を宙に彷徨わせて、道化者は呆然と呟いた。
浅黒い肌の、精悍な貌立ちをした背の高い男である。シンプルなデザインの黒いシャツを胸もとまで開け、羽織った同色の上着ごと、袖口を肘下までまくり上げて着崩している。上着と同種の素材で作られたズボンは、体型に合わせてすらりと長く、膝から下を長靴で包んでいた。
人違いとはいえ、見ず知らずの人間に小僧扱いされて愉快なはずもない。それでも狼は、自制できる範囲内で最大限に譲歩し、手緩すぎる報復を試みた。相手の正体を、うすうす察しての目こぼしだった。しかし、その効果は想像以上に絶大だったようである。
「おっさん……」
男はなおも、納得しがたい様子で狼の発した単語を口の中で転がした。きつい眼差しでそのさまを眺めていた狼が刹に目線を移すと、相棒は無言で肩を竦める。どうやら、これ以上はかまうなという意味らしい。
黙ってそれに従い、踵を返したところで彼らは第二の人物と遭遇した。
「あれ、狼、ひさしぶり。珍しいね。ルシファーに用事?」
自分がだれと間違われたかを即座に了承した《没法子》のボスは、すれ違いざまにその肩をポンと叩いて親指で後方を指し示した。
「そいつがおまえさんに用だとさ、翼」
「え? 僕? あ、ザイアッド軍曹」
自分たちの推測が正しかったことをさりげなく確認すると、狼と刹は視線を交わしてその場をあとにした。




