第10章 嵐のまえの平穏(1)
カシム・ザイアッドを部隊長とする第13部隊が命令に背いた。
その事実を知ったとき、司令官であるクライスト・ロイスダール大佐は、報告者の言を疑ったりはしなかった。造反者であるザイアッドらに激怒して手近のものを部下に投げつけ、あたり散らすようなこともなければ、乱心のあまり13班に対する呪詛の言葉を吐き散らした挙げ句、責任者としての義務を放棄するような愚挙に出ることもなかった。
司令官の逆鱗に触れるどころか、それを毟りとってしまったかのような最悪の凶報に、彼の部下たちは肝を冷やした。しかし、ロイスダールの反応は淡泊かつ簡潔を極めた。
「そうか……」
呟いて、小さく息をついた地上派遣部隊の最高責任者は、内務省地上保安維持局に通話回線を繋ぐよう命じた。
カシム・ザイアッド。もともとあの男は、自分の手には余る人物だったのだ。反抗的で協調性がなく、いつも他人をバカにしたようなシニカルな笑いを浮かべて軍律を乱すようなことばかりしていた。過去に反省室送りにされた回数は、それこそ数知れないと聞く。
実戦部隊の中でも、殊に下品でガラの悪い連中ばかりを従えて、『13』などという不吉な数字を掲げた軍内でも特殊な遊撃隊を創り上げ、猿山の大将よろしくそっくりかえっていた。側近たち同様に、自身もまた下品でガラが悪く、粗暴で無気力、厭世的、怠惰、非社会的と救いがたい性格の持ち主だった。そのくせ、いざ実戦となると本領を発揮して、驚くほどの才覚を現し、別人のような働きぶりで確実に戦果を上げる特異な男でもあった。
あんな癖の強すぎる男を従わせることなど、平凡で常識人の自分には、所詮、荷がかちすぎたのだ――
「ロイスダール司令官、内務省と通信が繋がりました」
通信士の報告で、ロイスダールは意識を現実に引き戻し、スクリーンに向きなおった。居住まいを正したタイミングで、画面の向こうに、端整な容貌の人物が現れた。
「ご苦労さまです、ロイスダール司令官。戦況のほうは如何です? なかなか手ごわい相手でしょう?」
ロイスダールの敬礼ににこやかに応えながら、内務省高官、アドルフ・シュナウザーは鷹揚に言った。すでに上がっている戦況報告に目を通しているだろうにもかかわらず、その表情に、微塵の揺らぎすら見せることはなかった。
「は、まことにお恥ずかしいかぎりではありますが、今回ばかりは我が軍も少々苦戦を強いられております」
「プロのあなたがたにこんなことを申し上げるのは、大変失礼かつ僭越とは思いますが、子供と侮ると手痛いしっぺ返しをくらうことになりますので、その点、充分ご注意いただきますよう。おそらく、彼らにとってはまだほんの序の口。軽いお遊び程度の感覚でいることでしょう」
「まことにもって、返す言葉もない次第で。小官の不徳のいたすところと慚愧に堪えぬ思いでおります。軍の名誉と誇りにかけて、必ずや汚名を雪ぐ心算でおりますゆえ、ご寛恕のうえ、いましばらくの猶予をいただければ幸いです」
「それはそれは、司令官殿もさぞご辛気のかぎりでしょう。お察し申し上げます。ほかに、なにか変わったことは?」
「いえ、とくにはなにも……」
「――そうですか。この件についてはすべて大佐に一任しておりますので、引きつづき存分に手合わせいただいて結構です。必要な情報提供など、こちらでお役に立てることがあれば、いくらでも仰ってください」
「恐縮です」
「では、よろしく。ご武運をお祈りしています」
最後まで穏やかな語調を崩さず、シュナウザーはにこやかに応じて通信を切った。そして回線が途切れ、画面が砂色一色で塗りこめられた途端、その顔つきを一転させた。
「聞いたかい、マリン。公安もどうやら無能ぞろいのようだ。おまけにとんでもない嘘つきときては、あまり期待できそうもないねえ。あれでこの私を誤魔化しおおせた気になっているのだから、とても信じられないよ。造反行為を働いたのは、どこの部隊だっけね?」
「第13部隊です。部隊長の名はカシム・ザイアッド。階級は下士官クラス、軍曹です。通信が途絶えているため詳細は定かではありませんが、部隊長の性質から察するに、おそらく敵側に寝返った可能性がもっとも高いかと」
カシム・ザイアッド……。
スウッと細められた目に、酷薄な光が宿る。一拍を置いて、シュナウザーは秘書の言葉に同意した。
「だろうね。うまくまるめこんで役に立ってもらおうと思っていた新見くんも、まんまと先手を打たれて早々に連れ去られてしまったし。さて、どうしようか?」
にっこり笑って、エリート官僚は秘書を顧みた。ロイヤル・ブルーの瞳が、無表情にその顔を見返した。
「――公安部隊については、戦力として使えるうちは利用しておいて問題はないかと。その間に、こちらで打つ手を講じておけばよろしいでしょう」
「同感だ。まったく、あの司令官に、せめておまえの十分の一でも賢さが備わっていればね。まあ、言っても詮ないことだが。マリン、打つ手を考えるまえに、ひとつ、おまえに頼みがあるんだが、ちょっと調べものをしてみてくれないかな」
「カシム・ザイアッドの身上調査でしたら、まもなく報告書が上がってまいります。ですぎたことでしたら、お恕しを」
秘書の反応に、シュナウザーは満足げに頷いた。
「相変わらず頭の回転が速くて助かるよ、マリン。おまえは最高の秘書だ」
手放しの褒め言葉を、フィリス・マリンは無感動に聞き流した。
ときに心の存在を疑いたくなるような、機械のように精密な頭脳を持つ麗人。繊細な貌立ち、冷ややかな印象、優美な仕種は、ある人物を想起させた。
私も、いいかげん趣味が悪いな……。
秘書の採用理由を思い出して、シュナウザーは苦笑まじりの独語をひそかに漏らした。




